AM8:00の満員電車
楠綾介
第1話 満員電車
am8:00の地下鉄に人生を見た。
自分の体積が倍に膨れ上がる程のリュックを抱え右手にはキャリーケースを持ち電車を待つ。
ホームに電車が到着するが私は、電車に乗らない、乗れないと行った方が正しいか。
am8:00の名古屋市の地下鉄は満員電車だ、体積が肥大化した私の乗れるスペースなどあるわけもない。特に名城線栄、伏見方面は地獄だ、どちらも中高層ビル群が林立するオフィス街であり、この時間帯は通勤ラッシュになるのは当たり前なのだ。
私は彼らとはスケジュールが違う、家に帰る途中であり、日頃この時間帯に地下鉄を使わないため混雑を失念してしまった。
五本目の電車が通り過ぎていく。あいも変わらず電車に私の乗るスペースはない。
柱にもたれ電車を眺める、六本目の電車がホームに入る、しかし変わらず満員、私は諦める、すると後方から慌てたタップダンスのような音がする、私の横を駆け抜けるスーツ姿のサラリーマンが開いたドアに飛び込み、人を掻き分け乗車した。私にもこれぐらいの強引さが必要なのだと、留意する。
『駆け込み乗車はおやめ下さい』儀礼的なアナウンスが逆に乗車を促しているように聞こえる。
七本目の電車がホームに入る。今回は下車する人が多い、かろうじて人一人なら入れるスペースがうまれた。先程のサラリーマンを見習い強引に入ろうと意気込み、動き出そうとキャリーケースを動かす、と、一見先程のサラリーマンと何ら変わらない風体の男性がスマートフォンを胸元に構えたまま、私を一瞥する。彼の目線の動きは私のキャリーケースと体の厚みほどあるリュックを見ている、いや睨んでいる、しかもその視線はその男のものだけではなく、連鎖的に周りからも感じる。
『お前は、その荷物で乗る気か?』と言わんばかりの、いくつもの眼光はまるで恨めしそうにこちらを見つめる幽鬼のようだ……怖気付き、足が止まる、そして無常にもドアは閉まる。
思えば、私は昔から臆病で、行動すべてに時間がかかってしまう悪癖がここでも出てしまっているようだ。淡々と行き交う満員電車を見ていると、段々と俯瞰したような感覚になり、意識がどこか浮世離れしたようになる。何度も何度もすぎる電車には変わらず人間がすし詰めになっていて、人口の多さに唖然としてしまう。
こんなにも同じ方向に、これだけの人間が向かっていく光景に、恐怖と気持ち悪さを感じる。
もう数えるのもやめた電車が過ぎる、その後には電車を導くレールが敷かれていた。
通勤ラッシュ、決められた時間に決められた場所に向かう、変わらない日常に変わらない風景、変わらない人間に変わらない職場。
人生はレールに喩えられがちだが、まさに今この時こそ人生の縮図を見ているように思えてならなかった。
満員電車を見やる、吊り革に捕まる憂鬱な人々はまるで人生に振り落とされないように必死にしがみついているようで、椅子に座る者は吊り革に捕まる者を狭い世界で嘲笑する重役、俯きスマートフォンに視線を落とし、関心から遠ざかりパーソナルスペースに逃げる逃避者。
だけど、一度レールに乗れば人生の終点まで、行けてしまい、あたかもそれが正解なのだと言わんばかりの規則性に人々は安心する。
狭く鬱屈とした車内は、都会と言う鳥籠を行き交うものでしかないのに。
私は昨日職場を辞め、新しい場所に転職する。その為に早朝から仕事場の荷物をまとめ帰宅するところだった。
だけど、安心と不安がドロドロに溶けあった車内を見ると不安になる、これだけ多くの人々が規則性の中に身を落とし、安心を享受している。
私の判断は正しかったのだろうか? 決心が揺らぐ。一貫した人々の流れを目の当たりにし、他勢と言う暴力的な抑圧に負けそうだ。
ふと、反対側の線路が目に入る。もちろん反対側に家はない。だけど……確か、そうだ。
私は、キャリーケースを引き階段を上がり反対側のホームに向かう。思った通り反対側の電車は人がまばらだ。その電車に飛び乗り次の駅で降りた。
人生の終点は一緒だが、
一つ前の駅には、路線が多数存在している、乗り換えは多くなるが、目的地に辿り着くルートがある事を思い出したのだ。思惑通り主要都市とは逆方向の為、スムーズに乗車でき、最寄りの駅まであっという間に帰って来れた。
時刻はam9:04
1時間ぶりに地上に出た。朝の日差しが心地よく感じるのは久しぶりだ。
地下鉄は便利だ、本数も多いし時間にシビアで揺るぎない、JRなどのように止まる事も少ない。都市に住む人々の助け舟であり、切っても切り離せない大切な存在だ、だけどそれはあくまで移動手段としての存在であり、その後の目的地には関与しない。ただ運んでくれるだけ。
目的地、選んだのは自分。人々の往来や人口の多さを選んだのも自分。
人はたびたび選択を迫られ、その度に当惑し、立ち止まる。きっとあのまま強引に電車に乗り込み人の目など気にせずに、己を突き通しても良かったのだ、だけど私には出来なかった、結果遠回りになれど、情緒を崩さず帰って来れた。
人生はレールに喩えられる。きっと今日見た人々のように満員電車に乗り続ける者もいれば、用意されたレールを乗り換え続ける者いる、そして開拓者のように自らレールを引く者もいる。
私は今回レールを選択できた。終点が一緒ならば、レールくらいは自分で選択しなくては。
一つ言い忘れていた。転職もそうだが、私に子供ができたんだ、これも人生の一つの選択だけど、言い方を変えたい。子供は目的地への導きと、生まれたてで、柔らかくて、とても愛おしく思う存在。きっとこの子が私のレールを切り替えてくれたから、帰って来れたのかもしれない。そう思うと、今日の出来事も微笑ましいじゃないか。
私はam8:00の地下鉄に人生を魅た。
〜完〜
AM8:00の満員電車 楠綾介 @kokusitu
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