第2話
「…………」
”彼女”を見た瞬間、私はあまりの衝撃に放心して一言も話せなくなっていた。
あれよという間に”彼女”は物憂げな表情を浮かべながら旧D棟の方へと姿を消していく。
”彼女”の姿が見えなくなってからも、私はしばらくその場から動けずに、窓を見つめていた。
「……水枝谷くん?」
「あ!すいません!ぼんやりしていました!!」
世永先生の呼びかけに、驚きながらも漸く意識を取り戻す。
指導医との会話中にぼうっとしてしまうなど、気抜けしているにも程がある。
軽く頬を叩き、気を引き締めると、何事も無かったかのように業務に集中することとした。
初日の仕事は控えめながら、覚える事の多さにひいこらと言いながらついていった。
新しく触れる仕事の多さに、私の頭は飽和寸前だったに違いない。
何を言われたのかも思い出せない程に、多忙な一日がそんな風に過ぎていき。
それでも、”彼女”の姿は私の記憶の中に強く焼き付いて離れなかった。
……”彼女”を見たのはそれが最初。
人生の輝きを一点に凝集したような、”花嫁”みたいな女の人。
それが彼女、白露結の第一印象だった。
***
「へぇ~っ 君は私の事をそんな風に思ってたんだ」
「!!」
ヤバい。墓穴を掘った。
思い出話で彼女を動揺させてイニシアチブを握ろうと思ったら、思わず余計なことまで言ってしまったようだ。
暗がりの中で彼女が、くつくつと笑いを堪える音が聞こえる。
「かわいいね、君」
「そんなにも私のことが気になるのかい?」
「そんなんじゃ、ないです」
ぷん、と拗ねたように顔を背ける。
大人の女にあるまじき、子供っぽい反応だとは自分自身でも理解している。
「それではそんな可愛い君にご褒美をあげよう」
彼女の指が、私の腕をそっと掴む。
白磁のような肌が、ひやりとした感触を残しながら絡みつく。まるで、夜の冷気が肌に纏わりつくかのように。
静かで、それでいて獲物を逃がさない蛇のような触れ方だった。
触れられた場所から体温が奪われてじんわりと冷えていく。
だが、不思議と不快ではない。むしろそのひんやりとした感触に、私の心が掻き立てられる。
「なにを……っ」 「なにって?」
「君に、私の事をもっと知って欲しくてさ
”花嫁”に触れた感触はいかがかな?お嬢様」
彼女に引き寄せられた手が、白露結の肌を撫でる。
導かれるままに動かされる指先が、山の稜線を描くように彼女の曲面を移動する。
腕から肩へ、顔の輪郭をなぞりながら首筋を経て下へ。
「……っ!!」
これ以上はいけないという理性の警告に従い、手を引っ込める。
「おや」
呆れたような苦笑。
表情を見る限り、多分私の顔は耳まで真っ赤になっているのだろう。
「勿体ないことをしているね。君が大好きな私の身体だというのに」
「……いいから。話を続けますよ」
強引に話を戻すことにした。
これ以上彼女のペースに巻き込まれると、いけないところまで行ってしまいそうだ。
ごほんと咳払いをして続きを語り始める。
私はまだ彼女を初めて見た時の印象しか語っていないのだ。
白露結との出会いを語るのにこう何度も話が止まってしまってはそれこそ夜が明けてしまう。
「あなたと出会ったのは、それから2週間後の話です」
***
──入職から2週間が経過した。
社会人として学ぶ数多くの仕事。新しい環境での人間関係の構築。そして座学とは違う臨床的な医療の知識。
目まぐるしく移り変わるそれらの全てに目を回しながら、どうにかこうにかやっていけそうな手応えを掴めた頃。
