第22話 愚空

 獣の咆哮が大きくなり、空気の震動が近づいてくる。星鏡は腰を浮かせ、踵で拍車をかけ、手綱をふるった。

「ハイ、ハイッ!」と星鏡は必死に叫んだ。

翼竜が銜から泡を飛ばし、汗をほとばしらせている。星鏡が振り返ると、自分が乗っている翼竜よりも数倍巨大な翼竜が背後に迫っていた。しかも、それは、長い首を二つ持ち、交互に上下に揺らしていた。と、右側の首が鞭のように上方へしなったかと思うと、大波のように崩れ、大きな口を開けながら、真っ直ぐこちらへ迫ってきた。口の中に鋭い牙の向うに赤い舌が震えているのが見える。と、喉の奥からマグマのようなものがせり上がってくるのが見えた。

「まずいッ。火竜だ、ぐずぐずしてると、焼き竜になっち…」

 星鏡は叫ぶと、手綱をひねって、旋回し、急降下した。

 星鏡は鞍から振り落とされないように翼竜の首につかまった。翼竜は、長い嘴をまっすぐ地上に向け、急降下してる。風が顔にぶつかり、耳元でビュービューうなっている。振り仰ぐと、火竜が一筋の火炎を空に噴き出している。火竜はクジラのような腹と尻尾をくねらせながら、上空を悠々と通りすぎて行く。飛び去っていく火竜の尻尾の先を見送って、正面へ向き直すと、すぐ眼の前にまで地面が迫ってきていた。翼竜は前も見ずにしゃにむに地面へ突っ込もうとしていた。

「ぶつかるッ」

星鏡はあわてて、手綱を引き絞った。竜首がわずかに上向いた。嘴が地面をえぐって、土ぼこりをあたりに撒き散らした。小さな砂粒が星鏡の顔にぶつかってくる。翼竜の腹が地面をこする震動が鞍まで伝わってくる。礫が弾ける音が耳を打つ。星鏡は振り落とされないよう、再び翼竜の首にしがみついた。バウンドするたびにロディオをやっているようになった。跳ね上がるとき、必死に羽ばたいている翼竜がガチョウみたいな声を上げる。

バウンドしなくなり、砂粒が弾ける音が消え、砂埃が晴れると、草原の上を低く飛んでいた。眼下の草むらは翼竜の羽ばたきでうねっている。前方に森が見えてきた。その手前に小川が流れていて、水車小屋があった。水車小屋から砧を打つ音が漏れていた。星鏡は翼竜の首を撫でてやった。

「上手いぞ。墜落して、おしまいかと思ったぜ」

 これに答えるかのように翼竜が鳴いた。

「変な鳴き声だな。漢字は愚と空でいいか」と星鏡は翼竜の鳴き声を真似て翼竜の名前にして呼んでみた。すると、それに答えるかのようにまた愚空が鳴いたので、星鏡は笑った。星鏡は愚空の高度を上げ、周囲を見晴らしてみた。一面に深い森が広がっていた。森は不気味な静けさに満ちていた。鳥や獣の鳴き声がしてこないのをおかしいと思うと、次の瞬間に自分たちが上空からの暗い影に覆われたことに気がついた。森の面に巨大な火竜の影が写っていた。星鏡は、後ろをふり仰いだ。星鏡たちの上を火竜が飛んでいた。火竜は相変わらず左右の首を振り、星鏡たちへ火炎を放射するタイミングを図っているようだ。「しつこいやつめッ」と星鏡は頬が引きつるのを感じながら鋭く叫んだ。

「逃げるぞ。愚空」

 後ろからゴーッという火炎が吐かれる轟音がしてきた。星鏡はすぐに横滑りした。すぐ真横を火炎がかすった。

「ふう、危ねえ」と星鏡は額の冷や汗を拭いながら振り向くと、火竜の右側の首がしなって火を吹き出そうとしている。星鏡は横滑りしながら下降していく。火炎の轟音が聞こえてきた。星鏡は左に旋回しながら徐々に下降していった。左上を見上げると、火竜も左へ旋回しようとしていたが、巨体のため、大きく回らなければならなくなっていた。今のうちに速度と高度を落として、森の中へ逃げ込もう。

「ゆっくり! このまま森の中へ突っ込むんだ」

 どんどん、森の面が迫ってくる。樹々の梢と愚空の脚と尻尾がこすり始めた。樹から驚いた鳥たちが叫んで飛び立つ。速度が落ち、樹々の梢が波うってる様子がよく見えた。星鏡はさざ波の揺れる海に飛び込むように愚空と樹々の茂った葉叢の中へと潜り込んでいった。バサバサと枝と葉が手足を擦る。スピードをまったく失った愚空と星鏡は枝葉の間を地面に向かって落ちていった。星鏡は地面にしたたかに叩きつけられ、バウンドしながら樹々の根方を転がっていき、大きな木の根元にぶつかると、ようやく止まった。激しい痛みを感じたが、息もつまってて呻き声も出せない。苔と落葉の臭いが森の中に漂っている。うつぶせに倒れている星鏡の眼の前をアリの行列が葉を運んでいた。それを見つめているうちに、痛みとショックのうねりが去って、ようやく星鏡は立ち上がることができた。衣服に着いた葉や泥を手で払っていると、巨大な翼を羽ばたく音と、獣の叫ぶ声が聞こえてきた。星鏡は樹の陰に身を寄せ、空を見上げた。巨大な火竜の影が上空をよぎっていくのが見える。

「どうして、こんなに執拗なんだ」と星鏡はその影を見上げならくやしそうに独りごちた。

 火竜の影が消え去ってから、愚空の姿が見えないのに星鏡は気づいた。

「愚空、愚空。どこだ? 返事をしろ」と星鏡は周囲の森へ向かって呼んでみた。しかし、声が樹々に吸い込まれていくだけだ。愚空の姿は見えず、返事もない。星鏡はもう一度辺りを見まわし、名前を呼んでみた。やはり、返事もなく、姿も見えない。

 周囲を探してみようと、一歩踏み出したとき、足下に一枚のカードが落ちているのに星鏡は気づいた。星鏡はそのカードを拾った。裏になっていたので、表にしてみた。表には愚空の姿が絵が描かれていた。星鏡はしばらくそれを眺めた後、黙ってそれをポケットにしまった。そして、周囲を見まわし、ため息をついた。

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タロットダイバー 夏沢誠 @natuzawa

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