第20話 偉大なる指輪
星鏡は竜首を引き上げ、上昇し、『夢』の家の上を飛んで回ってみた。その家の屋根には無数の風船が結びつけられており、それによって空に浮かんでいた。それを見て、星鏡は、「風船の家おじさん……」と呟いた。
風船の家おじさんは、かつて子供たちに夢を与えるためにこの風船の家で世界を一周する冒険に出たのだった。人々が無謀だと非難し、当局も飛行許可を下ろさなかった。しかし、風船の家おじさんは、そういった非難や法律を無視して飛び立ってしまったのだった。ただ風船を家に括り付けただけの乗り物なので、風まかせ。後は、風船が割れてどこかに落ちるまで、飛び続けるだけの代物なので、飛び上がったところでどうにもならないと、
すぐにというよりかようやく、おじさんは気づいたのか、SOS信号が出されたが、救助に向かった飛行機に笑顔で手を振っていたことと、救助しようにも空に飛んでいるのではできないことから、救援機も引き返さざるおえなかった。その後、風船の家おじさんがどうなったのか誰も知らない。今も、世界の空のどこかで浮かんでいるという噂だった。それが、この世界の空をさ迷っていたのだ。
無謀で杜撰で幼稚な夢。
星鏡に紐がほどけるようにこのカードの象徴性が次々と見えてきた。
『夢』とは無職の引きこもり、ゲーム廃人、惰眠、風まかせ、現実逃避。空に浮かぶ家の中で呑気に眠っていて、床下で起きている『ジェノサイド』『ハルマゲドン』などの危機はおろか、家が風船で空を漂っているという自らの危険な状況にも気づいていない。だが、物事は転じれば、いいこともある。休息と回復、余暇や娯楽、夢と空想の世界。
考えようによっては仙境でもあるな。星鏡は翼竜の背から風船の家を眺めながらそう思った。星鏡は、風船の家から離れ、滑空していった。ところどころに白い雲がわき、ちぎれていた。星鏡は正面から左右に目をやった。と、ふと軽い眩暈を感じた。もう一度、正面、左右へと目をやってみた。けれども眩暈の感じが消えない。世界が内側に湾曲して見える。空間識失調かと思って、星鏡は翼竜に脚で合図を送った。翼竜がゆったりと羽ばたきを始めた。星鏡は、正面から上方へとゆっくりと目を向けた。左右もよく見てみた。鐙と翼の下をのぞき込むようにして地上も眺めてみた。タロット・カードの世界だったら、『愚者』の崖の上から、タロット世界を一望することができる。タロットの大地には山や川や湖があり、平野には田園風景が広がっていて、お城や街が点在している。そこには四つの王国と一組の『皇帝』と『女帝』がいて、高い『塔』が聳えている。その大地はどこまでいっても平らだ。つまり、タロット世界は中世ヨーロッパ的な世界観の中にある。だから、大地は平面であり、天が移動する天動説の世界だった。タロットカードが主に中世ヨーロッパで発展したからだ。
しかし、この世界は……。平らでもなければ、球体でもない。
翼竜上から正面を見晴らすと、山や森が広がる大地が見える。その地平線は見えない。それどころか、地平は奥に行くにしたがってせり上がっていき、真上まで覆いかぶさるように大地が続いている。そしてその大地はぐるりと回って、星鏡の後ろまで下りてきて、最後には足下にきているのだった。大地は星鏡の周りに大きく円を描いていた。だからといって、球体の内部にいるのではない。なぜなら、左右を見れば、そこには青空が広がっているからだ。つまり星鏡たちは巨大なリングの内側を飛んでいるのだ。おそらく、リングの内側に沿って吹く風の流れでもあるのだろう。星鏡と翼竜はそれに乗っているようだった。
星鏡は思わず叫んだ。グレートリングとはこの世界の大地の形を意味していた。なぜ、このような形をしているのかはわからない。だが、このことは、このグレートリングカードが世界がリング状になっているという世界観を持った時代と人々によって創られたということを意味する。
翼竜がゆったりと羽搏いている。
穏やかな空だ。ときおり風が細い唸りを上げている。もう一度、星鏡はこの世界をぐるりと見渡してみた。緑豊かで湖は青く澄み、美しい世界だった。
と、ふと、微かに空気が震えたような気がした。翼竜がピンと両耳をそばだて、横へ向うともぞもぞとしていた。と、また、微かに空気が震えた。遠くから狂暴な獣の咆哮がしてくる。星鏡は恐る恐る後ろを振り向いてみた。星鏡はすぐに前に向き直ると、身を低くして、両足に力を込めた。そして、手綱を軽く鞭のように振るった。翼竜も頭を低くして、首をのばし、羽ばたきを強めた。
「逃げるぞ!」と星鏡は翼竜に向かって叫んだ。それから「小乙女…」とあせりをにじませた声で呟いた。
急がなくては。この世界にハルマゲドンが近づいている。
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