夏に必ず訪れる
ニニ
夏に必ず訪れる
夏の海は水平線で空と隔てられて、既に日が暮れた後の空にはただ恒星が燦然と輝いている。あれがベガ、アルタイル、デネブで、あの三つで夏の大三角だって言った小さな男の子は、どこか自慢げに星のことについて教えてくれた。輝く星は海に輝くわけではないけど、海はとっぷり、夜と同じ色を宿していた。青白い瞳を持つ子供にはどうやら仲間がいるようで、楽し気に何やら話している。
三兄弟で、皆悪戯が好きなんだ。俺はこうやって海から遊ぶのが好きで、ニニは街にいるのが好き。でかくもないのにキラキラ光るのが面白いって。イチは相変わらずその辺をふらついてて、何かを海に落としてくる。だからさ、ちょっと起こしてやろうと思うんだよね。お兄さんも手伝ってくれる?
青白い瞳が、星に負けないほど煌めいていて、逆らうことを許さないような絶対的な空気に呑まれる。どうやら頷いてしまったらしい私は、「おっけーありがとうお兄さん。それじゃ、ちょっと待っててよ。あと少しで、多分また落ちてくるから」
という声に従うほかなかった。
きらきらと輝く星の、名前も分からないけれど何にも負けないくらいに光る星の一つが、不意に大きくなった気がした。燦然と輝いて、赤い光が目まぐるしく近づいてきている。大きな恒星だったはずの星がバラけて、ひとかけらの何かが凄まじい轟音を巻き起こしながら海に落下した。かなり遠く見えたが、すごい水飛沫が上がって一気に水に濡れていた。磯のうっとおしい香りがする。
「やあっと来た!でも結構小さいなあ。欠片の欠片だから、しょうがないけどさあ。全くずっと前から待たされるこっちの身にもなって欲しいよね、ほら手伝ってよ、アレ回収しないと」
海に落ちたにも関わらず煌々光っている何かを指さしながら少年が言う。訳も分からずついていくと、ためらいなく海にざぶざぶ入っていく少年に手を掴まれて海に引きずり込まれた。幸いにして浅瀬が広く、呼吸に困るような事態にはならなかったが、それでもふくらはぎまで海水に浸かれば少し寒気もして来る。近づいていくたびに輝きを増す海の中、少年が声を上げて手を海水に突っこみ手の平よりも大きいくらいの、赤金色の結晶を取り出した。
きらきらと、ギラギラと暴力的にすら見える眩しい光。あの赤い恒星がそのまま舞い降りてきたのではないかと思えるほどに強く揺らめいている、灯篭のようにも見える、目が眩みそうになるほど明るく温かくぬくもりのあるそれ。少年が青白い目を光らせて、至極嬉しそうに笑った。
「やった!これレアなんだよ、イチがよこす中ではさ。地球に降りてから一個も無かったのに!戻すのがもったいないや。あ、お兄さん触る?焼け落ちるかもしれないけど」
僅かに手を伸ばしかけたが、最後の一言を聞いて引っ込める。多少距離がある今でさえ十分に温かなのだ。これで直接触れたら、灯油ストーブに触れるより酷い火傷を負うことは明らかかもしれない。けれど、何故かそうならないという確信めいた何かがあった。一言伝えてから、柔くそっと指先で触れる。変わらない温もり、長らく失っていた何かを取り戻せたような安心と、二度と手放したくないとさえ思えてしまうほどの綺麗さに憑りつかれて、少年の目をじっと見据えた。
「だーめ。これは、帰さなくちゃいけないもの。この地球にいたら駄目な物。お兄さん、きっといつか巡り会えるよ」
青白い、生まれたばかりの星のような目に諭されて、熱に浮かされていた頭が正気に戻る。そうだ、宇宙から来たのだこの星の欠片は。なら宇宙に返さなくては。「ありがと、お兄さん。それじゃあ帰すから、見てて」
海から上がって、べたべたと足の裏に砂が付いていく。それを意にも介さず少年は振りかぶり、柔い優しい熱い温もりを抱えて持つその星のような何かを、欠片を宇宙に、投げた。
正しく穿つ、という表現がしっくりくる見事な一直線を描いて星は飛んで、長い長い時間が経った後に夏の大三角、その中枢に吸い込まれて消えていった。うっとおしいくらいの潮の匂いと、生まれたばかりの星の瞳。べたつく砂の感触とさっきまで残ってた指先の温度。夏の海の上にある、見事な星空も何もかもが離してはいけないほど大切なものな気がして、全部を掻き抱いた。
「うん。ありがとうお兄さん、これで俺、イチとまた話せると思う、地球は変なとこだけど、また来るよ。覚えてられると良いね」
青白い輝きだけを残して消えていった少年は、美しい白鳥のような髪だった。あの温もりを帯びた星の欠片はなんだっただろう。
朝を迎えて、一人起きた私の手元には、一枚の淡く小さな純白の鳥の羽だけがあった。きっとしまい忘れてその辺りに置いている羽毛布団のそれであったとしても、信じていたくてその羽毛をスマートフォンのカバーに挟んだ。
夏に必ず訪れる ニニ @shirahahumi
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