第2話

「部長、見てください!」


 部室に柚菜の声が響く。スマートフォンの画面には"奥村聖司展"の告知が輝いていた。一般モデルオーディション。その文字が、私の視界を歪ませる。


「応募してみようかな……なんて」


 柚菜の頬が紅潮している。耳なんて、真っ赤だ。

 まだ実現するかわからない未来を想像した緊張からか。

 目だって、潤んでいた。

 その変化ひとつひとつが、私の胸を締め付ける。


 ファインダーを覗き込むと、そこには今まで見たことのない表情の彼女がいた。


 私ではない、他の誰かに向けられた期待と憧れ。

 それは紛れもなく、私には引き出せなかった表情だった。


 撮られないでよ。そんな顔。


 奥村にも、猿にもゴリラにも魚にも虫にも。

 私以外に撮られないでよ。


 柚菜のことは、私が一番に綺麗に撮るから。

 私だけが、彼女の本当の美しさを知っているのに。


 所詮、心の中の叫び。

 シャッターを切る指が、震える。


 カメラを握る手に力が入りすぎて、爪がぎりぎりと手のひらに食い込む。

 でも、その痛みは心の痛みに比べれば、なんてことなかった。


 窓の外では、雪が静かに舞い始めている。

 白い結晶が、音もなく降り積もっていく。それは私の言葉にならない想いのように。

 誰にも気づかれず、ただただ静かに積もっていくだけ。


「あ、どう……思いますか?」


 柚菜の声は少し不安げだった。


 私は深く息を吸い込んで、精一杯の笑顔を作る。

 頬の筋肉が引きつるのを感じながら。それでも、笑顔を崩さないように。


「柚菜なら、きっといけるよ」


 その言葉を口にした瞬間、体の奥が凍るように冷たくなった。

 自分の声が他人のもののように聞こえた。


「本当ですか? ありがとうございます!」


 彼女の笑顔が、真冬の部室に春の光を灯したように感じた。

 その笑顔は、私のためではなく、これから出会うかもしれない誰かのためのものだった。


 私はもう一度カメラを構える。

 シャッターを押す指に、全ての想いを込めた。


 せめてこの瞬間だけは、永遠に残しておきたかったんだ。



 ◆


 写真展まで、あと三日。


 暗室の中で、私は柚菜の写真を一枚ずつ見つめていた。

 赤い安全光の下、彼女の姿が浮かび上がる。それは私だけの宝物だった。


 放課後の教室で本を読む横顔。

 河川敷で冷たい風に髪を揺らす後ろ姿。

 部室の窓辺で遠くを見つめる表情。


 その全てに、本人には知られることのない私の想いが写り込んでいる。


 あーあ。私も男を好きになれたら良かったのにな。

 そうすれば、こんなに苦しまなくて済んだのに。


 写真を現像液から引き上げると、柚菜の笑顔がゆっくりと浮かび上がってきた。

 その笑顔に、私はまた恋をする。



「オーディション、落ちちゃいました」


 柚菜がそう告げに来たとき、私は少しだけホッとして、そして自己嫌悪に陥った。

 彼女の悲しみを喜ぶなんて、最低だ。


「でも、私、少し気づいたんです」

「え?」

「写真って、撮る人の気持ちが映るんですね。部長の写真見てたら、なんかわかった気がして」


 え、なにを?

 心臓がバクバクする。

 まさか、私の気持ちがバレたの?


 頭の中が真っ白になる。耳の奥でどくどくと血の流れる音がした。


 が、彼女は現像中の写真を手に取り、柔らかく微笑んだ。


「部長のファインダーの中の私は、いつも特別なんです」


 その言葉に、胸が熱くなった。


 そうだよ。

 そうに決まってんじゃん。

 あなたは、私にとって特別な存在なんだから。


 夕暮れの部室で、私は再びファインダーを覗き込んだ。

 永遠に縮まらない距離。

 それでも、このレンズを通せば、柚菜は、いつだって特別に輝く。


 こんなの、きっと誰にも撮れないよね?

 奥村聖司にだって。


 シャッター音だけが静かに響く。

 その音は、誰にも聞こえない私の告白の音。


 世界で一番特別な女の子はファインダーの向こうで今、眩しいほどに輝いている。

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ファインダー越しの秘密 さちゃちゅむ @sachuneko

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