「水枝谷先生ー。幽霊病棟のこと、知ってる?」
昼休み、入院中の子供たちがそんな話をしていた。
旧D棟。かつて使われていた病棟、今はほとんど閉鎖されている場所。そこで、夜になると幽霊が出るという。
「夜に行くと、髪の長い白い女の幽霊が現れて、
『ねえ、あなたは生きてるの?』って聞かれるんだって」
子供たちは少し怖がりながらも、楽しそうに噂話を囁いていた。
「幽霊なんてこの病院にはいないよ」
その返答に、ええー、と不満げな声が上がる。
ロマンのない大人はこれだから困る、とも。
むっ、と目を細めながら続ける。
「確かに、この病院に赴任してきてから多くの出来事がありました
初めての当直の夜には当直室のテレビの電源がカチカチと点いたり消えたりしましたし
書類仕事で遅くまで居た時には窓ガラスに白い影が映ったりしました」
「え……」
「あとは深夜にガラガラと包交車を押す音が聞こえたりとか、ガタガタと窓が揺れ始めたりとか
ああそうそう、誰もいない病室のナースコールがけたたましく鳴り響いたりとかそういうのも」
「でも」
何か怯えた様子のお子様を前に、うんうんと力強く頷く。
「そういうのは別に幽霊の仕業ではありません。
単純に……機械の誤作動とか、見間違えとか、あるいは仕事のストレスのせいとか、そういうのです」
職業柄、病院で起きるその手の事例は学生実習の頃から多く遭遇している。
だがそんなものは全てまやかしだ、気のせいだ。幽霊なんかが存在する確固たる証拠ではない。
そう……子供たちに伝えたつもりなのだが。
「え、あ、ええ……?あるの!?この病院に!?」
「は、はったりだぜ!水枝谷先生が舐められたくなくてフカシこいてるだけだって」
「あ”ぁあ”あ”あ”あ”~~~~~~っ!!おがあざぁ~~~ん!!」
……あれ?
何故か子供たちが怯えている。
湧き上がった恐怖の感情が波のように周囲に伝播する。
いつの間にか集まった子供たちの多くが、訳も知れない恐怖に恐れおののき……
後ろの方から、事態に気付いた看護師長が血相を変えてやって来た。
***
結果的に子供たちを泣かせたという事で師長たちからこってりと怒られてしまった。
何故こんなことに……私はただ子供たちに幽霊なんてまやかしだと、そう伝えたかっただけなのに。
おかげで子供たちとの接触をしばらく禁止された私は、空いた時間を持て余す事となってしまった。
その分の負担は全て世永先生へと向かう事となり。
お忙しい身の上なのに、さらに余計な手間を取らせてしまったことに流石に心苦しさを感じる。
とはいえ、出来ることもないので私は旧病棟前の中庭を散歩していた。
……別に、この前見た白い女性の事が気になったわけではないのだが。
「ねえ、あなた。大丈夫?」
「!?」
連日の睡眠不足が祟ったせいか、春の陽気にあてられたせいか、いつの間にかうとうととしていたらしい。
中庭のベンチに背を預けて眠りこけていた私は、突然の声に慌てて飛び起きる。
「ごめんなさい!寝てません!」
「あ……っ」
眼をパチクリとさせながらその人物の姿を見つめる。
風にたなびく長い黒髪。真っ白なワンピース。感情の読めない黒々とした瞳。
つい2週間前に見かけた”花嫁”のような女性が、私の目の前に立っていた。
まるで夢の続きのようだった。
目をこすりながらまばたきを繰り返す。
視界の中にあるのは、どこか浮世離れした雰囲気を纏った女性。
(……夢じゃ、ない?)
