第5章 新たなアイドルの形①

5.1 公表するか、隠すか

5.1.1 事務所の決断とマネージャーの提案


グランシードプロダクションの会議室には、男性アイドル部門の幹部陣が集まっていた。

会議室の中央には社長の鳴海圭吾が座し、その隣には「NOVA STELLA」の担当マネージャーである有本寛夢が控えていた。

テーブルを囲む形で、他の幹部数名も静かに座り、会議の開始を待っている。


重苦しい沈黙が室内を支配する中、鳴海がゆっくりと口を開いた。


「……つまり、星弥が“元々女性だった”ということだ」


確認するような低い声に、出席者たちはわずかに身じろいだ。


有本が端的に付け加える。

「はい。正確には、彼は元々女性であり、数ヶ月前から男性の体になり、その状態でオーディションを受け、デビューしました。しかし、つい数日前に再び女性の体に戻った、という状況です」


幹部たちは顔を見合わせ、改めてこの異例の事態を噛みしめるような表情を見せた。


「……そんなことが現実にあり得るのか?」

「医学的な検査はしたのか?」

「公表すれば話題にはなるが、リスクが大きすぎる」


次々と声が上がる。


芸能事務所の経営において、スキャンダルや突飛な出来事は扱い方を誤れば致命的な問題になりかねない。

ましてや、アイドル業界ではイメージが何よりも重要視される。


「この件が外部に漏れた場合、どういう影響があると考えられる?」と、鳴海が有本に尋ねた。


有本はあらかじめ用意していた資料を軽く手元で確認しながら、冷静に分析を述べる。


「まず、仮に公表した場合ですが、短期的には大きな話題を呼ぶでしょう。ニュースメディアは飛びつき、SNSでは爆発的に拡散される可能性があります。彼が“元女性だった”という事実はセンセーショナルですし、『性別の枠を超えたアイドル』という新しい価値観を提案できるかもしれません」


「だが、ファンの反応はどうだ?」と別の幹部が鋭く問いかける。


「そこが最大のリスクです」有本は即答した。

「現在の星弥のファン層は、圧倒的に女性が多い。彼を“中性的なイケメン”として支持しているファンの中には、女性だったと知った途端に幻滅する層もいるでしょう。アイドルの“恋愛禁止ルール”と同じで、イメージの崩壊は人気に直結します」


「……つまり、公表することは諸刃の剣、ということだな」


鳴海が椅子にもたれかかりながら、低く呟く。


「では、公表しない場合は?」


「このまま秘密にし、星弥には“男”として活動を続けてもらう方法です」有本はテーブルの上に両手をつき、幹部たちを見渡した。


「正直なところ、現時点では星弥の身体が今後どうなるかも不明です。再び男性の体に戻る可能性もゼロではない。ならば、今はこの事実を隠し通し、女に戻ったことを悟られないようにするのが現実的な選択肢でしょう」


「だが、それで本当に問題はないのか?」鳴海が慎重な口調で問う。


「もちろん、リスクはあります。しかし、星弥は元々中性的な顔立ちで、服装やメイクの工夫次第で違和感なく“男性”として見せることができます。ボイストレーニングを行い、声の変化にも対応させる。万が一の危険性を考慮しつつも、事務所としてはリスクを最小限に抑えることが可能です」


「……つまり、公表するか隠し通すか、どちらかの二択というわけだな」


鳴海は腕を組みながら、考え込むように目を閉じた。

幹部たちもまた、各々の意見を交わしながら慎重に検討を進める。


そして——


「この判断には、当の本人の意思も確認する必要があるな」


鳴海はそう言って、有本に視線を向けた。


「本人には、すでに状況を伝えています。ですが、まだ彼自身もどうするべきか決めかねているようです」


「当然だろうな……いきなり“女に戻った”と言われて、すぐに答えを出せるわけがない」


鳴海は小さく息を吐くと、決断を下した。


「よし、まずは星弥本人の意思を確認しよう。彼がどちらの道を選ぶか——その上で、最終的な方針を決める」


有本は静かに頷いた。


こうして、星弥の未来を左右する重大な決断が、彼自身に委ねられることとなった。





5.1.2 NOVA STELLAとして


有本さんに会う前から、私は緊張していた。


昨日の生放送以来、ずっと心が落ち着かない。ファンの反応は予想以上に大きく、ネットでは「星弥くんが可愛すぎる」「一瞬、女の子に見えた」「中性的な魅力がやばい」といったコメントが溢れていた。


