2

「怖いがなくなったら、逆に弱くなるんじゃない?」

 

二人きりに戻った部屋で、自分の考えたことを口にしてみた。林さんの早業に気を取られていた杏は、私の言葉に一瞬不思議そうな顔をする。だが、すぐに思い出したようで、続きを促す表情になった。


「怖い気持ちがなくなるってことは、失敗するのも怖くないし、嫌われるのも怖くないし、嫌うのも怖くないってことじゃん。そしたら多分、ダンスも歌もミスるし、ファンの方やスタッフさんへの対応も適当になっちゃうと思うんだよね」 

「……なるほど?」


納得したようなしてないような曖昧な返事。それがなんだか可笑しくて、つい口元が緩んでしまう。彼女はたまにこういう言い方をするのだ。実際、私の発言は杏が言いたいことと少しずれている。そのことは自覚していた。

 

「でも、ステージに立つのが怖いってマイナスなことじゃない? なんというか、怖いの種類が違うのかな」

「そうかもね。怖いって一口に言っても、種類もレベルもさまざまだし。私なら、怖い気持ちがなくなってほしいというより、怖いを利用したいかな」

「どういう意味?」

「ミスるのが怖いからたくさん練習するし、ステージに立てないのが怖いから体調管理しっかりするし、飽きられるのが怖いから常に今までで一番可愛くあろうとする、ってね。怖いって思うからどれも頑張れるんじゃないかって気がするんだよね」

「なるほど。怖いから頑張れるっていうのは確かにあるかも」


今度は納得がいったらしい。血色のよい唇に力を入れて、真剣な表情で頷いている。それを見ながらふと思い出して、私はバッグからチョコレートを取り出した。ライブ前にチョコを食べるのは私のルーティンだ。

 

「ライブ前に考えすぎると頭疲れちゃうよ。はい、糖分」

「さっき大福食べたから平気だもーん。もちろんもらうけど」

 

ハート型の小さいチョコを差し出すと、杏は嬉しそうに受け取った。だいたい毎回こうやってお菓子を分け合っている。なので、もはや大福とチョコを食べるのが二人のルーティンであると言ってもいい。仲良いね、と同業の友人に言われることもあるが、実際にそうだ。長い付き合いだし、ずっと二人でやってきたから仲の良さには自信があった。私の隣には絶対に杏がいる。恥ずかしいから本人には伝えないが、怖い気持ちを軽減してくれるのはその事実なのである。


「それにさ、怖いを乗り越えた方が最強!って感じしない?」


私はチョコを一つ口に含んでからそう言う。ミルクチョコの優しい甘さが舌に染みた。同じくチョコを口に入れた杏は、私の言葉にハッとした顔をしている。パッチリした目が、さらに大きく開かれていて、どことなく猫っぽい。

 

「さすが楓、いいこと言う」

「でしょ」

「最強になるなら、試練は必須だもんね。よし、そうと決まれば、怖いを乗り越えてくぞー!」

「あれ、今何が決まった?」

「最強になること!」


きっぱりと言いきった彼女は、どこにでもいる普通の女の子ではなく、自信満々で強くて可愛いアイドルだった。このやり取りで何かが解決したわけではない。でもきっと彼女なりの答えを導き出したのだ。


間もなくして、林さんが私たちを呼びに来た。衣装に着替えて、メイクをして、可愛さとかっこよさを何倍にもしていく。それに伴って緊張が何倍にもなっていく。

 

開演数分前のステージ裏。いつものように手が冷えている。それに、そわそわして落ち着かない。隣で鏡を確認している杏も、おそらく一緒なのだろう。顔がやや強ばっている。なんとなくその手を握ると、私と同じくらい冷たかった。

  

「つめたっ」

「お互い様だよ」

 

二人で顔を見合わせて笑う。怖いけど、きっと二人なら大丈夫だ。杏となら乗り越えられる。

 

「じゃあ行こうか、最強になりに」


私の言葉に杏が頷く。その顔は、怖いといいながらわくわくしているように見えた。

 

音楽が鳴ってライブが始まる。ペンライトの光が降ってくるステージへ、私たちはめいっぱいの笑顔で駆け出した。



fin.

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最強のアイドル 松下柚子 @yuzu_matsu

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