彼女は静かに私を見下ろしていた。
表情には驚きも、困惑もない。ただ、そこに立っていることが当たり前であるかのような落ち着いた雰囲気を纏っている。
「ふふっ」
小さく微笑んだ。
「君って、面白いんだね」
「……え?」
私はまだ半分眠気の残る頭で、ぼんやりと彼女を見上げたまま言葉を失っていた。
「そんなに驚いた顔をしなくてもいいのに」
彼女は、くすくすと楽しそうに笑う。
風に揺れる髪の隙間からいたずらっぽく細められた瞳が覗いた。
「……驚くでしょう、普通」
ようやく口を開いたものの、自分でも情けないほど声が掠れていた。
私は、軽く咳払いをして体勢を整えながら、ベンチから立ち上がる。
彼女は私の一挙一動を観察するように見つめながら、特に何を言うでもなくその場に佇んでいた。
まるで、私が何を言うかを楽しみにしているかのように。
「……えっと」
何を言えばいいのかわからない。
ここは蓮見総合病院旧D棟前。
人の行き来などほとんどないはずの、ほぼ使われていない領域だ。
なのに、この人はここにいる。
ついこの間、窓越しに見かけた時と同じ姿で。
「あなたは……」
自然と口をついた問いかけに彼女は楽しげに首を傾げた。
「私?」
「……そう、あなたはどなたですか?」
尋ねると、彼女はふっと微笑み、口元に指を添えた。
「うーん……どう答えたらいいのだろうね」
「普通に答えればいいと思いますけど」
「そうだね。でも、普通に答えるのもつまらないでしょう?」
「……つまらないって」
この人、なんなんだろう。
話すたびに、すべてをはぐらかされている気がする。
私の戸惑いを楽しんでいるのか、それとも本当に答えたくないのか。
どちらにしても、彼女の態度には妙な余裕があった。
「……じゃあ、こうしましょう」
彼女はふわりとワンピースの裾を揺らしながら、一歩、私の方へ近づいてきた。
「私は、ここにいる人だよ」
「……ここにいる人?」
「そう。ここに、いる人」
何かを誤魔化しているような、曖昧な言い回し。
けれど、その言葉には奇妙な説得力があった。
「それだけじゃ、答えになってないでしょう」
「ふふ、そうかな?」
彼女はまた微笑む。
そして、静かに手を差し出した。
「……私は白露結。君は?」
その名を聞いた瞬間、私は反射的に彼女の手を見つめた。
長くしなやかな指。ほんのりと青白い肌。
冬の新雪みたいに冷たいようにも、夏の木漏れ日みたいに温かいようにも見える。
「……水枝谷桃花。4月からこの病院に勤めている研修医です」
握手を交わすか迷った末、そっと彼女の手を取る。
冷たくもなく、温かくもない。
けれど、確かに“生きた人間”の感触があった。
彼女に触れた瞬間、私は不思議な感覚に襲われた。
まるで、彼女の中身が指先から私の中に染み込んでくるような……。
何でもない握手のはずなのに、ぞくりとした悪寒のようなものと、それに反する安心感が胸の奥で混ざり合う。
内心の動揺を余所に、相手は指を絡めるように私の手を握り返してきた。
するりと忍び寄るような動きに、私は思わず指先に力を入れてしまう。
瞬間、絡み合った指先が互いを求めて強く組み付いた。
「君が、私をどう見るか。それは君の自由だ」
その瞳に映るのは、私だけ。
まるで、私の存在を確かめるかのように。
私は、初めてこの人に「目を逸らせなくなる」という感覚を知った。
「もしかして……旧D棟に入院している患者さんと言うのはあなたのことですか?」
視線を切る様に、世間話のような形で疑問を口にする。
病人とも職員ともとれない彼女の様子が純粋に気になったということもある。
「知っていたのか。つまらない」
「自分が勤めている病院の、入院患者さんについて知っておくのは常識です」
──嘘だ。本当はこの2週間、彼女……旧D棟の入院患者の事をずっと気にかけていた。
蓮見総合病院ではもう十年以上も前にカルテの電子化が行われているが、電子カルテの中に彼女の存在は確認できなかった。
旧D棟の患者に関する情報は院長先生が直々に紙のカルテで診療録をまとめているらしいことを後から知った。
目の前の彼女が旧D棟の住人だと思ったのは直感であり、その直感は正しかったようだ。
「へえ……」
そんな内心に気付いてか、にやにやとした視線が私の顔を撫で回す。
「なあんだ。君も”幽霊病棟の花嫁”が気になってここに来たクチかと思ったのに」
「幽霊病棟……」
聞き覚えのある名前だ。子供たちが噂をしていた怪談話。
幽霊病棟の……花嫁……?