でも、その中には「まさか、本当に女の子だったりしないよね?」といった疑問の声も混ざっていた。


これまで隠し通してきた「私の本当の姿」が、今まさに暴かれようとしている。

時間の問題かもしれない。


有本さんからの呼び出しを受けた私は、事務所の会議室に向かった。

部屋に入ると、彼はすでに資料を整理しながら待っていた。


「座って」


彼の声はいつも通り淡々としていたが、普段以上に鋭い視線を感じる。

私は緊張しながら椅子に腰掛けた。


「昨日の放送、反響がすごいな」


有本さんがタブレットを見せてくる。そこには、SNSのトレンド入りしている「#星弥くん可愛すぎ」「#NOVA STELLA神回」といったワードが並んでいた。


「注目度としては悪くない。むしろ、君の人気はさらに伸びるかもしれない」


「でも……」

私は言葉を詰まらせる。


有本さんは静かにうなずいた。

「問題は、君の本当の姿を公表するかどうかだ」


私は息をのんだ。


「事務所の上層部は、当然リスクを考えている。ファンの反応、メディアの扱い、スポンサーとの関係……何もかもが不確定だ」


「……そうですよね」


「しかし、一方で隠し続けるのも難しくなってきている。いずれバレる可能性が高い以上、先手を打って公表するという選択肢もある」


私は拳を握った。


「だから、事務所としては君の意志を尊重する方針をとることにした」


「……え?」


「公表するか、しないか。星弥――いや、神田星華として、君がどうしたいのかを聞かせてくれ」


私は答えられなかった。


もちろん、簡単に決められることではない。


このまま「星弥」としてNOVA STELLAを続けるべきか、それとも本当の自分を明かすべきか。


でも、もし公表すれば……ファンはどう思うだろう?

ずっと「男」だと思って応援してくれていたのに、実は「女」だったと知ったら?


