ほどほどの恋をしよう

ぽんぽん丸

高嶺の花子さん

バスの車内に美しい花が咲いている。


彼女は水色のリボンが巻かれたストローハットをかぶり、白いワンピースを着ている。まるで太陽がそのためにそこにいるみたいに、窓際の席で照らされている。しかもその日は薄曇りで、まるで撮影のために調光されたみたいに、綺麗に照らされている。


彼女は文庫本を読んでいる。私の知らない本。肩口くらいの黒髪から覗く、本の知的な印象そのままの顔立ち。柔らかく照らされた肌は、まるで硝子みたいに透明感と儚さがある。そのか細く繊細な指でページがめくられるたびに私は高鳴ってしまう。これが通学のためのバスで、である。それから私は毎日、苦しかった。


あまりに彼女に一目惚れし過ぎている。キモイ。彼女の読んでいた本を買ってしまった。彼女が降りる場所、その後乗る電車の向かう方面、日々の持ち物からおそらく美術の専門学校に通っているであろうことも予想していしまっている。行きだけでなく、彼女の帰りの時間についても水曜日と金曜日はだいたい把握してしまっている。キモイ。圧倒的にキモイ。だが思考してしまう。もうキモくない自分には戻れないのである。


しかし進むこともできない。倫理的にどうか、彼女の気持ちを考えたらどうか、ということではない。


「あっ…えっあ…その…あっっの」

(あの本私も読みました。おもしろかったですよね)


私はきっと彼女の前に立つとそんな風になって、その晩私は殺人衝動に芽生えて未遂だが実行してしまうことだろう。自分自身に。


知り過ぎてしまった。愛ゆえにまともには接することができない。だから私はもう、恋を叶える資格を喪失してしまったのである。


だがそんな私を救ったのもまた彼女であった。解放は唐突に訪れた。


その日はなんと彼女の友人がバスに乗っていたのである。思えば私は彼女の声を聞いたことがない。


好きな人の声を聞ける。


私の胸は高鳴ってもう直視できない。どこにも視点が定まらない。仕方なくスマホを膝の辺りに構えてその実、路面の凹凸に揺れるバスのくだらない床の模様や自分のニューバランスの靴の汚れを目に映すばかりだ。


はじめに聞こえてきたのはキツい大阪弁。


「そんなん、うやろ!!信じられんわ!」


それに答えるのは静けさの中に芯のある声。

「本当だって。またそうやって信じてくれないんだー」


私は吐きそうだった。解釈一致過ぎた。胃から体がギュルンと裏返しになって、筋骨隆々の外人が屋外でBBQをする動画みたいにスパイスを塗りこめられながら「この辺りの伝統の調理です。美味しくなります」みたいな短めの味気ない字幕を付けられてしまえばいい。


そんな、もうなんだかよくわからない、私は恋の混乱に殺されそうだった。


そこから彼女達が何を話していたかは覚えていない。だけどきつい大阪弁が聞こえて、その後に理想の声が聞こえて、サウナと水風呂みたいで、私は悶え続けた。


いつも彼女が降りるバス停でいよいよ私は意を決して彼女の方を見た。


大阪弁が彼女のほうであった。


キツイ大阪弁と感じていたのは彼女の方だった。疑った。でも確かに彼女の口が動くと少し酒焼けした友達のものだと勘違いしていた声がする。私は出来うる限り何度も疑った。だけど確かにあの美しい女性からその声がした。


「あんた、いっつも嘘みたいな話するし、オチもないしかなわんわ!いくで!」


ベテラン漫才師のはずがない20歳前後の女性が言った言葉がバスの中に響き渡り彼女は降りていった。解釈不一致であった。


突如私の脳内に広がる記憶。『クワバタオハラがおったらそこはもう大阪や!!』まさにそんな感じ。鮮やかな赤と水色のナガノが脳内で叫び出してもう止められない。


止むことのないナガノが終わりを告げる。私は数か月に及ぶ恋から解放される。もう彼女を照らしていない通学時間の朝日が、私に注いでいる。窓ガラスに映る自分を見た。間抜けな顔をしている。間抜けヅラを凝視していると少し笑いだした。へへへ、という感じだがあまりキモくなかった。


次は、ほどほどの恋をしよう。キモくならないように、知らない外人のYou Tubeで肉みたいに好きにされるような混乱はダメだ。自分らしく笑えるように。そう決めた。


バスが駅についた。私は空いてるバス車内を、なんとなくイワシになって前まで泳いで進んでみる。

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ほどほどの恋をしよう ぽんぽん丸 @mukuponpon

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