第5話「カッコいいね」

「クソッ!」

 私は石畳を叩いた。何度も、何度も。じきに岬がやってきて、しゃがみ込んで振り下ろす前に私の腕をとめた。

「私が……」

 腕を震えさせながら、叫ぶように。

「私がなんとかする」

 石畳を叩いていた右腕がじんじんと痛み始めた。その痛みを忘れぬよう、胸に手を添えた。それから、その右腕を胸まで上げ、岬に見えるように左右に手を動かし、

「私には特別な力がある。そのはずだ」

 と、呟いた。すると、岬が肩を叩いた。

「私たちは一度だけ、あの世とこの世を繋ぐ門をくぐれます。でも来訪者様は二回。それが、みぞれ様の力。そして、あの世には、奇跡のような品物がたくさんある、と言われています」

 それを聞いて、ハッと閃く。

「……例えば、薬草も?」

「はい。きっと」

 「でも」と岬は言った。

「きっと、『帝国』の皇帝は不老不死の秘薬を望むでしょう。彼はこの世界を統一するという夢を果たす前に息絶えそうだからです。それは、一般市民に聞いても、奴隷に聞いても変わらない。『自分のために』、何かを望むでしょう。でも」

 彼女は私の手を握った。まっすぐな、まっすぐな目だった。

「私は、何も望まない。みぞれ様が望むものを取りに行けば良いと思う。貴女は特別になろうとしなくて良いんです。好きなふうにやれば、それが幸せです」

 そして、固かった表情を少し崩し、彼女は微笑んだ。控えめに、少し照れ臭そうに。

 その表情に反して、私は複雑な気持ちだった。まるで、下書きのままの漫画の原稿用紙のように、どの気持ちを見たら良いのか分からなかった。

 私は特別になりたいのだ。

「みぞれ様の世界では、どんな動作が友情の証になりますか?」

「シェイクハンッ! ベイビー?」

 と、自身の右手と左手を握り合わせてみる。これだと握手というよりゴマすりみたいに見えるような。

「手を握る、ということですか」

「そのとーりだ!」

 その言葉を聞き、岬が右手を差し出す。一瞬ギョッとした。岬が私に対して握手を求めてくる、という構図に驚いたのだ。もちろん、そう誘導したのは私だった。だから、私も手を伸ばした。

 最初は、柔らかく手を握っていた。けれど、岬は周囲を見渡し、決意の表情で硬く手を握ってきた。それに、私は返せない。

 彼女は私に「特別じゃなくて良い」と言った。そんなのごめんだ。私は特別になりたい。この握手はきっと、友情の握手だろう。けれど、友愛というものを信じるなら、特別にならないとそれは注がれないような気がしていたし、その気持ちのままで硬く手を握り返すのは難しいことだった。

 彼女の頬が紅潮していたので、

「照れてんじゃん、おい〜!」

 って、脳天気に言った。いや、能天気に見えるよう言った。私は、彼女と協力してこの街を救いたい。それをやっているうちは、自分に役目があるから。それ故、胸の内は複雑で、岬という自分そっくりの少女をどのアルバムに分類したら良いのか分からなかった。

「じゃあ行こうか!」

 私は複雑な心中を誤魔化すように大きな声を出した。

「どこへ……?」

 私は左手を腰に当て、右目の前でピースした。

「この街を救いに、だぜ!」


 岬は、門のそばに荷馬車が残していった穀物を同じく荷馬車に乗っていた麻の袋に詰めていた。私が「何か手伝えることはないか」と申し出ると、岬は荷馬車の穀物の下を漁り始め、いくつかのライムを取り出し、こちらに渡してきた。さらに、「これを輪切りにしていただければ」と鞄から包丁を取り出し渡されたので、私は荷台の隅を台座にライムをスライスしていた。

「それで、私の力なしにどうやってこの病気を治すの?」

「この新手の病気は動き回ることで進行が早まることから『徒労病』と呼ばれています。私の先生は軽度、中度、重度と便宜的<べんぎてき>に名前を付けました。先生の必死の呼びかけのおかげで、今いる40戸の家族はみな重度に至る前に自宅療養に入りました」

「それで、このライムは?」

「これも先生が解明したことなのですが、どうもライムの果汁が病気の進行を食い止める作用があるらしいのです」

「ふーん」

 でも、岬の先生は死んでしまったんだよな、と頭をよぎる。つまりは、重度の患者には効果がないのか。

 ザーッという穀物が地面に落ちる音がした。何かと思って振り向くと、岬が茫然としていた。

「先生……」

 落ちていく穀物の粒ではなく空を見て立ち尽くした岬は、しばらくして、「いけない」と袋の口を縄で締めた。

「みぞれ様、ありがとうございます」

「ああ、これ? 良いってことよ」

 スライスしたライムを差し出す。彼女はそれを一切れずつ麻袋に入れ、両肩に背負った。

「……私も手伝うよ」

「いいんです。私と先生の問題ですから」

「そうやってのけ者みたいにするの辞めてよ! 事情を知ってる以上は私だって同じ立場でしょ!?」

「すみません……」

「……謝らせるつもりは」

 なかったのに。また怒鳴ってしまった。しかも、彼女は別に私をのけ者にしたわけではない。自分の問題だから背負わなくて良いと言ってくれているのに。

 気まずい沈黙。互いに動かない足。それでも、私は先に動いた。無理やり彼女から穀物袋をひったくる。肩に乗せると、腰のあたりまでずしりと重みが来た。これを運ぶのか?

