第2話


 妹の天色が裸足でぺたぺたと白い床(?)を歩き、俺の目の前へ。

 ぐっと引かれ、目線が合う。


「兄さん。兄さんはわたしのことが一番……なに?」

「それは……」


 ムードもなにもない中で、今、俺に告白しろって言うのか?

 天色も、俺の気持ちに気付いているだろう。

 言葉にこそしていないものの、互いの心の内はなんとなく分かるものだ。

 だって、兄妹なのだから。


 でも、今の妹の心の内は、まったく見えない。

 間違いなくこの場で伝えることは、妹の理想のシチュエーションとは程遠い。

 女神様とは言え、他人がいる中での告白は、妹が一番嫌うことだと思っていたからだ。

 それでも「言って」と駄々をこねるような言い方に、応えないわけにはいかない。


「言ってくれないと、話が進まないんだもん……しょうがないの」

「分かったよ」

 内容は割れていると言っても、いざ伝えるとなるとやはり緊張する。

 口内が渇く。妹も妹で、視線を左右に振って、落ち着きがない様子だ。

「…………」


 しん、と音が止んでいる世界。

 自然音さえもない空間は、時間感覚を狂わせる。

 何分経った? 何時間? やばい、早く言わないと――

 天色の手がそっと肩に乗る。

 肩から伝わる彼女の体温に、緊張が一瞬だけ解けた。

 その瞬間に、自然と口が動く。


「天色が、好きだ」

「っ、に、兄さん……」


「俺たちは兄妹だ。付き合っても、結婚はできない……でも、俺はそんなこと関係ないって思ってた。たとえ結婚できなくても、子供も作れなくても、天色と一緒にいられたら、それで幸せなんだ。だから、これからもずっと一緒にいてほしい――」


 同じ墓に入りたい……という願いはもう叶っているのだろうし、こうして死んだ後に言うと茶化しているように思われるだろうけど……本音だ。

 妹に看取られたい。

 だから、その時まで一緒にいてほしい。

 それが、俺が抱えていた気持ちだ。


「俺と、付き合ってくれ、天色」

「――はい」


 天色が頷いてくれた。

 だけど緩んだ妹の表情が、すぐに引き締まった。


「――じゃあ、


 気づけば、いつの間にか俺の両肩に手を乗せていた背後の女神様が言う。

 そう言えば、取引きを交わした、と言っていたな……天色と。

 それと、俺の告白がどう繋がるって言うんだ……?


「兄さんに質問。本当にわたしのこと、好き?」

「当たり前だろ、好きだよ」

「本当に?」

「本当に。俺の全部を渡せるくらいには、好きだ」


 一度言ってしまうと、もうなんの抵抗もなく、好きと言えるようになる。

 ただ、あんまり言うと一度の『好き』に重みがなくなっていく感覚がある……。


「……なんだか軽い言葉に聞こえてきた……」

「何度も言わせるからだと思うぞ……」

 俺が思っていることは当然、妹も思っている。

 俺が気付いたことに、妹は随分前には気付いているものだ。


「うん。だからね、兄さんがわたしのことを好きだっていうのは、信じるよ」

「じゃあ、付き合う……で、いいんだよな?」


 俺たち死んでるけど、来世では一緒にいられる……ってことなのだろうか?

 女神様と交わした取引きが絡んでいるのだろう。


「付き合うのは、まだダメ」

「……え?」

「兄さんを疑うわけじゃないけど、証明してほしいの」

「証明……?」

「うん。そのための取引きを、マイアと結んだの」

「女神様と? どういう――」

 振り向くと、右手で胸を隠し、左手で股間を隠す女神様の姿があった。


 あ……、と思い出した時には既に遅く。

 裸の上にレースの布を纏っただけの女の子の体を、ばっちりとこの目で見てしまっていた。


 女神様は、見た目だけで言えば、妹と同じ年代に見える。

 見えるけど……一部、差があるのは個人差なのだろう。

 女神様は涙目で、体を捻らせながら……


「む、向こう向いてて、お兄さん!?」

「え、あ、悪いっ、見惚れてた!」

 素直に口に出して、振り向くと、

「へえ」と、俺を見下ろす(ような)妹が立っていた。


「一番好きだと公言しておきながら、見惚れていた、ですか……」

「あ」

「これは、手加減は必要なさそうですよねえ……」


「ひっ」と小さな悲鳴を上げたのは女神様だ。

 ……なんであんたがそんな反応を!?


