『魚』

秋犬

『魚』

 俺の生まれた町は、細々と漁業と食品加工業で食いつないでいる田舎町だった。町でひとつの小学校を卒業したら、隣町の中学校まで行かなければならない。そんな鄙びた場所で、俺は少年時代を過ごすことを余儀なくされた。


 俺の父は漁師で、母は漁師相手の食堂で働いていた。この町は大体魚に関する仕事しかない。俺は同じ学年の優一ゆういちといつもつるんでいた。港の倉庫でかくれんぼをしたり、船から降ろされたばかりの取れたての魚をこっそり捌いてもらって食べたりして遊んだ。後は釣りをするか、家でゲームをするくらいしかすることはなかった。文化などはない。ただ魚の匂いだけが俺たちの全てだった。


 あれは、俺が小学四年生の頃だったと思う。


 小さい町だったので、小学生が全部集まってようやく四十人くらいになるような場所だった。だから町の子供の名前は全部覚えていた。その中に六年の良太りょうたって奴がいた。こいつはガタイだけよくて、頭のほうはさっぱりだった。さっぱり、という言い方は語弊がある。つまりは、その、そういう奴だ。今の世の中だったら俺たちとは違う学校に通っていた、そんな奴だった。


 その日はやけに波が高い日だった。俺と優一がいつものように港で暇を持て余していると、良太がやってきた。


「なにしてるの?」

「なんもしてねえよ」


 俺たちはこいつに絡まれるとウザいことを知っていた。気に入らないことがあるとすぐに手を出してくるくせに、反撃すると「弱い者に手を出して」と俺たちが怒られる。そういう理不尽の塊だった良太が近寄ってきた。たまったもんじゃない。


「あそぼうよ」


 俺たちは顔を見合わせる。ここで下手に断っても面倒になるだけだ。


「いいよ」


 俺は、妹が友達と遊んでいるところに良太がやってきたという話を聞いていた。せっかく妹が買ってもらったばかりの人形を出して楽しく遊んでいたのに、良太が来て人形をめちゃくちゃに壊してしまった。流石に俺の親は良太の親に文句を言ったが「優しいうちの子に限ってそんなことはあり得ない」の一点張りだった。妹は泣き寝入りすることしかできなかった。それが先週の出来事だ。


 とにかく、こいつは大人の目の届かないところでは年下の子供をいじめてくる。そしていざ子供たちが被害を訴えても「僕は知りません」という振りをする。可哀想な良太君の味方の大人たちは「こいつがそんな嘘をつくものか。お前たちがデタラメを言っているんだろう」と決めつける。俺の親も壊された人形を見るまで「良太君はあんなだけど優しくていい子だ」と思い込んでいたようだった。


 そんな調子なので、良太は町の子供たちから嫌われている。俺と優一はせっかくの昼下がりが台無しになったとため息をついた。


「何して遊ぶ?」

「かくれんぼ!」


 俺は内心胸を撫で下ろした。かくれんぼなら、すぐに叩かれることもないだろう。


「それじゃあ、俺が鬼をやるよ」


 優一が率先して手を上げる。ここで俺たちは目配せをした。


 こいつが隠れている間にさっさとズラかろう。


 ニコニコして倉庫の方へすっ飛んで行った良太を見送り、俺も一応物陰に身を潜める。


「もういいかい?」

「もういいよ!」


 どこかから、元気な良太の声がした気がした。優一が真っ先に俺のところにやってきた。


「今のうちに逃げるぞ」


 そうして俺たちは港を後にした。その後は優一の家でゲームをして、夕方俺は家に帰った。


***


 その日の夜遅く、駐在さんが「良太君が家に帰っていないんですけど知りませんか?」と尋ねてきた。俺はドキリとしたが正直に「港で見かけて、後は知りません」と答えた。嘘は言っていない。俺も優一も良太の行方なんか知らなかったのだから。


 翌朝、港は大騒ぎになっていた。海に落ちたのではないかと漁船が良太を捜索していた。先生が総出で捜索に加わったため、学校は休みになった。その日、結局良太は見つからなかった。ところがその翌日、良太は意外な場所で発見された。


 良太は港の倉庫にある、巨大な冷凍室の中にいた。見つかったときは、冷凍マグロみたいにカチカチになっていたそうだ。後で話を聞くと、何故か冷凍室の扉が開いていたために閉め忘れたと思った職員がしっかり閉め直したそうだった。


 発見が遅れた理由として、良太は倉庫のドアの前ではなく一番奥の物陰に隠れるように座り込んでいたということが挙げられた。まるで何かから隠れているようだった、という話に俺は居たたまれなさしか感じなかった。


 俺のせいで、良太は死んだのか?