「……少し、考えさせてください」


有本さんは軽く頷いた。「もちろんだ。だが、時間はあまりない」


彼はそう言い残し、会議室を後にした。


私は深く息を吐いた。




休憩室に戻ると、メンバー全員が集まっていた。


「話、どうだった?」


最初に口を開いたのは海翔だった。


私は一瞬迷ったが、隠す必要はないと思い、正直に話すことにした。


「……事務所は、俺の意志を尊重するって」


「意志?」昴が首をかしげる。


「つまり、公表するかどうかは、星弥自身が決めていいってことか」


海翔の言葉に、私は小さく頷いた。


「でも……正直、まだ迷ってる。女としてNOVA STELLAを続けたい気持ちはある。でも、ファンや世間がどう受け止めるのか……怖い」


しばらく沈黙が続いた。


「……俺はさ」


ふいに、海翔が口を開いた。


「星弥がどんな姿でも、NOVA STELLAはNOVA STELLAだと思う」


私は驚いて海翔を見た。


「お前が女だろうが男だろうが、関係ない。俺たちが一緒にやってきたことは、本物なんだから」


「そうそう!」昴が勢いよくうなずく。

「最初はめっちゃ驚いたけどさ、でも結局、星弥は星弥だろ?」


湊は無言だったが、静かに頷いていた。

その目は、すべてを理解していると伝えてくれているようだった。


私は思わず、唇を噛んだ。


「……ありがとう」


「で、どうする? 俺たちはどんな形でも、お前と一緒にやるつもりだけど」


海翔がまっすぐ私を見る。


私はもう一度、深く考えた。


自分はどうしたいのか。


本当に、どうしたいのか。


答えは、まだ見えない。


でも――


「……もう少し、考えさせてほしい」


「もちろん」

海翔は微笑んだ。


「じっくり考えろ」


昴も「うんうん!」と元気よくうなずく。


湊も、小さく頷いてくれた。


私は、彼らの優しさに胸が熱くなった。


NOVA STELLAとして、この先どうするか――私は、じっくり考えなければならない。




5.1.3 星弥の決意と新たな試練


「いいか、星弥」


有本さんが鋭い目でこちらを見つめる。


「バレるリスクがある以上、完璧に男として振る舞え。それができないなら、公表したほうがいい」


低く冷静な声が、事務所の会議室に響いた。


「……はい」


私はゆっくりと頷いた。


私が男に戻ることはもうないかもしれない。

でも、それでも私は――


神田星弥として、この場所に立ち続けたい。


「女であることを隠しながら、NOVA STELLAを続けます」


はっきりと、迷いのない声で答えた。


有本さんはしばらく黙って私を見つめていたが、やがて軽く息を吐いた。


「……まあ、お前がそう決めたなら、それでいい。ただし、これまで以上に徹底しろ」


「はい」


「星弥が男であることを疑われるようなミスを、一つでも犯したら終わりだ」


「わかっています」


そう答えながら、私は心の中で拳を握りしめる。


やれる。絶対にやれる。


私は、NOVA STELLAのメンバーとして、ここにいるんだ。



しかし、決意したその日から、すぐに現実の厳しさを思い知ることになった。


「……あっ」


レッスン中、つい癖で髪を耳にかけそうになり、慌てて手を引っ込める。


「星弥、どうした?」


昴が不思議そうに首を傾げる。


「な、なんでもない!」


私は笑ってごまかし、何事もなかったように踊り続けた。


「まあ、疲れてんだろ。あとでプロテイン飲めよ」


海翔が軽く肩を叩いてくる。


私はぎこちなく笑いながら、心の中で冷や汗をかいていた。


ほんの些細な仕草でも、以前の自分が出そうになる。


でも、それを完全に封じ込めないといけない。


星弥として、完璧に振る舞うために。



さらに難しかったのは、日常生活のちょっとした場面だった。


例えば、ステージ衣装を試着するとき。


「星弥、早く着替えろよ」


「う、うん」


楽屋で衣装を受け取り、更衣室に向かう。


これまではメンバーと同じように堂々と着替えていたけど、今はそうはいかない。


「早くしろよー、待ってんぞー」


昴が冗談めかしてドアをノックする。


「わ、わかってる!」


急いで衣装に着替えながら、私は心臓の音が速くなるのを感じていた。


メンバーに秘密を打ち明けたとはいえ、できるだけ余計な疑念を抱かせたくない。


「……なんとかしなきゃ」


私は小さく息を吐いた。



そんなある日。


撮影の合間、何気なくお茶を飲もうとして――


「わっ!」


袖がカメラ機材に引っかかり、バランスを崩す。


「きゃっ」


反射的に声が出てしまった。



「あっ……」


しまった、と思った瞬間。


周りが、一瞬静まり返る。


「……今、すげー可愛い声出なかった?」


スタッフのひとりが、怪訝そうに私を見る。


やばい。


「お、おいおい、勘弁しろよ」


昴が間に入って、慌てたように笑う。


「星弥、最近ボイトレの影響で声変わりっぽくなってんだよな? な?」


「あ、ああ……そうそう、発声練習のせいで」


私は慌てて笑顔を作った。


「そ、そういうことか……びっくりした」


スタッフはすぐに話を流してくれたけど、私は内心、冷や汗をかいていた。


(……このまま隠し通せるのか?)


不安が、じわじわと胸を締めつける。


でも、それでも。


私は前に進むしかない。


星弥として。


NOVA STELLAの一員として。


そう強く、心に言い聞かせた。

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