第1話思い出せない顔


朝、目が覚めて「おはよう」と言うことがなくなったのはいつからだろう。

ご飯を食べる時「いただきます」と言うことがなくなったのはいつからだろう。

布団に入る時「おやすみ」ということがなくなったのはいつからだろう。

当たり前だったことが当たり前ではなくなって、今ではそれが当たり前になっている。

俺はこの先も変わることなく、何も無い日々を過ごしていくのだろうか。

漫画やアニメのように、何も無い平凡な男が活躍するなんて、ただの夢物語なのだろうか。

そんなくだらないことを考えながら今日もいつも通り、会社に行く用意をしていた。

ただ、飯を食って動きにくいだけの服に着替えて、ドアを開けて鍵を閉め、歩き出す。

隣の家の人は、元気に行ってきますと、また隣の人はただいまと、帰るところに人がいる…。

それだけでなぜこんなにも違うのだろうか。

なんのために生きているのかもわからなくなっていた。

俺と同じような人は、世界にどれだけいるのだろうか。

会社に着けばただ、パソコンに文字を打っていくだけの日々…。

死にたいと思ったことはないが、ただ消えたい…そう思うことはある。

死にたいわけじゃない。

ただ生きる理由もないし、そんな生きるということのために、働き続けるのが疲れただけ。

いまの俺はまるで機械のように、ただ動き続けているだけだ。

仕事が終わっても「お先に…」一言呟いて会社を出る。

同僚とは、必要最低限の連絡と報告しかしない。

帰り道も行きと変わらない…と思っていた。

しかし、今日。いつもと同じ帰り道のはずなのに何かが違った。

なにが違うかわわからない。ただ違った。

その日はなにもわからないまま、家に着いた。

なんだったのだろう…そのことを考えるだけでいつもと少し違う時間を過ごした。

翌朝、いつも通り会社に向かった。

が、昨日と同じ…何かが違う。

信号を渡りながら、少し周りを見渡した。

気のせいだろうか。

見たことのある顔がそこにはあった。

しかし気がついた時には、遅かった。

信号が赤になり、戻っている時間がない。

仕方なく再び会社へと足を向けた。

しかしその日の帰り道も翌朝もその顔が見えることはなかった。

週末、地元に帰ることにした。

あの顔の正体を思い出すために。

少し遠かったが関係ない。

交通費もそこそこしたが、金を使うことのなかった俺にはあまり問題はなかった。

ただこのモヤモヤを消したいその一心だった。

地元に着いた瞬間そこには懐かしの景色と匂いが広がっていた。

駅から家までの道でちょくちょく声をかけてくれる人もいた。

しかし今はそれよりも、あの時見た顔が誰なのかを知りたい。

久しぶりに実家に帰った。

「帰ってくるんやったら、電話の一本くらい入れーな!」

文句を言う母に対して、「それより俺の卒アル知らない?」

「それならあんたの部屋のベットの下のケースの中に入れっぱなしや。

そんなことよりせっかく帰ってきてんからちょっとくらい、ゆっくりしーや!」

「わかってるって!」

母の声につられて声が大きくなった。

母の気持ちもわかるが、それ以上にあの顔が気になってしょうがない。

自分の部屋にこもって、卒業アルバムを漁るように見た。

小学校、中学校、高校、と全部見た。

近くの祭りの時の写真や、旅行に行った時の写真にも手かがりになりそうなものはなかった。

部屋を出て、玄関の扉を開けた。

「あんたどこ行くの!?出かけるんやったら一言言いなさいよ!もう…行ってらっしゃい!」

少し怒っている感じだったがそれでも、なにをしているのかとか、詳しくは聞いてこなかった。

家を出て、いろんなところを見て回った。

学校や、市民プール。よく遊んだ公園や、図書館。記憶に残っている場所は全部見た。

道中、同じクラスだったやつに声をかけられた。

お互いに久しぶりだったから、「今なにしてる?」とか「趣味ないの?」とかありきたりな話をして別れた。

正直仕事も趣味も充実してなくて、なんて答えようが迷ったが、正直に話したら、話も聞いてくれた。

見たいところを見終えた。

手がかりになりそうなものはなかった。

「はぁ。」

ため息をつきながら歩いて家に帰った。

「おかえり。ご飯できるから、いっぱい食べ!」

そう言って出迎えてくれた母にようやく

「ただいま…!」

そう言えた。

少し涙が出てた。

結局あの顔がなんだったのかはわかんなかった。

でも、あまり話したことのないただの同級生が話を聞いてくれたこと。

母にちゃんと「ただいま」を言えたこと。

それだけで帰ってきた意味はあった気がする。

母に言われるがまま手を洗って、風呂に入って上がってきたらご飯ができていた。

なにも言わずご飯を食べようとした。

「あんたいただきます、くらい言いなさいよ!」

「あっごめん。いただきます!」

久しぶりの母のご飯美味かった。

「ご馳走様」

「はーい。お粗末さま。」

その日は、母がご飯の片付けをして、布団まで引いてくれていた。

相変わらず、話は聞いてこなかった。

次の日の朝。

帰る準備をして、家を出ようとした時、母が

「あんたこの写真持って帰る?」

そう言いながら、俺が幼稚園の頃の手紙を渡してきた。

「なにこの写真?」

「あんた覚えてないの⁉︎幼稚園の頃仲良かった子と撮った唯一の写真やんか。

ずっと大切にしてて、写真立てに入れて玄関に飾ってたやないの!」

そう言われて、写真よく見た。

そこにはあの時見た顔が映っていた。

そういえば、小学校以降の写真は見たけど幼稚園の写真は見てなかったな。

「ありがとう、母さん。でもこの写真は、まだここに飾っといて。」

そう言って玄関の扉を開けた。

「いつでも帰っといでよ!行ってらっしゃい‼︎」

「行ってきます‼︎」

そして前を向いて、歩き出した。

帰ってからはいつも通りの日々が始ま…らなかった。

あのあと会社を辞めた。

社長や上司と話し合って、仕事先も何件か紹介しようか、と言ってくれたが、断った。

あのとき話した同級生のやつが仕事を紹介してくれた。

いまの俺の能力だと少し力不足だが、有給消化中に資格の勉強や、趣味を増やして、コミニケーション能力を高めた。

あの時なんであの顔が見えたのかはわからないが、それ以上に帰って良かった。

心の底からそう思える。

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