「マイア。やっちゃって」

「で、でも、まだ説明をしてな――」

「ん、必・要・な・い・のっ」

 黒い笑顔の妹に押し負け、女神様が俺にだけ聞こえる声で謝る。

「ごめんなさい、説明は後でちゃんとしますから――」

「あの、危ないことじゃ、ないですよね……?」


「………………頑張ってください」


「あのぉ!? 危ないことじゃないですよねぇっ!?!?」


 そんな俺の抗議は受け取られず、全身が淡く光り始め――

 真っ白な世界から反転、真っ暗闇に包まれた。




 ――…………さん、兄さんっ、兄さんっっ!!


 妹に呼ばれている。

 意識が徐々に、浮上していく。

 水面から顔を出すように、必死に水中を泳ぐ感覚。

 手で水をかいて、ゆっくりと水面に近づいていく。

 声も同時に鮮明に聞こえてくる。



「――ゴ、ねえ起きてよっ、ディンゴっっ!!」



 目を開けた時、俺の目の前にいたのは、妹ではなかった。

 明るい赤髪と一本の長い三つ編み。

 露出を最低限にまで抑えた、男装にも見える服装を纏っている。

 活発な印象を抱かせる整った顔立ちは、日本人には見えなかった。


「ディンゴ!? 良かったっ、目を覚ましたのね!!」


 両手で肩を掴まれ、前後に激しく揺さぶられる。

 せっかく取り戻した意識をすぐに手離しそうになった。

 やめっ、と言おうとして、声がかすれていることに気付く。

 声を出そうとすると、喉が裂けるような痛みがあった。


「(声が、出ない……?)」


『すみませんお兄さん……不用意にそちらの世界の方と接触を持たないように、細工をさせていただきました』


 頭の中に直接聞こえてくる声は、女神様のものだった。


『一方的な伝達になってしまいますが、そちらの状況を考えると――お兄さんの質問を受け付ける時間はなさそうですね。では、手短に』


 ―― ――


――『そちらの世界は、竜が人間を支配している、お兄さんからすれば「異世界」です』


――『今お兄さんの魂が入っている少年の名が【ディンゴ】です。この世界で生まれ、育った彼の体を使い、最低でも四日間この世界で生き延びてください』


――『四日目に、お兄さんと同じようにこの世界の人物になりきっている妹さんを探し当ててください。……彼女からの伝言です……「本当に好きなら、見つけられるよね?」だそうです』