「いやいや、俺たちが冷凍室に閉じ込めたわけじゃあるまいし。考えすぎだろ」


 優一は軽く俺の心配事を流した。


「でも、あのとき俺たちがきちんと探していたら……」

「どうせ見つかったのが気に食わないって殴られただけだよ。忘れよ忘れよ」


 優一の言うとおりであった。心配をしても死んだ良太が生き返るわけでもない。俺は良太の葬式で、俺たちの言うことを一切聞かなかった良太の母親が中学の制服を抱きしめておんおん泣いているところを見てスカっとした。ざまあみろ、てめえの息子は躾がなってなくて死んじまったんだよクソ女が。


 それから、俺は魚が食べられなくなった。特に冷凍の魚を見るとカチカチになった良太が思い浮かんでしまい、箸が進まない。たくさんのカチカチになった魚に囲まれて、良太は何も不審がらなかったのだろうか。馬鹿だから俺たちが帰ったことに死ぬまで気がつかなかったのだろうか。


『お前のせいで、俺は死んだんだ』


 俺の罪悪感は魚によって増幅された。魚を見る度に俺は良太は思い出した。焼き魚や煮魚の白く濁った目玉が俺を見る度、俺は冷凍室の良太を思い浮かべる。馬鹿で弱い者虐めしか出来なかった良太。あんな奴、冷凍マグロになるくらいでちょうどよかったんだ。俺はそう一生懸命、自分に言い聞かせ続けた。


 成長した俺たちは故郷を離れた。自分で飯の準備が出来る限り、俺は姿のある魚は食べないことに決めた。そうすることで、良太の影を俺の中から追い出そうと思った。俺のせいじゃない、勝手に冷凍室に入ったお前が悪いんだ。俺は悪くない。


***


 魚料理を避け続けて俺がようやく良太の呪いから解放された頃、優一から連絡が来た。


『今年は爺ちゃんの新盆だから帰ってるんだが、お前もどうだ?』


 短い夏休みを利用して、俺は帰省することにした。優一の祖父には俺も妹も世話になっていた。妹とも連絡を取って、俺たちは優一の実家へ向かった。賑やかな盆棚と盆提灯に囲まれた遺影を見て、妹は昔を思い出したのか鼻を鳴らしていた。俺たちは優一の祖父へ手を合わせた。


 それから久しぶりに優一の家で昼食を頂いた。昔はたまに互いの家に泊まり合っていたことなどを思い出す。優一は結婚していて、奥さんと息子を連れてきていた。


「おいで、そうちゃん」


 優一の息子は今年で四歳になるそうだ。写真でしか見たことがなかったが、実際に見ると小さい頃の優一そっくりだ。


「血は争えないな」

「それは褒め言葉なのか?」


 俺たちは和やかな時間を過ごした。結婚式以来会っていなかった優一の奥さんとも久しぶりに顔を合わせることができて、昔話や近況報告に花が咲いた。


「そうだ、港に行ってみませんか?」


 この田舎町は数年前に起きた地震で古い建物が軒並み壊れてしまい、最近ようやく新しい家が建ってきているところだった。港の古い倉庫も改修され、「復興センター」なる新しい施設で町の特産品の秋刀魚の干物を並べているそうだ。


 港と聞いて俺は嫌な思い出が過ったが、綺麗になった港ならあの馬鹿な奴の面影なんかないだろうと思い直した。優一の運転する車で向かった港は綺麗になっていて、俺たちは「復興センター」を物珍しく見物した。


 ところが、目を離した隙に一緒に来ていた想くんの姿がどこにも見当たらなくなっていた。


「想! 想! どこ行ったんだ!?」


 途端に大騒ぎになった。妹は優一の奥さんと組合へ応援を呼びに行き、俺は優一とセンターの周辺で想君を探した。外で青く光る海を見て、最悪の事態を想定する。さっきまで笑っていた想ちゃんが冷たくなっているなんて、考えたくもない。


 俺は嫌な汗を拭う。これほどまでに子供がいなくなることが怖いのか。俺が、優一がちゃんと見ていたらこんなことにはならなかったのか。復興センターのトイレの中から新しくなった港の倉庫の陰まで、俺たちは必死で想くんを探した。センターの職員も総出で、小さな子供を探してくれた。


「……冷凍室は探したか?」

「まさか。子供だけで入れるところじゃない」


 それでも、俺たちには思うところがあったので念のために冷凍室を探すことになった。新しくなった冷凍室には鍵がかけられており、中には水揚げされた魚がたくさん積まれていた。夏の空気と冷気が混ざり合い、職員の眼鏡が曇ったところで俺たちは中へ飛び込んで想くんを探した。


「想!」


 よかった、想くんはいた。冷凍室に閉じ込められていたのですっかり冷たくなっていたが、まだ意識はあるようだった。俺たちは救急車を手配してもらい、優一の奥さんに連絡を入れる。


「こら! 勝手にあんなところに入っちゃダメじゃないか!」


 優一に叱られて、毛布に包まれ震えている想くんは泣きながらこう言った。


「ううん、しらないおばあちゃんがね、うでをひっぱってね、こわいかおでね、りょうちゃんがくるから、ここでまってなさいって、いったの」


〈了〉

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