「ひとまず、問屋さんに行きましょう。門の右手にある、一番近くの家です」

 スタスタと岬が歩いていく。私も必死に右足と左足を交互に前に出した。それでも、進まない。既に左肩と腰が悲鳴を上げている。心臓はバクバク鳴って、身体の危機を知らせている。

 それでもなんとか着いていった。岬は一足先にそこについていて、ちょうど家に上がろうとするところだった。会話が聞こえる。「今日はあの子が手伝いをしてくれます」。その後の男の「ああ」という冷め切った声。岬と男は家の中に吸い込まれていった。

 私も後に続く。習慣から、つい「お邪魔します」と声が出る。

 そこに広がっていたのは、圧倒的な負のオーラ。床には敷物が敷いてあり、その上に子供が三人、女が一人、みな苦しそうな顔で横たわっていた。

「これが今日の分の食糧です」

「これっぽっちしかないのか」

「ええ……でも、すぐに首都から支援隊が来ますから」

「いつもそればっかじゃねぇか! 先生を騙した嘘つきの罪人が!」

 男は厨房にいた。包丁を持っていた。そして、その先端を岬に向けていた。

「いつまで経っても支援隊ってやつはこねぇじゃねぇか! お前たちが近くにいるから! そのせいで、俺の親父が死んだ! 俺たちの街は見捨てられたんだろ!?」

「そんな……それは誤解で……」

「誤解なもんかよ! この要塞が出来たのはな、お前たち人類の敵を監視するためだ! じゃなきゃこんな他の国から遠いところに要塞建てるわけねぇだろ!?」

「えっ……?」

 岬の声が一気に細く、枯れていく。

「なんだ、知らなかったのか? お前たちが来もしない来訪者を見つける目的を放棄し、反乱を起こした時のためにこの要塞は建てられたんだよ! お前たちは結局誰からも信頼されていない、人間を裏切ったクズ野郎で……なんならお前が病気を」

「それまでにしろ!」

 岬の手を引き、ゆっくり後退させる。そして、さっきまで岬が立っていた位置に私が収まる。男は血走った目でこちらを見た。

「お前も罪人の一族か……?」

「違う。私は来訪者だ! お前たちの教典にも書かれているだろう。罪の一族は役目を全うした! 私の到来を見届けた!」

 感情が爆発する。無を抱擁するように手を広げ、男の様子など気にもとめず、私は両手をクロスさせ胸に当てた。そして、男の目を見た。

「……信じられるかっ!」

 男の言動から勢いがなくなった。

「仮にでっち上げだとして、お前は彼女がいないと飢え死にすることに変わりないんじゃないのか? 分かったら包丁を下げろ」

 男が苦虫を噛み潰したような顔で手を下ろす。

「もうここに用はないの?」

 岬に耳打ちする。帰ってきたのは例の手の動きだった。

「じゃあ、私たちは出ていく。くれぐれも、彼女が一人の時に同じことをするなよ」

「……また来ます。水をお届けに」

 そうして、家を出た。


「酷い差別だ! こんなことあっちゃいけない!」

 広場で、私は己の髪を鷲掴みにしながらそう叫んだ。岬は顔色一つ変えず、「良いんです」と呟いた。シャツを捲って、腕の縫合跡をなぞりながら。

「私たちの一族が嫌われ、差別されるのは当たり前のことなのです。私たちの宗教には、『運命』という概念があります。覆せない、生まれついての人生の道程<どうてい>のことです」

「なぜ……! なぜ、君はこんなになってまでこいつらを助けるんだよっ……!」

 石畳を叩く。

「あんな重い物を40戸もある家に運んで! 受けるのは差別だけか!? どうして……諦めれば良いじゃないか」

 石畳を叩く。

「同じですよ、みぞれ様と」

 顔を上げる。彼女は広場の隅にある波を模したオブジェに座っていた。

「みぞれ様も仰ったじゃないですか。『私が薬草をとりにいく』って。同じことなんです。目の前に苦しんでいる人がいるなら、それを助けたい。そこにどんな血が流れているかなんて関係ない。いるのは、人間だけです」 

 彼女は立ち上がり、胸に手を当て、猫のような目を見開き、今までとは違う顔をしていた。それはまるで、千両役者のような堂々とした仕草で、今まさに開いた花だった。

「それに……」

 彼女ははにかんだ。

「悪者のか弱い女が街を一つ蘇らせたなんてなったら、かっこいいでしょう?」

 彼女の控えめな笑顔に、私は目を奪われていた。その笑顔には、きっと不安が混ざっているのだろう。それでも、彼女は笑ったのだ。

 それが、私の心を跳ねさせた。彼女は本気でこの街の復興を成し遂げるつもりだ。その本気。

「カッコいいね」

 胸の鼓動を抑えながら、そう言った。彼女は、さっきよりは少し大袈裟に、けれどもやはりはにかみの域を出ない表情で笑っていた。

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