いつかの約束

和叶眠隣

いつかの約束

「またね」

 自分の声で目を覚ました瞬間、コウコは自分の頬が湿っていることに気がついた。 


 最近毎晩、同じ夢を見る。その人物は、星の浮かぶ湖のほとりでただ黙って手を差し伸べるだけ。言葉を使わずに交わした「約束」。それ以上はなにも思い出せない。


 枕元の時計は、まだ夜の一番深い時刻を指していた。

 布団の中で身体をまるめても眠気は戻らない。諦めて起き上がり、柔らかくてあたたかいお気に入りのブランケットを肩にかけ、ベランダへと向かった。


 星を見上げるのが好きだった。

「此処ではない何処かに帰りたい」

 コウコが子どもの頃から抱えている感覚は、大人になった今も膨らみ続けている。魂の一部をどこかに置き忘れてきたような、世界とうまく嚙み合わないような、そんな違和感が生まれてからずっとあるのだ。

 とはいえ何処に行きたいのか、なぜ帰りたいのか、思い出せない「約束」の正体も、記憶の隅にぼんやりと霞んで焦点を結ばない。


 星々が瞬き、ビロードのようにしっとりとした夜の闇ににじむ。

 ひときわ明るいオリオン座のリゲルが、光の尾を長く引いて流れ星に変わった。


「思い出して」


 その声は時空を超えて届き、深海から浮上する感覚を呼び起こす。


「思い出して。時が来たんだ」


 リゲルが流れ星となり夜空に放たれたように、コウコの記憶も輝きを取り戻し始める。何も不思議ではない。何故ならこの感覚を、コウコははるか昔から知っているからだ。頭の中に響く声が、コウコの中でゆっくりと形を成していく。


「誰? 夢の中の人なの?」


 コウコの質問に答えはなかったが、代わりにイメージが見えた。


 彼の瞳は、深い宇宙の色をしていて、見る者を引き込む神秘的な輝きがあった。まだ出会ってもいないのに、どこかですでに会ったことがあるような気がしてならない。コウコの人生に深く関わっている人であるという“記憶”があった。


「思い出して。君の本来の場所、君の交わした約束、そして君が向かう先……」


 それは恐れではなく、懐かしさ。コウコが長年感じていた欠けた一部。自分の本当の役割を理解し、運命を全うするための約束を、今、思い出したのだ。


 「君の歩む道をまっすぐ進んだ先で、僕は待ってる」


 涙が止まらない。


「思い出した。待たせてごめん……」


 コウコは“知っている”。すべて、自分の中に答えがあることも。

 涙を拭うことなく、静かに星を見上げた。


「僕たちの魂は、また必ず再会する。時間も空間も超えて、君と僕は必ず一つになれるよ」


 どこかはるか彼方で、同じように涙を流している人がいる。距離は何万光年と遠くても、心はきっと繋がっている。声が届いている。


「またね、大好き」

 夢の中で言えなかった言葉の続きを、星に向かって囁く。


 にじんだ涙をぬぐい前を向く。流れたはずのリゲルが失われず輝いているのを見て、少しだけほっとする。


 何も心配することはない。再会の日はきっと近い。

 星々が示すその未来に、コウコはもう迷わない。どんなに時間がかかっても、いつか必ず差し伸べられた手をしっかりと握りしめる日が来ることを、彼女は確信していた。

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いつかの約束 和叶眠隣 @wakana_minto

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