第2話 席替えの確率

 俺のクラスでは毎月席替えがある。くじ引きによって我々の座席はまったくランダムにシャッフルされる。


 我がクラスは30人で、5人×6列で席は並んでいる。黒板を見て左が窓際で、窓際一番前が出席番号一番の阿部さん。後ろに二番三番と続き、二列目の一番前が六番ということになる。


 さてこのクラスで席替えをするとなると30人の並べ替えだから30の階乗すなわち30×29×28×……×3×2×1=265252859812191058636308479999998通りである。そのうち、前田・牧野の順で縦に並ぶのはたった24通りなのである。前後左右に隣り合うことを考えればもう少し数は増えるが、俺は前の席の前田さんが良いのだ。そんなこだわりまで考慮すれば、この並びが途方もない奇跡のような確率であることがわかるだろう。


 しかし、俺と前田さんが百パーセントの確率で前後に隣り合う期間が、年に五回は約束されているのだ。すなわち、一学期中間・期末試験、二学期中間・期末試験、そして学年末試験。


 だから俺は定期試験が好きだ。


 この期間だけは、答案の回収効率を考慮して、座席が出席番号順、つまり名前の五十音順にリセットされるのだ。したがってマエダの後にマキノが来るのは必然。マエノくんとかマキくんとか新たな刺客が転校でもしてこない限りは……


 と、思っていたのだけれど、まったく思いがけないところから危機は訪れた。


 二学期中間試験最終日の朝のことである。


「お母さんね、再婚しようと思うの」

「は……?」

「今日、新しいお父さんが家に来るわ」

「そんな急に……勝手に決めんなよ!」


 俺は朝食もそこそこに、家を飛び出した。




 父は数年前に他界し、母は女手一つで俺を育ててくれた。信頼できるステキな男の人がいるのであれば、一人息子である俺は祝福して迎えるべきなのだろう。でも……


「おはよー」

「あ、おう」


 元気よく前田さんが教室に入ってきて、俺の前に座る。「おはよう」略して「おう」。心の準備をおろそかにしていたせいで四文字すら発生できず二文字になった。


「ねぇ牧野くん」


 いつもの左回転で、前田さんが俺の方に顔を向ける。


「え、ななな、なに?」


 数学の試験は昨日終わってしまっている。だから今日の俺に、前田さんは用事なんてないはずなのだ。


「なんか顔色悪いけど、悩み事でもあるの?」


 どうして心の中がわかるのだろう。「それって好きってことじゃん!」脳内でチョロオレが騒ぎ始める。「いや、ガチで顔色悪くて心配されてんだよ!」リアリズムオレの方を採用。体調不良と思われていらぬ心配をかけたくはない。素直に話そう。


「苗字が変わるんだ」

「え、離婚?」

「いや逆」

「じゃあおめでたいじゃん……いや、いろいろ考えることがあるか」


 そう、普通は新しい親と上手くやっていけるかとか、そういう悩みがあるはずなんだ。でも、俺は違う。


「苗字が変わったら、この席にいられない」


 俺にとっての大問題はこれだけなのだった。


 ここから俺がいなくなると、現在俺の背後にいる松坂くんが前田さんの後ろにスライドしてくる。彼はサッカー部のエースで悔しいことにイケメンである。まったくこのクラスはエースが多すぎる。自称帰宅部エースの俺などエース界では最弱。地の利を失えばカス同然。


「ん……?」


 前田さんはしばしキョトンとした後、「え、そこ?」と笑った。その笑顔は今俺だけを照らしていて、教室に二人しかいないような錯覚に溺れる。そして次の言葉が、俺を打ち抜く。


「じゃあ、今度から私が君のところに行くね」


 脳内でパァンと音がした。現実主義な俺が爆発四散した音だ。前田さんは次の英語の試験に向けて最終チェックをすべく、前に向き直った。彼女の頬もまた少し赤らんでいたと、チョロい方の俺が言っていた。




 結論から言うと、二学期期末試験の日も、俺は前田さんの後ろの席にいた。苗字はたしかに新たな父のものに変わったのだけれど、奇跡的にマエダとマツザカの間に収まったのである。この確率の計算は余白が足りないのでやらないが、くじ引きの席替えで前後になるよりもっと運命的だと言うことは自明である。


 だから俺は、この座席に甘んじることなく、この好機を逃さないように――

次、彼女が振り向いた時には、こちらからも一歩を踏み出すつもりだ。


「ねぇ、真坂くん。この問題なんだけど」


 前の席の前田さんが、左回転でこちらを振り向く。

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前の席の前田さん 美崎あらた @misaki_arata

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