第16話 姉と妹の確執
「もう、我慢出来ない!」
「せ、先輩!落ち着いて!」
「あ、お姉ちゃんたちいたんだ」
怜先輩が立ち上がり、自分の席から薫の席までぐるっと回って近づく。私が止めに入ろうとするが、両手にお水とカモミールティーを抱えて手が塞がってる。
私は急いでテーブルに置いてから急いで先輩の所へ向かおうとするが、間に合わなかった。
「あんたね、私がどんな気持ちであんたたちの事を思っているのか知らないでしょ!なのに何で私に」
「だってお姉ちゃん忙しいんでしょ?」
感情的に怒りをぶつける怜先輩に対して、薫さんはきょとんとした顔でピシャリと切り捨てた。
「え……あ……」
さっきまで怒っていた先輩の顔がみるみる青ざめていき、薫さんから後ずさる。
「私が中学の陸上部のいじめ問題で助けを求めた時に言ってたよね。『私は就活で忙しいの。あんたは陸上部エースなんでしょ? ひとりで解決できるから頑張って』だから、ふたりで考えて龍世と共に生きるって決めたの」
—— 空気が、重い。
まるで、ここだけ時間が止まったみたいに、誰も動かない。
怜先輩の顔から、みるみる血の気が引いていく。
さっきまで怒っていたのに、今はまるで何かに押し潰されそうになっているみたいだった。
「そ、その時は……」
声がかすれて、震えている。
何か言おうとしているのに、言葉が出てこない。
—— 違う、そんなつもりじゃなかったんだって、先輩は言いたいんだろう。
でも、それを言える雰囲気じゃない。
「さっき旦那様のお義父さんも言ってたけど、『自分の言葉は自分で責任』を持とうよ。お姉ちゃん。大人なんだしさ」
「ごめん」
「お姉ちゃんは謝る必要ないでしょ? むしろ私たちはまだ就職して働いた事ないからお父さん達の実際の苦労は全く分からないの。だから、あの時みんな仕事で忙しい中『助けて欲しい』ってわがままを言った私がいけないんだしさ」
怜先輩と龍世さんの母親は唇を噛んで、何かを言いたそうにするが、結局何も言えないまま目を伏せる。
怜先輩の父親は拳を握りしめたまま、ただ俯いている。
—— みんな、何も言えない。
薫さんが言った言葉が、あまりにも正しくて、反論する余地がないから。
「でもだからって、いい加減にしてよ!」
怜先輩が感情的になって薫さんのほうへ詰め寄って今にもビンタしそうだ!
このままだと、本当に後戻り出来なくなる!
私は走って先輩を止めに入るが……。
「薫のお姉さん。ここは一旦落ち着いてくれませんか? お姉さんを蔑ろにしてしまった事は謝ります。だから」
私が先輩の肩を掴むよりも前に、龍世さんが薫さんの盾になって先輩の手首を掴んでとめる。
「怜先輩! 先輩たち家族で何があったのか分かりませんが、ここは落ち着いて下さい。他のお客様の迷惑になりますから」
私と龍世さんで怜先輩を宥めると、怜先輩は肩を震わせてへたり込む。
「私は……薫の姉なのに、何も知らない。知らされてない」
「い、今は無理でも、これから挽回出来ます。お辛いでしょうが、私のアパートでゆっくりお話聞きますから」
私は後ろから先輩を抱き寄せ、静かに泣いている先輩の頭を撫でて落ち着かせる。
「……俺たちも人のこと何も言えないな」
低く呟いたのは、龍世の父親だった。
怜先輩の方を一瞥し、それから薫さんを見る。
「私たち親が龍世や薫さんに寄り添えなかった事は謝る。申し訳なかった。ふたりの覚悟がある事は伝わった。少なくとも龍世の父親としては婚前契約と大学進学。結婚に反対はない。母さんもそうだろう?」
「え、えぇ」
龍世の父親は、俯いている三人を代表する形で話の場に加わる。そうだ、私たちも似たような事を学校の先生に見られた事があった。私と先輩といちゃいちゃしている所をみられて注意を受けた。……その時は、龍世さんの様に覚悟が出来なくて答える事が出来なかった。
「父さん」
「だが、一つだけふたりの覚悟を試したい。万が一、離婚したらどう落とし前をつけるつもりだ? 検察官、弁護士の立場として言わせるが、離婚のリスクも明記する必要がある」
龍世さんの父親の冷静な一言で、龍世さんと薫さんの表情が引き締まる。
「龍世。私たち夫婦は高校生の頃から結婚するまで少なくとも三回は別れた」
「あ、あの堅物の父さんと母さんが?」
「ふたりは高校生卒業後夫婦になるつもりだが、もしもお互いが嫌になって別居や離婚する話になったらどうするつもりだ? そのへんは弁護士の母さんに詳しく聞けば良いが、この社会で永遠の愛を誓ったふたりの離婚調停ほど醜いものはない」
「わかった。俺たちの覚悟を証明する。母さん。弁護士としてお願いするけど、次の機会で正式に婚前契約書を作ってくれ。今のままだと冷静な話し合いが出来ない。次は、薫のお姉さんも含めて」
「えぇ、わかったわよ」
こうして、先輩の妹夫婦の進路相談はお開きになった。……何で、あの時龍世さんみたいな覚悟が私たちになかったんだろう。私にも、あんな啖呵を切る勇気があれば。
「……何よ。そのついで感は」
「先輩。愚痴なら後で聞きますから」
私たちの食事代は向こうのご家族が負担する事になり、ファミレス近くのコンビニでお酒やおつまみを買ってからタクシーで帰ることにした。
「一ノ瀬さん。私たちのお見苦しい痴話喧嘩をお見せして申し訳ありません」
「か、薫さん。い、いえ。こちらこそ部外者の私が出しゃばって」
タクシー乗り場にて、薫さんと龍世さんは、憔悴しきった自分の姉と私に深々と頭を下げる。
ふと見ると、薫の指が震えていた。長い話し合いの中で、彼女もまた緊張とプレッシャーを抱えていたのだろう。
「そんな事はありませんよ。うちのお姉ちゃんの事面倒見てくれてありがとうございます」
「あ、いえいえ」
「……何よ。なんの用?」
「お姉ちゃんと喧嘩しに来たんじゃないよ。おふたりが関わってるアプリの開発のご活躍楽しみにしてますからね!」
「は、はい!そう言ってくれると有難いです」
私は反射的に元気よく挨拶したが、今のタイミングは先輩に取って不味いと感じた。
薫さんはなんの悪意なく激励したつもりだろうけど、今の怜先輩にとっては皮肉の激励にしか聞こえなかった。
「……やっぱり、私のことなんて、もうどうでもいいの?」
「い、今のはただの激励ですよ。先輩はゆっくり休んで下さいよ」
「結衣……辛いよ」
先輩の指が、ギュッと私の袖を掴んだ。まるで、何かにすがるように。
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