第17話 あの頃の私たち

「さ、私のアパートに着きましたよ。今日は先輩のお話聞いてスッキリしましょう!」

「……うん」 


 アパートについた私たちは、散らかったテーブルを片付けて飲み会の準備を始める。


「結衣。ゴメンね。こんな情けない取引先で」

「気になさらないで下さい。今日はパーッといきましょう」

「そうね。相変わらず本棚は整理されてるけど、机の上の書類が積まれてるのが意外」 


 私は、泣き疲れて腫れぼったい目をした怜先輩を元気づける為にわざと明るく振る舞った。

 テーブルにはチューハイレモンやらハイボール、カクテルジュースといった缶ジュースを並べて中央にたくさん買ったおつまみを配置した。


「……お酒の趣味は女の子っぽいのにおつまみは意外とおじさんなのね。イカの塩辛とビーフジャーキー」

「悪かったですね、中身がおじさんで」


 私たちはクスッと笑う。良かった。少し先輩が元気になってきたかも!


「あれ、思ったよりキッチン使ってる? ちゃんと料理してるんだ……」

「あ、最近料理始めたんですよ!今簡単なものなら作れますが、食べます?」

「お、良いね!頼むよ」


 私は先輩の明るさを取り戻した事に喜び、ルンルン気分で準備をする。

 冷蔵庫にある鶏肉と旬野菜をいくつか取り出した。そこからフライパンにオリーブオイルを引いて炒めていく。更にそこから塩胡椒やミックススパイスを絡めて味を調える。

 

 あれ? まずい、端っこ焦げてる!


 これはこっそりと捨てておこう。


「んー、いい匂い。私テキトーな料理しか作れないから羨ましいな」

「ふふ、私も簡単なものしか作れませんよ。はい、鶏肉と旬野菜の炒め物ですよー」

「おー、ちょっと手を加えただけで美味しそう」


 私が怜先輩の元へ料理を運ぶと、先輩は子供の様にはしゃぐ。良かった、焦げた所を避けた事がバレてない。


「さ! お酒飲んで食べてスッキリしてから一緒に考えましょう!」

「はい! 乾杯!」


 こうして、ふたりだけの飲み会が始まった。


「この野菜炒め美味しい!」

「そう言ってくれると嬉しい!」

「あ、この新玉ねぎ焦げちゃってる」

「あ!すみません!実は火力強すぎちゃって」

「良いって。私気にしないよー」

「あはは、なら良かった」


 私たちは普段の仕事の愚痴を言い合い、一通りのおつまみを摘んでお酒の缶を二本ほど開けていく。そんな中、程よく酔った怜先輩が重い口を開く。


「ねえ、結衣。今だから言うけど、あの時本当は……貴方と別れたくなかった」

「……私もです」

「ふふ、そうなんだ。やっぱり、貴方の担任の先生に言われて別れたのを未だに後悔しているの」


 そう言って、怜先輩はハイボールを飲み干した。私もつられてグラスを傾ける。


「友情への好意は恋愛と勘違いする事が良くあるのよ」

 進路相談室で、担任の先生が冷たく言い放った言葉が蘇る。


「あの先生、今思えば価値観が古いですよね……」


 私は苦笑する。


「でも、あの時の私は、言い返せなかった」

「『同性同士の変愛ごっこは成長過程で起こりうる事だけど、行き過ぎは社会的に良くないわ』だっけ」

「先生にあんな風に言われたら、抵抗するのは難しかったですね……」


 そう。私たちには、あの場で戦うだけの覚悟がなかった。

 ハイボールを飲み干した私たちはあの頃を振り返る。


「周りと違う人生を選ぶ覚悟も、それを貴方に頼む覚悟も無かった。たとえ、あの二人みたく歪んだ愛情であっても、素直になって相手と向き合う覚悟が必要だったんだ……」


 ——怜先輩の声が、一瞬だけ震えたように聞こえた。

「……先輩、もしかして薫さんと龍世のこと、怖いんですか?」

「……正直、ちょっとだけね」


 そう言って、先輩は視線を落とす。


「あの時彼女のノートパソコンを見た時、驚いたの。おそらく、龍世との……その……記念撮影が入っていたわ」


 そこで私はようやく気づく。

 龍世さんと薫さんのアプリの購入履歴を見れば、大体のことは分かる。きっと、お互いに傷つかない範囲で遊んでいるだけだ。

 でも、それでも、怜先輩にとっては「見たくないもの」だったのかもしれない。


「でも、薫さんのこと、ずっと怖かったわけじゃないですよね?」

「……昔は、弟みたいな妹の薫がこんな風になるとは思ってなかった」


 先輩は、グラスを傾けながら、ふっと力の抜けた笑みを浮かべる。


「そういえば……最初に、薫のことを怖いと思ったのは……あのふたりが中学一年になった頃の年末の大掃除」


 年末の大掃除。私たちは屋根裏に入り込んで、見てはいけないものを見つけてしまった。


「お父さんたちの……成人式の写真……?」


 それを見た時の薫の表情を、今でも忘れられない。


「なぁ、何で俺の父親が薫の母親にキスしてんだ?」

「りゅーせー、こっちの写真だとうちのお父さんがおばさんにキスしてんじゃねぇか……。ビール缶片手に腕を手に回して」

「ねぇ、ふたりとも全部キスやお酒の写真ばっかだよね」


 このときの三人は、こわばった表情で写真をかき集めて確認していたそうだ。どの写真も若い頃の双方の両親がお酒に酔ってキスをしたりお酒を一気飲みした写真ばっかりで、今の両親とは思いたくないものだった。



「これ、キスの写真しかないけど、もしかして探したらがあるんじゃないか?」


 ——その瞬間、屋根裏が一気に冷えた気がした。


 薫の言葉に、先輩ら三人は息を呑んだ。


「……あ?」


 龍世さんが拳を握りしめる音が聞こえた。


「で、薫が『だったら、うちらって本当は誰の子供なんだ?』って呟いたら、龍世くんが薫の顔をぶん殴って帰ったんだよ。……その時に倒れ込んだままドブ川のように濁った目で天井を見つめる薫の顔が怖かったんだ」


「そ、そんな事があったんですね」

「今でも夢に出るよ」


 中学生の頃の薫さんを語る先輩の手が震えていて、持っていた箸を落としてしまった。

「まるでゴミ処理場に捨てられたボロボロの人形のようにピクリとも動かない妹は……怖かった」


 怜先輩は、震える指でハイボールのグラスをなぞる。


「あの記念撮影の動画の中で、幾つも似たようなのがあった」


 私は思わず息を止めた。


「……つまり、それって」


「あの時、屋根裏で動かなくなった薫が……龍世の前でまた、同じ顔をしていたのよ」


 怜先輩の指が、小刻みに震えている。

 さっきからずっと、落ち着かない手の動き。


「今でも夢に出るよ」


 ぽつりと呟いたその声が、いつになく弱々しくて、私は何も言えなくなった。


「あの時から……私は家を出ることばかり考えていたのかもしれない」


 薫との距離を感じたまま、高校受験。

 その後、怜先輩は大学進学を理由に家を出た。


「でも、薫のいじめ問題が起きた時、本当は助けられたはずなのに……」

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