第13話 偉大なる指輪のカード
星鏡が目の前にかざされたカードの絵をいぶかしげに見つめている。
カードには、無数の宝飾品が飾られ、刺繍が施された豪華なドレスを着た女性が描かれている。
『クイーン』かな……、と星鏡は思った。
クイーンは八畳ほどもありそうな広い裳裾のスカートを履いていた。それが床にすらないように女小姓たちが持ち上げている。星鏡はクイーンの顔と女小姓の顔をよく見ていった。ふと、星鏡はある女小姓の顔に目を止めた。そして、ハッとなった。
「お気づきになられましたか」
星鏡は喉がつまった。返事ができなかった。
「そうです。占部小乙女女史です。タロット占い師として将来を嘱望されていたのに…、こんなことになってしまって残念です」
「なぜ、こんなことに……」と星鏡は言葉をしぼり出した。
「彼女がぜひこのデッキにダイブしたいと申されたので……」
「小乙女にはまだ未知のデッキへのダイブは無理だ。危険すぎる。それなのに、こんな真似を……」
「彼女自身が望んでダイブしたのです」
「そんなバカな……」
「『ナポレオンのタロット』というデッキをご存じでしょうか」
言葉を失いかけている星鏡に赤い男が言った。
「ああ、もちろん」と星鏡は頭を抱えて返事をした。
「小乙女女史はそれを求めてわが主の元へ手紙を寄こされたのです」
「あれはただの伝説だ。そんなもの存在しない。小乙女にもそう教えている」
「そうでしょうか……?」と男が冷笑してから静かに言った。
「『ナポレオンのタロット』……。伝説によれば、そのカードは15世紀の北イタリアはミラノで生まれたと言われています。最初に歴史に登場する所有者はフィリッポ・マリア・ヴィスコンティ。彼はギヨーマ派の修道士から古びた賭け札のデッキを『幸運をもたらすカード』として譲り受けた。はっきりとは記録に書かれていませんが、当時教皇から禁止されていたギャンブルの代償だったのではと言われています。乞食修道士に残された唯一の財産であったカードを手にしたフィリッポは、当初は『幸運をもたらすカード』などとは信じてはいなかった。しかし、その後、ミラノ公にまで上りつめ、戦争で勝利を続け、北イタリアの覇権を握ったころにはそれを信じるようになっていた。カードは娘婿のフランチェスコ・スフォルツァが受け継ぎ、彼もまたミラノ公にまで上りつめ、民衆の人気を背景に覇権を握ることになります。その後、カードはスフォルツァ家の当主が引き継ぐことになるかと思われましたが、ほどなく、カードは流失。政敵の手によって盗まれたとも言われています。それからは、人の手から手へと渡っていき、それを手にしたものに幸運をもたらしていきました。あるものは教皇にまで上りつめ、また、あるものは大富豪となった。あるときは、メディチ家にまでももたらされ、一族をトスカーナ大公にまで上らせた。やがて、カードはイタリアからフランスへと渡り、ルイ十四世、十五世が保有し、フランス絶対王政の絶頂期をもたらしました。ですが、ルイ16世のときに、カードはマリー・アントワネットの無邪気ないたずらにより巷間へと流失してしまいます。そして、そのカードを若き日のナポレオンがパリの古書屋で運命的に手に入れることになるのです。言うまでもなく、その後、ナポレオンが王党派の反乱と対仏大同盟という逆境を覆すと、世界征服への野望に目覚め、世界の半分を手中に収めかけたのはご存じかと。しかし、1812年の冬、ロシア遠征からの敗走の混乱の中でカードはナポレオンの手から放れてしまったのです。その後は、誰の手に渡っていったのか、カードの行方は杳として知られてません。一説にはロシア皇帝アレキサンドルの手に渡ったと。ナチスや関東軍もその行方を必死になって探していたとも言われていますが、彼らがそれを手にできたかどうか……」と男は残念そうに首を振った。
「まさか、あなたの主がそれを?」
「持っていたと? その答えはここの小乙女小姓にお聞きください」
そう言って男はカードをかざし、絵になっている小乙女を指で叩いた。
