棄てられた猫

かごのぼっち

棄てられた人生

 君は覚えているだろうか


 あの夏の日の夜のことを。


 俺は火遊びが過ぎて、女に騙され、金を巻き上げられた挙句、ボコボコに殴られ、繁華街の路地裏で、店の生ゴミと一緒に捨てられていた。


 通りすがりのオッサンに吐瀉物をぶち撒けられ、野良犬が小便を引っ掛けて行くような、人生産業廃棄物な俺。


 誰も拾ってくれないだろうから、このまま腐ってしまえば楽だろうか、そんな事を考えていた。


 うだるような暑さの中、俺は体を起こそうとしたが、脚が折れていて上手く立てずに、バランスを崩してはゴミに埋もれるを繰り返していた。


 立ち上がるのを諦めた俺は、ゴミ袋を枕に仰向けに寝転んだ。今にも消えそうな街灯が明滅していて、その向こうには曇天の空が広がっている。


 いつしか明滅していた街灯も消えて、周囲の店の明かりも消え初めた頃、ポツポツと雨が振り始めた。


 やがて雨粒は大きくなり、激しさを増してゆく。


 雨は悪臭を洗い流してくれるが、薄汚れた俺自身は洗い流してはくれない。


「何やってんだ俺?」


 途端に涙がこみ上げてくる。

 

 くそっ、くそっ、くそっ!


 ベチベチとアスファルトへ拳を叩きつける。小指側の皮がめくれて血が滲む。


「人生なんてクソッ喰らえ!」


 ザアアアァァ⋯⋯。


 雨の隙間を縫って俺の耳に声が届いた。


「じゃあさ?」


 女の声だ。


「その人生、私が拾っても構わないかしら?」


 首を動かして辺りを見回すも、周囲に人の気配はしない。


「上よ?」


 声の主は風俗店の非常階段で煙草を燻らせていた。


 もう四十代だろうか? 体の線は崩れて始めてはいるが、艶めかしい色香が漂う大人の女性だ。まだ二十代の俺から見ればオバサンと呼んでしまいそうになる。


 だが、これはチャンスかも知れない。上手くやれば金が⋯⋯なんて、俺の脳裏に悪癖が顔を覗かせた。


「どうせ変なこと考えてるでしょ? お金なんか無いわよ?」


 さすが年の功と言うべきか、俺みたいなガキの考えることなんざお見通しのようだ。


「嫌なら別に良いわよ⋯⋯」


「嫌だなんて言ってねぇ」


「じゃあ、拾われてみる?」


「⋯⋯ニャア」


「バカね? ふふふ♪」


 俺は君に拾われたんだ。


 君はこんな俺を甲斐甲斐しくも養ってくれた。


「あなた、顔は良いのよ? だから笑いなさい?」

 

 懐が深く、俺みたいなクズを褒めて育ててくれた。


「女? 別に⋯⋯ここに帰って来てくれるなら、どうでもいい」


 お小遣いをくれて、その金で女遊びをしても君は叱ることもなく、帰って来た俺を笑って迎え入れてくれた。


「おかえりなさい♪」


 その一言が聴きたくて、俺は毎日彼女の部屋に帰った。


 俺が更生して真っ当な仕事に就くまで、君はその躰を擦り減らして俺を養ってくれた。


 だから


 今度は俺が君を養ってあげようと思ったんだ。


「俺と結婚してくれないか?」


 安物の指輪だけど、俺の気持ちを詰め込んだ指輪を君のために買った。


「しないわ?」


 断られた。


「あたしは何者にも依存しないの。だからあなたを拾ったのよ?」


 突き放された気がした。


 君はこんな俺に惜しみなく愛をくれたのに、こんな俺だからなのか、俺の愛は受け取ってはくれなかった。


 俺は悔しくて、悔しくて、悔しくって。


 パン!


 君をぶってしまった。


 ぶって、泣かせてしまった。


 俺は君を泣かせてしまった。


 君が憎かったわけじゃない。俺は自分が情けなくって、自分への怒りの遣り場を見失って、君を殴ってしまったんだ。


 その涙を見た時、俺はそこに居ることが苦しくなって、君の部屋を飛び出してしまった。


 俺は昔の女の部屋に転がり込んで、君との結婚の為に貯めていた金を散財した。


 また


 俺はクズに成り下がった。


 そうして


 俺の貯金が尽きた時


 君と出逢ったあの夏の夜のように


 俺はゴミ捨て場に捨てられていた。


 そこに居て、夜空を見上げていれば、君に拾ってもらえる気がしたから。


 俺は


「ニャア」


 鳴いた。


「バカね? ふふふ♪」


 泣いた。


 ふう、と君はあの時と同じように煙草の煙を燻らせて笑っている。


 君はあの頃と何も変わっていなかった。髪を白髪染めで染めていることも、化粧代が高くなっていることも、補正下着を買ったことも、新聞を読むのに老眼鏡が要ることも、医者に処方される薬が増えていることも、すべて差し引いておつりが来るほど、君は何も変わっていなかった。


 俺はバカだから、また君の部屋に転がり込んだ。


 俺はバカだから、また君にプロポーズして断られた。


 俺はバカだから


「おかえりなさい♪」


 その一言に幸せを感じていた。



 そうして


 どれくらいの時が経っただろうか。


 君が帰って来なくなった。


 俺は君を探しに行ったり


 時には警察を頼り


 君が帰って来るのを


 持つようになった。


 警察に連れられて帰って来た君は、オロオロと不安そうで、まるで他人を見るような目で俺の事を見た。


「おかえりなさい♪」


 俺がそう言ってやると少し笑って


「ニャア」


 と鳴いた。


 君はもう


 俺の事を覚えていないかも知れない。


 だけど聴きたい事があるんだ。


「君は幸せでしたか?」


 君はニッコリ笑うと


「ニャア」


 と


 泣いた。









       ─了─

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