その6 チョコレート
「千尋くんよ、甘いものは好きかね?」
二人仲良くそれぞれの机に向かっていると康介がこちらを向いた気配がした。……宿題をやる時間なんてだいたい同じなのだ。クラスが違うから片づける教科は違うのだけど。
「……まあ嫌いじゃない」
僕はノートから目を離さずに答えた。康介のそんな言い方に警戒するのは、僕が勘繰り過ぎだからではない。実績があるからだ。わかりやすいと言えばそうだけど、何か企んでる時、芝居がかった言い方をする。そしてその企みはロクなものじゃないことが多いのだ。
「だよな! 俺、お前がチョコ食ってるの見たことあるもん」
それがどうしたというのだ。甘いのが苦手でないのであれば、チョコレートぐらい食べるだろう。
「俺も好きなんだよね、チョコ」
だからさ、と康介は机の引き出しから、赤い箱にカカオの絵が描いてある板チョコを数枚取り出した。
「今晩は是非これを」
?
これを、って。つまりは食べさせてほしいってことだろうか。あーん、みたいなやつ……それともあれか、口移しでとか…………。
「でもバレンタインデーはまだまだ先の話しだろ」
男同士であーんだとか、口移しでというのはちょっと……。僕が康介にやるにしろ、康介が僕にやるにしろ。
「だからだろ、今のうちにやっておきたいんだよ。直前にバタバタやんのも格好悪いだろ」
直前も何も、こうやって想定して練習だなんて言ってること自体、そんなに格好良いものではない気がするが。告白すらしていない想い人に対する情熱は買いたいとは思うけど。
「……僕が食べさせてやる方?」
まあ。約束は約束だ。
「そうそう! さすが千尋くん。男前だ」
練習で何がそんなに楽しいのやら。
康介は机の脇に置いていたらしい買い物袋から百均で買ったと思われるポリ袋を机の上に出した。……その前に終わったワークやらノートやらをしまうという考えはないのだろうか。開いたままのその上に置くと不安定だろう。
「ちょっと準備すっから、千尋くんは宿題終わらせちゃって。俺はもう終わったから」
と、チョコレートを手に部屋を出ていった。準備ってなんだ。チョコレートはもうあるのだから、これ以上何も準備するものなんてないはずだ。
そこへ、チン、とベル音がドアの向こうに響いた。
各階の廊下には二か所にミニシンクと電子レンジ、電気ポットが置いてある(さすがにコンロはない)。食堂でご飯を食べそびれた人用や夜食用にと置いてあるのだ。今のチンはその電子レンジの音。
一か所は僕たちの部屋のそばにあるので、誰かがレンジを使えばすぐわかる。今のタイミングで鳴ったとしたら、使用者は康介か。何故?
最後の問題を埋めて漢文のワークを終わらせると僕は机の上を片付けた。明日の時間割を確認して鞄に教科書諸々を入れていると、かちゃりとドアが開いた。
「おまたせ」
「待ってはないけど」
「相変わらず、ツンが酷いよな千尋くんは。デレは一割ぐらいか」
デレなんかないし、ツンもない。僕のことをどう見てるんだこいつは。
「ま、いいや。じゃ、千尋くん、スタンバってください」
康介はポリ袋を一枚取り出して器用にハサミを入れて広げると、自分のベッドに敷いた。敷物? ポリ袋を?