「君もお化けか何かだと勘違いしたんじゃあないかな?」
「馬鹿馬鹿しい。そもそも……」
「幽霊なんて、この病院に出るわけがないじゃあないですか」
彼女の言葉をきっぱりと否定する。
ああそうだ。幽霊なんて出るわけがない。人をからかうのもいい加減にしてもらおう。
だけど、白露は私のその答えを聞いて……
「ふ、ふふ……」
と、何がおかしいのか肩を震わせて笑っていた。
その反応に私は、むすっと不機嫌そうに眉を顰める。
「ああ、ごめん。君のことを馬鹿にしているわけではないんだ。
しかし君……『出るわけがない』なんて言葉を使うんだね。『いるわけがない』ではなく。
それってさぁ……」
「『いる』ことを確信しないと、使わない言葉だよね。
……ああ、違う。確信ではなくて期待しているのかな?君の場合は」
人を見透かすような彼女の口調に「何を知ったようなことを」と反射的に口を開きそうになる。
だけどすぐに思い直し、一呼吸をおいてから反論する。
「私はただ論理の話をしているだけです。
悪魔の証明こそ行う事は出来ませんが、少なくとも私の知る限りでそれを確信するような証拠を確認していませんので」
「ほう?」
お互いにとげとげしいやり取りを重ねる言葉の応酬ではあるが、実際のところ私は彼女との会話に興味を惹かれていた。
相手を試してやろうという視線こそ気に入らないが、その言葉の底にどこか期待のようなものを感じ取ったからかもしれない。
「例えば、東西を問わず世界中の多くの文化で幽霊の概念は存在しています。
けれども、それは結局”生者の心理”が生み出したものに過ぎないでしょう?」
「西洋の幽霊は白いシーツ姿だったりしますが、
あれは死者を包むための死装束が由来だとも言われています」
「一方で、日本の幽霊は長い黒髪で白い着物。
あれは江戸時代の喪服の影響だとも」
「こうして見てみると、幽霊というのは結局、”その時代の人々が考える死”のイメージの産物でしかないんですよ。」
「科学が進んでも、幽霊の存在が”証明”された事は一度もない。
それは脳の錯覚や集団心理、環境要因……結局、一般的な理由をつけて説明出来ることばかりです」
「だから私は幽霊の存在を認めていません」
一息に言い切った私に、白露は感心したようにうんうんと首を縦に振る。
「なるほど。君は幽霊の存在は生者の心が見せる幻だと解釈しているわけだ」
「だけど私の解釈は少し違う」
そう言うと彼女は目の前で両手の小指を合わせる。
ほっそりとした白い指先が互いに絡め取られる様子は、優しく結ばれた絹糸のように滑らかであった。
「繋がり、だよ」
自分でもわかるほど、私は無言のまま彼女の指を見つめていた。
たぶん、私の頭上には漫画みたいに疑問符がふよふよと浮いていたのだろう。
それに気付いたのか、彼女は少し苦笑しながら説明を続ける。
「ヒトの人生は繋がりの連続で、その生を全うする頃にはたくさんの想いが死者を繋ぎ止める。
だからこそ死んだ人を送る為に”葬式”という形で繋がりを正しく断つ必要があるんだ。適切な距離を維持する為にね」
結んだ指先が距離を離す。
「互いの距離という価値基準の中において、生者の想いと死者の魂の存在は等価だ。
死後の意識の有無に関わらず、死者の魂は尊ぶべき価値を持つ」
「例えば、君はこうして私と会話をしているけれども、私の中に君と同じような魂が存在する確証を君は持たない。
であるにも関わらず、君はこうして私の事を尊重している。自分と同じ魂があるのだと、そう確信しているように」
「それは……」
彼女の言葉に私は言葉を詰まらせる。
彼女が言っている事は人工知能のチューリングテストにも似た概念だ。
『相手に自分と同じ魂があると認識する事、それ自体が魂の証明となる』という考え方。
「……つまり、魂の実存は人がそこに魂の存在を見出した時に確証を得る、と言いたいのですか?」
「ま、だいたいそんな感じさ」
彼女は軽いステップでくるりと身体を返す。
ここからが本番とでも言う様にその瞳がじっとこちらを見つめていた。
「それで」
「”繋がり”の話に戻ろうか」
彼女の視線から目を離せない。
まるで互いの視線が鎖となって絡み合っているかのように。
「生者に絡み付いた繋がりを断つのが葬式なら、逆に繋がりを持たない死者をこの世に繋ぎ止める儀礼も存在する」
「『冥婚』……という言葉を聞いた事はないかな?」
「めいこん……?」
恐らくは先ほどにも増して特大の疑問符が浮かんでいたことであろう。
意識をしていなければ、ぽかんと口を開けていたかもしれない。
「聞きなれない言葉かもしれないけれど、昔からある風習だよ。
未婚のまま亡くなった人の為に、生者と死者が”結婚”する儀式」
彼女の指先が、小指をなぞるように動く。
それが、まるで見えない糸を確かめているかのようで──ぞくりとした。
華やかで幸せに溢れたイメージのある結婚という言葉が、死者に関わるものとして語られる事に悍ましさを感じたからかもしれない。
私の反応など気にも留めずに、彼女は静かに話を続ける。
「地域によって形は違うけれども、基本的には亡くなった人の魂が安らかに眠れるようにするためのものだよ。
家族が遺影や人形を使って式を挙げたり、生きている誰かが”伴侶”として契約を結んだりしてね」
「特に若くして亡くなった人の魂は行き場を失いやすいと言われているから。
だから、生者と繋がりを持つことで、その魂を落ち着かせる必要があるんだ」
「実際に、冥婚が行われた記録もたくさんあるよ。
例えば、中国や台湾では、亡くなった男女のために家族が冥婚を取り決めることもあったし、それは現代でも同じ事さ」
「未婚の魂……特に子供の魂は、繋がりも弱くふらふらと落ち着きのない存在だからね」
「待ってください!」
滞りなく流れ続ける彼女の話に嘴を差し挟む。
「繋がりがないというのは良いことなのではないですか?
