第18話 真夏に百物語は実は不可能ではないかと考えた話
怪談を百回話すのが、百物語。大まかに言えばそういう事じゃろう。そして百回話し終えると物の怪が現れるので、九十九回で終わらせる。そういう催しとは聞いておる。
しかしじゃな、真夏に百物語をするというのは、どうもワシは無理ではないかと思うんじゃ。ワシの考えが間違っているのかどうか、理由を説明するので判断してほしいんじゃ。
まずは、百物語には色々と決まりがあるらしいんじゃが、今となってはトランプの大富豪並みにローカルルールが大量にあるようなんじゃよ。怪談をする部屋と灯心を置いてある部屋は別にあって、火をついた灯心を百個用意するらしいんじゃが、誰も居ない部屋でそんな事をするとか、江戸時代の人は火事が怖くないのかのう?
他にも灯心ではなくて蝋燭を百本用意するとか、着る服にも決まりがあるとか。百回も怪談を言う必要な無いだとか。それで怪談を喋る回数についてなんじゃが、今回ワシが言いたいのは、百回喋る事についてなんじゃよ。
と言うのも、怪談とは一回につきどのくらいの時間をかけると思うのかのう?
早口で喋られたら、怪談は全然恐ろしくなくて面白くもならないじゃろう。わざと時間をかけて喋ったり、逆に一気に喋るなどの緩急をつけて、間を考えて喋るのが怪談の醍醐味で、必要な技法だと思うんじゃ。
なので一回につき五分から十分程度の時間を使うはずじゃな。長すぎてもだれるし、短すぎたら驚く暇が無いじゃろう。百回あれば一回や二回はそういう話があってもいいじゃろうが、平均を取ったらこんなものになるはずじゃろうな。そうなると全部で五百分、八時間とちょっとの計算になるわけじゃな。
それでじゃ、真夏に百物語を始める時間と終わりの時間は、いったい何時なのかのう?
当然周りが暗くなってかた始まる物じゃが、真夏は七時でも明るく、八時ぐらいからしか始められないと思うんじゃ。そして終わると言うか、あたりが明るくなると喋っても怖くなくなって、途中でも終わろうという話になるじゃろうな。真夏は太陽が昇る時間も早く、四時にはもう明るくなっていると思っていいじゃろう。
つまり使っている時間は、約八時間程度の計算になるわけじゃな。日にちなどで前後はあるじゃろうが、話せる時間と使える時間はだいたい一緒になると言う事じゃ。
だが、百物語は話が終わってすぐに次の話を始めると言うわけではない。灯心を消すとかそういう話ではなく、一つの怪談が終わったら感想などを言い合ったりして、次の話を始めるに間には数分間の時間を使う必要があると思うんじゃ。
もう何が言いたいかを分かってくれたかと思うんじゃが、つまりワシが言いたいのは、ちゃんと真面目に怪談を言い合えば、どう考えても百個言い終わる前に太陽が昇る方が速いんじゃないかと、そう言いたいんじゃ。
まあ百物語は百回言ってはいけないわけじゃから、こっちの方が正しいのかもしれんが、しかし百回言うのが不可能とわかっていたらそれはそれでやる気が起きないと思うのではないかに追う?
このワシの考えが正しいのか、それとも間違っているのか、お主はどう思っているのかのう?
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