 ―― ――


 では、ひとまず今の窮地を乗り切ってください、と言い残し、声が途切れる。


「こ、こんな土壇場で説明すんなよぉ!!」

 あ、声が出た。

 喉の調子を確かめ、裂けるような痛みがないことを確認し、

「――どうなってる!?」


 現時点では頼るしかない、赤髪の少女に訊ねる。


「『竜殺し』の自爆作戦に巻き込まれたのよ! 飛んできた瓦礫が列車に当たって、レールからはずれて横転したの――、ディンゴ、頭から血が出てるけど、大丈夫なの!?」


 手で頭に触れると、べったりと血が付着するが、傷口は塞がっているようだ。


「今はなんとか大丈夫……それよりも、自爆作戦って……」

「防御を捨てて、攻撃に特化したんでしょ。それでも竜に勝てるわけないのにね……」


 すると、爆発音が鳴り響く。

 爆風が俺たちの体を浮き上がらせ、レールから少し離れた森の中まで吹き飛ばした。

 連続する爆発音。

 それに伴い、外側へ流れる爆風は細い木々を強くしならせる。


 爆発による黒煙が空中に球体を作っていた。

 その中から一頭の竜が翼を広げ、飛び出してくる。

 線の細い、深紅しんくの竜。

 想像していたよりも痩せていて小さいが……

 それでも脅威であることに変わりないのだろう。


 爆発物を体に取り付けた人間が竜にしがみついているが、竜はその人間を簡単に尻尾で払い落とす。地面に叩きつけられる前に、払い落とされた人間が地面すれすれで爆発した。

 人影を包んだ黒煙が消えた後、そこにはなにもない。

 人間の形を崩し、吹き飛ばすほどの火薬の量。


 仲間の無駄死にの末路を見ても、しかし人間たちは引き下がらず、竜にくくりつけたロープを手繰って距離を詰めていた。

 竜が体をぐるりと回し、ロープに掴まっている人間たちを振り回す。


 握力がなくなった者から空中に投げ出され――

 八方に散っていく人間たちが、次々に爆発していく。


 理由がある命を懸けた戦いなのかもしれない……、だけど、竜に一切のダメージを与えられていないし、次に繋げられるような竜の弱点を見つけたわけでもない。

 竜は一割の力さえ使うことなく、人間たちをあしらい、結果、人間たちは強力過ぎる自分の武器に殺されているだけだ。

 こんなの、無駄死に以外のなんだって言うんだ……?


「――ディンゴ!」


 名前を呼ばれて、反応するまで少し遅れた。

 自分の名前でないのだから仕方ないが、この状況では致命的な遅れだった。

 竜に振り落とされた、爆発物を体に巻き付けた男が俺の前に落下したのだ。


 ――爆発に、巻き込まれる……っっ。


「しま――」

 その時、俺の背後から小さな影が駆け抜け。

 手に持つナイフで男に巻き付けていた爆発物を素早く取り、空中へ放り投げる。

 一秒にも満たないタイミングで、爆発。

 俺たちは爆風に押しのけられ、まとめて森の奥まで吹き飛ばされた。




「……死ぬつもりだったのに、生き残っちまったな……」

 と、呟いた筋骨隆々の男の脳天に、拳骨が落とされる。

「死ぬつもりだったなんて……そんなこと言うなっ!」


 彼を爆発から助けた少女だ。


「だけどよ、アスカ……、死ぬつもりで攻撃しなくちゃ、竜に傷をつけることはできないんだ。大人数で襲いかかり、竜の行動、思考、情報を盗む。これは今回で終わる戦いじゃない。何十年後かの勝利を見据えた布石だ」


「……ねえ、他にやり方はないの? 誰も死なない、そんなやり方が……」


「言っただろ。身を守っている余裕はない。意識を守りに割けば、どうしたって竜には届かなくなる。痛みに恐怖し、死に絶望する。だが、最初からそれらを受け入れちまえば、体は咄嗟の恐怖や絶望に固まったりしない。決意するとな、こうして生かされたことに怒りを覚えるもんなんだよ」


「……生きていてほしかったのに……だって、家族なんだから」

「そうだな。それ以前に俺たちは『竜殺し』だ」



 少し離れたところからふたりの会話を聞いている俺たちは、小声で言葉を交わす。

「……そっくりだ」

「うん……あたしと……」

 アスカ、と呼ばれた少女も赤髪だ。三つ編みではないものの、しかし髪色だけでなく、顔立ちまでそっくりだ。双子だと言われても不思議には思わない。


 ちらりと隣を窺う。

 そう言えば、この子の名前も知らないんだよな……、俺がいま借りているこの体の持ち主はディンゴと言うらしい。

 彼の、友人、姉、妹……今の段階では関係性がいまいち見えない。

 聞いてみればいい、と簡単なことだが、嫌な予感がするのだ。

 喉に異物が詰まっているような、気持ちの悪い感覚。


 ディンゴの体に俺の魂が入ったけど、周りから見れば俺はディンゴだ。

 隣の少女は、まさかディンゴの中身が他人であることなど思いもしないだろう。

 それをぺらぺらと喋っていいものなのか、女神様に聞いておくべきだった。


「別に、あの子はあたしの身内じゃないからね?」


 お父さんの隠し子なわけもないし……でもまさか……っ!? と。

 ぶつぶつ呟く少女とは別の声が、俺の頭の中に直接、響いてくる。


『――お兄さんっ、伝え忘れていたことがひとつ!』


 女神様からの通信(?)がきた。

 ちょうどよかった、俺からも聞きたいことがあったのだ。


『私の先輩女神から「面白そうだから」って理由で追加されたルールがありまして……、説得できなくてごめんなさいっ! その……彼、ディンゴの体にお兄さんの魂が入っていることは、誰にも気付かれないでください。お兄さんでなくとも、別の誰かの魂が入っていると指摘されたら、お兄さんは――』