地縛霊とか、怨霊とか、何かに執着をしている幽霊の方が悪いイメージがあるのですが」
「だからそこで考えるべきは”距離感”という事になるね」
話が元に戻って来た。
「執着……つまり強すぎる繋がりが、生者にも死者にも互いに悪影響を及ぼすように。
繋がりが弱すぎる状態もまた、死者にとって好ましいものではない」
「人間としての繋がりが消えた魂とはね。
ああ、人としての枠組みから外れてしまった魂とは……」
「自分が何者であったかも忘れて、ただ存在していることへの苦しみだけが残ってしまうものさ」
「まあ……なんだ」
「一人ぼっちで、誰からも顧みられる事がない状態というのは、辛く……悲しいものだからね」
白露の瞼が僅かに下りる。
長い睫毛が影を落とし、その下で微かに唇が震えた。
「だから生者と繋がりを持つ事で”丁度良い距離感”を維持する必要があるのさ
正しく、死者が眠りに就く為には……ね?」
奇妙な感覚であった。
死者の苦しみについて語る彼女の言葉には、不思議と実感のようなものが籠っていた。
彼女はここで生きているのに、まるで死者の立場に立っているかのように語っている。
元々、結論を出すようなものではない平行線の会話。
いつしか話の流れは取り留めのない、肯定も否定もないものへと変わっていった。
不快ではなかった。どちらかというと彼女との会話に安心感のようなものを覚えていた。
幽霊がどうのと、互いに成人を迎えた大人が話すにしては随分と子供っぽい内容のように思える。
だが、そんな話題を、否定する事も過剰に馬鹿にする事もなく、安心して話が出来る相手というのはなかなか居ないだろう。
いつしか私は自分でもビックリするほど素直に、自分の考えを語る様になっていた。
「……あなたは先ほど繋がりの弱い魂の話として子供の話をしましたが。
それなら、ええ……世界との繋がりを持たないままに亡くなった子供の、魂は」
「どうなると……お考えですか?」
言った後で心臓がどくんと大きく胸を打つ。
何でもないように言ったはずの言葉が、自分の中でどんどん大きくなる。
”それ”はずっと前から私の中に重く沈み、形を成すのを待っていた問いだった。
「……」
「鳥……」
僅かな沈黙の後、ただ一言彼女はその言葉を口にする。
「とり?」
ぼそりと呟かれた言葉を鸚鵡返す。
鳥と言ったのだろうか?一般的な、普通の単語であるにも関わらず、その言葉にはどこか不吉な印象を受けた。
まるで、それが”言ってはいけないもの”であるかのように。
──遠くで、カラスが不吉に鳴いた。
「……いいや、なんでもないよ」
滲み出る不吉さを払拭するように、彼女は笑みを取り繕った。
強い口調からはこの話を続ける気はないという意思を感じる。
だが、その笑顔の奥には確かに”何か”があった。
「長く話し過ぎてしまったね。
君もこんな時間まで油を売っていては世永先生に叱られてしまうのではないかな」
ああ、しまった!慌てる私を尻目に彼女もまた身を翻し、帰り支度を始めていた。
「……そうそう。言い忘れていたよ」
「夜中に”鳥”を見つけても、後を追わない事だ」
「そこは君が関わる様な世界ではない」
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