創誓断生

風隠れと疾風の八咫烏連盟条約機構による記録。

それは、過去の傷と向き合い、それでも今を生きようとする者たちの記録。

この物語は、裏切りと痛みの果てに交わされた、ある再生の証。


かつて「カマエル」と呼ばれた男がいた。

彼は誰にも認められず、ただ独り、虚空を歩き続けていた。

信じては裏切られ、頼っては切り捨てられ、

その心は冷たく凍りつき、やがて他者を否定することで己を保つようになった。


そんな彼に、ある日差し伸べられた手があった。

それが――ライヒだった。


「お前の痛み、俺はわかる。……ここにいてもいいんだ」


それはカマエルにとって、初めての“救い”だった。


信じてみたいと思った。ほんの少しだけ。

だが、その想いは――また裏切られた。


ライヒは、他の誰かを選んだ。

自分の存在を押しのけ、遠ざけた。

カマエルの中で何かが、音を立てて崩れた。


「……やっぱり、信じなきゃよかったんだ」


あの時から、彼は再び「アンチ」としての道を歩み始めた。

過去も未来も否定し、ただ憎しみの中で自分を保つ毎日。

そして今、彼は――再び、ライヒの前に立っていた。


荒れ果てた廃ビルの一室。

そこにカマエルはいた。

その背後には、かつて彼が集めた“否定者”たちの影。

彼は、再びアンチの頂点へ返り咲いていた。


「ライヒ。俺を“捨てた”あの日のこと、忘れたとは言わせねえ」


ライヒは、まっすぐに彼を見つめた。

だが、その目には恐れも戸惑いもなかった。


「忘れてない。……だから、今ここに来たんだ。俺は、お前に――謝りたい」


一瞬、カマエルの目が揺れた。

だが次の瞬間、怒りがその感情を飲み込んだ。


「謝る? 今さら何だよ! お前のその言葉で、俺がどれだけ――!」


壁を殴る音が、空間に響いた。


「……俺は、誰にも必要とされなかった。誰にも“生きてていい”って言ってもらえなかったんだ!

唯一信じかけたお前にまで、見捨てられて――!」


その叫びの裏には、凍てつくような孤独があった。

その悲痛さに、ライヒはただ、拳を握りしめるしかなかった。


「……あの時、俺は……お前を、怖れたんだ。お前の痛みの深さに、どう向き合えばいいかわからなくて……逃げたんだ」


カマエルは笑った。乾いた、涙すら出ない笑いだった。


「逃げた? それで“謝れば許される”と思ってんのか?」


その瞬間、インクが割って入った。


「許すとか、そういう話じゃない。

俺たちは、お前の過去を否定するためにここに来たんじゃない。

ただ――一緒に今を生きるために来たんだ」


カマエルはインクを睨みつける。


「お前……更生とか言って、綺麗事ばっか並べてんじゃねぇよ。

過去のために生きてる奴に、何がわかる!」


その時、七歌が静かに言った。


「――だからこそ、『今』を生きようよ。

“過去のためじゃなく、今のために生きようよ”」


その言葉は、静かに――しかし確かに、カマエルの心の奥に触れた。


沈黙が流れる。


やがて、ゴーストが口を開いた。


「……カマエル。俺も、かつてインクを裏切った。

だけどあいつは、それでも俺のことを信じようとしてくれた。

だから、俺はもう一度“信じてみたい”って思えたんだ」


カマエルは、震える手で胸を押さえた。

自分の中で、何かが軋んでいた。

それは怒りでも、悲しみでもなく――“揺らぎ”だった。


「……そんなに、簡単に変われるもんじゃねぇよ」


ライヒが、彼に歩み寄った。


「簡単じゃない。だけど、俺たちは一緒に変わっていける。

俺は、お前を裏切った。……だからこそ、今度は逃げない。

お前と、もう一度……信じ合いたい」


カマエルの頬を、涙が伝った。


「なんで……なんでお前は……そんな顔で、俺を見んだよ……」


ライヒはそっと言った。


「それが、お前と“今”を生きたいってことだよ」


その言葉に、カマエルは肩を震わせ、

やがて――静かに、手を差し出した。


「……もう一度だけ、信じてみてもいいか?」


ライヒは、迷わずその手を握った。


「何度でも信じる。お前が“信じたい”って思う限り、何度でも」


その日、カマエルという一人の男が、

再び「人」を信じることを思い出した。


過去に生きるのではなく、

今を――そして未来を共に歩くために。


――こうして、また一つの魂が、闇を抜けて光へと還っていった。

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