「わが主は医師であるかたわら、絵画趣味を持ち、マンダラなどの図像学の研究家でもあります。また、カードやホロスコープ、算木などの占具の収集家でもあります。小乙女女史は、わが主のクライアントであるさるIT企業の
「別に珍しい話じゃない。誰もがその名を知るような大企業の取締役や大物政治家が、経営事業に関する悩みや政局について占いを立ててもらうということは昔からよくある。そもそも政とは祭祀でしたから。それに巫女は若い女性がなるものでしょう。若い女性には霊力があるのです。それから、リーダーというのは孤独なのです……。自分一人にかかった重責を考えると、何かに頼りたくなるのは当たり前です。最先端科学技術企業の社長が神仏の信仰にのめり込んでいたり、企業が新製品の売れ行きを超能力者に見立ててもらったりすることもある。それだけじゃない。科学技術者になった動機がUFOを創りたかったという人がいるどころか、実際に創ろうとしている人もいる。オカルト否定論者の科学者が過去には永久機関の研究をしていたという話もある。人間が矛盾しているおかげで、われわれのような商売が成り立つ。あなたは人智を超えた存在を信じないのか」
「信じるも何も……」と男は小さく首を振って薄笑いを浮かべた。まるで、自分がそうだと言わんばかりだ。
「ところで、手紙を受け取った主は、それを欲するなら当館へお越し下さい、当館には珍しいカードや図像がたくさんありますよ、と返事を認めました。そして、小乙女女史は当館へと訪れてきたのです」」
「なんという危険な真似を…。彼女を罠にかけたのか」と星鏡は男をキッとにらんだ。
「そんなことはいたしておりませぬ。小乙女女史は自ら望んでダイブされたのです。当館へ訪れた小乙女女史は、館に所狭しと飾られている古のタロット・カードやホロスコープなどに心を奪われているようでした。女史は、当館内を巡りながら、主に質問を投げかけ、目を輝かせて貴重なコレクションに見魅っていました。そうして一通りご覧になってから、一番最後に飾られていた最新のカード・デッキにふと目を止められました。女史は、こんなカードは見たことがない、一見したところ凶々しさが漂っているが、このカードは一体何かと主に訊かれました。主は、このカード・デッキはまだこの世に生まれて間もないもので『偉大なる指輪のカード』すなわちグレートリングカードと名が付けられていると返答いたしました。主からカードの由来と目的について聞くと、小乙女女史は、ぜひこのデッキにダイブしたいとおっしゃられたのです」
「『
「そうです」
「なんて無謀な! 未知のカードにダイビングするなんて。でも…」と星鏡は頭を抱えて首をふってから、弱く微笑んだ。「小乙女……、君らしい」
「主はその願いをはねつけました。このデッキはすでに二人の世界的なタロットダイバーを呑み込んでしまっている危険なカードだ、まだあなたのような若いダイバーには無理だ、このデッキにダイブできるのは後は世界にただ一人、向星鏡しか残されていないと申しました」
「買いかぶってくれたものだな」と星鏡はため息をついた。
「すると、向星鏡は私の尊敬する師。師がダイブする前に私がダイブして、いつも人を子供扱いして偉そうな師を驚かしてやる、と小乙女女史もかえって引き下がらなくなりました」
「そんなにあせらなくても……、君は、いずれ私など足元にも及ばないようなすごいダイバーになれたのに。それに俺はいつもエラソーだったのか」と星鏡は顔を両手で覆った。
「それで、主も折れました。ただ一つ条件を与えました。あるタロット占いの難問を与える。もし、これでタロット世界から主の望むものを持ち帰ってこれたら『
ダイブは後日、小乙女女史のフォーチュンテリング・ルームで行われることになりました。女史は私の目の前で、見事にダイブしていきました。しかし……、いくら待っても戻って来ることはなかったのです。タイム・リミットを過ぎたので、私はあわててカードを調べてみました。そうしたら、このようなことに…」
そう言って男は手にしたカードをテーブルに放った。
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