ちっともわからないので僕が突っ立っていると。
「ほい、パジャマのボタン外してベッドへどうぞ」
まるで、病院の看護師さんが誘導するように言う。チョコレートはどうした。
「康介。僕がチョコをお前に食べさせるんだろ?」
「そうよ、間違いない」
「何故ベッドに行く必要が?」
机の椅子で十分だろう。椅子は丁度二つあるんだし。
「汚れないように」
「?」
「まあとりあえず、ベッドに上がって。固まるから」
腕を引っ張られ、僕は言う通りに康介のベッドに上がる。寝ながら食べると言うのなら、かなり行儀が悪い。でも固まるって何が。
康介の意図が見えない僕は言いなりになるしかなく、ベッドに、ポリ袋が敷かれた上に転がってパジャマのボタンを外した。早く終わって睡眠時間を確保した方が得策だ。
「あ、俺バカだ。敷く順番違うわ」
ぼそりとつぶやいたようだけど結局敷く順番を変えることはなく、康介は僕に跨ってパジャマ代わりのTシャツを脱いだ。
「康介、チョコは」
これじゃいつもと変わらない。チョコレートはどこへ行ったんだ。
「千尋くんはせっかちさんだな、大丈夫、ちゃんとある」
康介はどこに置いていたのか、手に小さなシリアルボールを持っていた。夜食などで使う共用の寮の食器。電子レンジのところにいくつか置いてあって、使った後は洗って戻しておくというのがルールだ。
まさか。
「ちょ、康す……ぅっ」
僕の胸の真ん中あたりに、シリアルボールから茶色いものが垂らされた。考えもしなかった光景に僕は絶句する。
「じっとしてろ、零れたらもったいない」
じりと身を引きそうになった僕は康介の真剣な眼差しで怒られる。が。
そうじゃないだろ。あえて曖昧に言ったな、こいつ。先に言えば断られると思ったか。当たり前だ、断るに決まってる。
「人を食べモノ扱いして楽しいか?」
僕の目はきゅっと吊り上がっていただろう。騙し討ちされたのがどうにも気に食わない。
「人じゃない、千尋くんを、だ」
どうでもいい屁理屈に僕は一気に冷めた。やるならとっとと済ませろ。こんなの想い人だって楽しいとは思えないが。ま、誰か知らないけど。
康介はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、口角が少しも上がらない僕などいつものことだと気にしていないのか、僕にかかったチョコレートをゆっくりと舐めて愛撫を始めた。
どこで覚えてきたのか知らないが、康介のセックスは暖かい。大事にされていると感じるのだ。性的に感じる、とそれは別物で、想い人にも伝わるんじゃないかと思う。仮に想い人が不感症だとしてもきっとそれは感じるだろう。
だが、いつも事情がない限りマグロだが心まで今日はマグロだ。人形の方がずっと愛想がいいかもしれない。
「……千尋くん、一応謝っとく。ごめん」
気の済むまでやり切って少しべとついた体を拭いてくれた後、康介はベッドの端に座って、まだベッドに寝転がっている僕を見た。
「女体盛りじゃないけどこういうのって男のロマンじゃん」
「ああそうですか」
そのうちワカメ酒とか言い出すんじゃないだろうか、この馬鹿は。どこのエロ爺だ。
「ま、でもよっぽどノリのいい子じゃないとそんなに楽しくもないな」
そんなにってことは多少は楽しかったのか。それはそれはよかった。
「ノリが悪くて悪かったな。事前に言っておけばまだマシかもな、僕じゃないその人だったら」
「じゃあ、お前はどんな風にチョコ食べたい?」
「僕は関係ないだろ」
「データとして教えてくれよ」
「……どんな風って、チョコもらったら自分で手にもって食べるだろ」
なんか馬鹿っぽい答えだな。我ながら。
「俺が食べさせたら嬉しい?」
「なんでだよ」
嬉しいと感じるのは好きな人にそうされるからであって。
「とりあえず食べてみよう」
康介は持っていたチョコレートすべてを溶かしてはなかったようで、銀の包みを剥がした板チョコを一口サイズにぱきっと折ると自分の口に放り込んだ。
口移しなのか。顔が近づいてきて口を開けろと目で催促される。
拒否するのもなんだか子供染みてる気がして、いやいやながらも口を開けてやると、薄く開いた唇が重なり、チョコレートを舌で押し込まれた。
小さな欠片だったけど、甘くて。それはすぐに溶けてしまった。
「美味い?」
「まあ」
食べ慣れた菓子の一つだ。美味しいのはわかってる。それが康介の口を経由したとて変わりない。
「よかった。不味くなることはないんだな」
女体盛りもどきよりずっと健全で甘い行為だと思う、なんてことは教えてやらない。康介のことが好きなら、相手だってそんなことくらいで嫌いにならないだろう。康介の言うところのノリのいい子かもしれないし。
チョコレートは眠りを誘う何とか、なんて歌詞は……なかったな。
僕は小さな欠伸を噛み殺した。
「寝るか」
眠そうな僕を康介は引き留めることはしない。睡眠の確保は練習台になることを承諾した僕が出した条件の一つだ。
「ちゃんと向こうで寝るよ」
僕はベッドから降りる。
「遠慮しなくてもいいのに」
「狭くて寝れないだろ」
康介だってわかってるくせに。寮のベッドなんて当然定員は一人だ。
「ほいほい。じゃ、おやすみ」
僕が自分のベッドに入ったのを確認して、康介は部屋の電気を消した。
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