 女神様が言い淀むが、なんとなく、その先は分かってしまう。


『……死にます』


 理不尽だが、『面白そうだから』で追加されたルールなら、抗議をしても取り消すことはできなさそうだ。素直に受け入れるしかない。

 ようするに、ばれなければいいだけだが……それが難しい。

 それでも、不可能ではない。


 つまり、だ。



 俺は


 尚且つ、


 同じように――と。



 それが妹から出された課題。



?』



 ……上等。

 好きを証明しろ、か。


 なら、正体を見つけた時、俺は妹と付き合うことができる。

 報酬に比べたら、課題はまだ、ぬるい方だろう。


 腰に差している剣で竜を倒せとか言われたら難しい……が。

 妹を見つけるだけなら、できないこともない。

 というより、俺の得意分野だ。


『ごめんなさい、お兄さん……なので最低限の情報をお渡しします。お兄さんの隣にいる女の子は、オルカ。彼、ディンゴの幼少期からの、幼馴染みです』


「……ところで、そいつらは? 竜殺しか?」

 筋骨隆々の男が、離れた場所にいる俺たちに気が付いた。

 竜殺しか? と聞いたということは、彼は組織の代表ではないのだろう。

 管理している立場なら、組織に誰が属しているのかくらいは把握しているはずだしな。

 俺たちを見て、仲間かどうか、など訊ねるわけがない。

「巻き込んじゃったんだよ。列車に乗っていた一般人」


「そうか……、すまなかったな、お二人さん。列車の経路からだいぶはずれた場所で戦っていたんだが……、逃げる竜を追っている間にこんなところまできちまってたらしい。……ん? もしかして、騎士か? まだ若いのに立派なもんだな――」


 すると、オルカが腰に差していた剣の柄を握り、腰を落とす。


「あなたたちは自分の立場が分かっているのかしら……? 竜殺しは大罪よ。竜に殺されて消息を絶つ者が多い中で、五体満足で生きているあなたたちを騎士としてこのまま見過ごすわけにはいかないわね。あなたたちから情報を引き抜く。誰が組織を取り仕切っているのか、洗いざらい吐いてもらうわよ!」


「無駄だよ」

 筋骨隆々の男が肩をすくめ、


「取り仕切ってる奴なんかいねえさ。標的によって派閥があるくらいでな。派閥ごとの頭はいるが、それも短い期間の頭ってところだ。竜殺しという大命を持ってはいるが、意思統一ができているわけじゃない。あんたら騎士を束ねる貴族のような司令塔を叩けば、それで瓦解する組織形態じゃないんだ。入れ替わりが激しいのは見ての通り。組織の歴史を見ても、新人ばかりで大半を占めている。古参なんかいるはずもねえ。俺としちゃあ、竜殺しの組織を取り締まることよりも死んでもすぐに補充できる新人ばかりがいることに着目してほしいもんだがな」


「なにを言って……」

 戸惑う幼馴染みを尻目に、俺はなんとなく相手の言いたいことが分かった。


「……つまり、ってことか……」

「そっちの少年は話が分かるじゃねえか」


 この世界のことはまだ詳しく分からないが、女神様は『竜が支配している』と言った。

 竜の強さを考えれば、世界を牛耳っていても当然だとも思うが……。

 竜と人間が友好関係を結んでいるとしても、やはり反対勢力は生まれてしまうし、仕方のないことだろう。

 ……なるほど。


 妹を探す前にはまず、この世界のルールから把握する必要があるみたいだ。



 ……この世界の欠陥を見つけ、改善する。

 それが妹を見つける、最短ルートだった。




 …読切、終

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ばーさすいもーと(vs妹) 渡貫とゐち @josho

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