第四話「花冠の一部になりたいんだ」
「やっぱり……来た」
ダンダンという強い靴音に、振り返ることなくそう答える。
「どうして……ですか」
「どうして……だと……思う?」
「聞いてるのはこっちです!」
岬の口調はいつになく強いものだった。彼女は間違いなく怒っていた。どう返答すべきか、少し悩む。本当のことを打ち明けるのは簡単だが、それで嫌われないという保証はどこにもないし、冗談だと思われるかもしれない。
私は沈黙を選んだ。
ダンダンという足音が近づいてきて、やがて、岬が教壇に立った。彼女の頬は赤く染まり、目元はキラキラと輝いて、泣き笑いのような表情をしているが、目はキッとこちらを睨んでいた。
「……怒ってる?」
「はい」
彼女は何の迷いもなくそれを肯定した。そのことに少し驚く。
「どれくらい?」
「多分、生まれて初めてくらい」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもないです! 私が聞いてるんですよ! 私は今、立っているのも辛くないし呼吸だって苦しくない! ……貴女の仕業でしょう?」
貴女。そう呼ばれるのは多分初めてだ。彼女はずっと私のことを「みぞれ様」と読んでいたから。なんだか、やっと対等になれたような気がして、声に出して笑った。
「何笑ってるんですか!」
「ごめ……ごめん。怒ってる姿があまりにも愛らしくてさ」
するりと、そんな台詞が喉から飛び出した。ああ、これは言い逃れできないかな。いいや、もうそんなことする必要もない。
「私、岬のことが好き」
全部言ってしまえ。
「岬は、私のことを『来訪者』じゃなくて、『
みぞれ』だと思ってくれたよね。私、最初はなんだかそれが気に入らなかった」
安心した。病気も空気を読むんだな。どうしてか、スラスラ喋ることができる。
「それから、私に『特別じゃなくていい』って、『普通でいい』って言ったのも気に入らなかった。私は特別な人間になりたかったから。特別な存在じゃないと、誰からも愛してもらえないと思ってたから。だから、怖かった。あの世へ行くのが。だって、行って帰ってきたら特別じゃなくなっちゃうんだからさ。だけど行ってきたよ。何でだと思う? 岬が教えてくれたから。特別な人間じゃなくても、誰かにとっての特別になれれば愛してもらえるって岬が教えてくれたから。あの世へ行く前に、一緒に平野城の人たちを看病したりもしたよね。多分、きっとあの時最初に思ったんだ。差別されても怒ったりせずに誰にでも分け隔てなく看病をする君の横顔が、すごくかっこいいなって。ごめんね、岬にとっては気持ち悪いと思う。だけど、これが私にとっての普通だから、言わせて。あの時、花冠を渡してくれてありがとう。無くしちゃったけど。ごめん。これは、私からのお返し」
席を立つ。その時、ピアスが足元に落ちていることに気がついた。なるほど、これか。私は確かな足取りで岬の方に歩いていった。そして、手に持っているものを岬の頭に乗せた。
「大好きだよ、岬」
それは、私が作った花冠。
「見て」
茎が編み込まれ、その円状の外周に沿って無数の小さく白い花が冠を彩る。
「岬の花冠を見て、気付いた。もし私が来訪者じゃなくなって、ただのちっぽけな存在になったとしても、小さな花になったとしても、こんなふうに身を寄せ合えば他に負けない素敵な冠になる。あの世で、私はそんな勇気をもらった」
彼女の髪を撫でた。
「岬と一緒に、花冠の一部になりたいんだ」
「どうして……」
振り絞るように、岬が息を吐き出す。
「どうして、そんなに回りくどいの……?」
彼女は泣いていた。崩れかけている教会の天井から、霧を通過してスポットライトのようになった灯りが差し込んでいて、その光を反射して頬に伝う涙が光っていた。
「どうしてそんなに卑屈なの。どうしてそんなに臆病なの。どうしてそんなに自信がないの。どうしてすぐ嫌だろうって思って辞めちゃうの!」
驚いた。彼女のそんな口調を聞いたのは、初めてだったから。
「私だって……! 最初はお姉ちゃんだって思って慕ってた。今もその気持ちは変わらない。同性愛なんて罪だよ、姉妹同士なんて罪だよって言ってくる私もいるよ! だけど、私だって言いたい。私だって、みぞれのこと愛してる!」
彼女の言っていることが理解できず、フリーズする。いや、理解できているはずだ。だけど、そんなわけがないって脳がそれを弾いていく。それでも、少しずつ解析は終わっていって、ほんの半分もそれが終わらないうちに私は頭から湯気が出るほどの暑さを覚えた。
「それは、命の恩人だからとかそんな理由じゃない。流されて好きになったわけじゃない。みぞれお姉ちゃんは、ずっと私たち一族のことを考えてくれてた。私たちのことを放っておくことだってできたのに。それだけじゃない。私だってお姉ちゃんから学んだことがある。『諦めなければ願いは叶う』ってこと。私、高空城の人たちを全員治すなんて無理だって、心のどこかで思ってた。死んじゃった先生の遺志をなんとなく継いで、私もこの街と一緒に死んでいくんだろうなって、そう思ってた。だけど、叶ったんだよ! 無駄じゃなかった。私が諦めかけながらもやってたことは、何かに繋がっていたんだって。だから私、もう一回目指してみる。諦めてた医者の夢を。きっとできないって思い込んでたけど、道は繋がっているかもしれない。繋がってないかもしれないけど、歩いてみなきゃ分からない。それに、医者になったら」
岬は一呼吸置き、涙を拭う。
「また私を庇ってくれるかっこいいお姉ちゃんの姿を、持ってきたものが私の注文と違ってわたわたするお姉ちゃんの姿を見られるかもしれないし」
そう言って、岬は笑う。微笑ではない。満面の笑みだ。
私はもう茹でダコになっていたけれど、目線をぶらすことだけはしなかった。岬の顔がモザイク状になっていく。妹の前で泣くなんて、かっこつかないなぁ。ああ、意識がぼやけていく。また呼吸が乱れていく。今度の痺れは手足じゃない、全身だ。少しかっこつけすぎたかなぁ。
私、もう死ぬのかぁ。
突然目の前が真っ暗になり、バタンという音が鳴った。私が倒れた音だと理解するまでにしばらくかかった。岬の声がする。だけど聞こえない。腕を引っ張られている。だけど立ち上がれない。どんどん意識が遠のいていく。
「あの世には、驚異っていう優しい悪魔がいたよ。人間を愛していて、私を助けてくれた。岬の顔が見たいって言ってたけど、ここまでは来れなかった。私を逃したから。ここまで来れたのは、全部驚異のおかげで……ああ……浮気はしてないよ? まだ岬とは付き合う前だし、女だし。……あっ、女の子でもダメなのか」
「私、死んだらどうなるのかなぁ。やっぱり、元いた世界に戻るんだよね。やだなぁ。でも、岬は言ってたよね、『きっとお母さんは愛してくれてますよ』って。どうだろうって思うけど……もし戻ったら聞いてみるよ。私が勝手に見下してて話してなかったような気もするしさ。それに、特別な人間じゃなくてもママにとって特別な子ではいられるかもしれないし」
もう前は見えない。けれど、頭に何か乗せられた感覚があった。その重さ、形状に覚えがあった。これは、花冠。渡した花冠を私の頭に乗せたのだ。そして、唇に温かく柔らかいものが当たった。遠のく意識の中、ふと思った。
何も知らない人が見たら、結婚式みたいに見えるよな、なんてことを。
ピッ……。
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