哀影断光

―裏切りと再生の記憶―

 


暗い部屋の隅、ノートパソコンの画面がぼんやりと青白く光っていた。

その光の中、インクは無言で画面を見つめていた。

X(旧Twitter)の通知音が静寂を破る。


「……またか。」


震える手で通知を開くと、そこには罵倒の言葉が並んでいた。


『お前なんかに救われたくない。裏切り者が。』

『正義ヅラしてんじゃねえよ、クズが。』

『昔と同じ顔で、人の心に触るな。気持ち悪い。』

どれも、彼にとって覚えのある言葉だった。

かつて、自分が誰かに浴びせたそのままの言葉。

だが、今やそれを自分が受ける側になっていた。


「ゴースト……」


その名を呟いた瞬間、胸の奥にひどく重たいものが沈んだ。

あの頃、共に並んでいた“仲間”──インクがアンチとして暴れていた時代の部下だった。


 


「俺たちは正義だ。くだらない作品を潰してやる。笑わせるな、こんな駄作。」


そう叫んだのは、かつての自分だった。

“アンチ”として活動し、ありとあらゆる創作物を嗤い、傷つけ、壊してきた。


ゴーストはそんな自分に憧れ、ついてきた少年だった。

目を輝かせ、いつもこう言っていた。


「インクさんの言葉、マジで刺さります。俺も、誰かをブッ壊せる存在になりたいっす。」


その言葉に、当時のインクは満足していた。

しかし――ある日、気づいてしまったのだ。

「その言葉が、誰かの命を追い詰めていた」という現実に。


遅すぎた後悔。

あの夜、たった一言の誹謗で、消えてしまった“誰か”の存在。


インクはアンチ活動をやめ、自らの罪と向き合い、更生施設に身を投じた。

もう、誰も傷つけないと誓って。


だが、それが──**ゴーストにとっての“裏切り”**だった。


 


再びXの通知音が鳴る。

そこにはゴーストからのDMがあった。


『なあ、インク。お前、本当にクズになったな。』

『お前を信じて、ついてった俺がバカだった。』

『今更、優しいフリして何がしたい?ヒーロー気取りかよ。』

読みながら、インクの胸に深い痛みが走った。


(あの日、ちゃんと向き合っていたら……)


コメント欄には、他の人々からの励ましも届いていた。

「インクさんの言葉に救われた」「自分も更生できた」。

だが、ゴーストの言葉だけが、心に鋭く突き刺さった。


 


深夜、施設の廊下でインクは一人座り込んでいた。

そこに、ライヒが静かに歩み寄る。


「……耐えられないのか?」


インクは俯きながら答える。


「彼を裏切ったのは、俺なんです。」


ライヒはしばらく黙った後、そっと言った。


「お前の過去は、消えない。けどそれは、誰かを救う光にもなる。」


その言葉に、インクの目からぽつりと涙が落ちた。


「それでも……あいつの苦しみを、俺が作ったんです。」


すると今度は、七歌(ナナウタ)がゆっくりと声を上げた。


「なら、お前にしか癒せない傷がある。過去の罪を背負っているなら、それこそ、お前の声には意味がある。」


 


次の日、インクはゴーストに返信を送った。


『俺はお前を裏切った。それは事実だ。』

『でも、お前の未来まで壊すつもりはない。』

『謝って済むことじゃないのはわかってる。だから、俺はここで待ってる。いつか、お前が前を向けるその日まで。』

──数日後。


「……なぜ、何も返さなかった?」


ゴーストが突然、施設を訪れた。目は赤く、頬は痩せていた。


「お前が変わったことが、許せなかった……俺を、捨てたように感じた……」


声は震えていた。怒りでもなく、憎しみでもなく──悲しみ。


インクは、静かに目を伏せた。


「ごめん。俺は逃げてた。お前に、ちゃんと向き合う勇気がなかった。」


その時、ゴーストの目から、ぽたりと涙が落ちた。


「……バカ野郎……!」


インクは歩み寄り、ゴーストをそっと抱きしめた。


 


夜、施設の屋上。

インクとゴースト、そしてライヒと七歌が空を見上げていた。


「なあ、ライヒさん……人は、本当に変われると思いますか?」


ライヒは空を見ながら、微笑むように答えた。


「変われるさ。過去に縛られず、今を歩こうとするなら。」


七歌も静かに頷く。


「どんなに深い影も、光を拒まない。」


ゴーストはインクの横で、小さく呟いた。


「俺……これから、何をすればいい?」


「誰かの痛みに、耳を傾けることから始めよう。」


それは、インクがかつてライヒに言われた言葉だった。


──過ちの上に積み上がった光。

それは、確かに人を照らすものとなっていた。


 


静かに朝日が昇る。

その光は、哀しみの影をも優しく染めていた。

そして今、インクたちは確かに、新しい一歩を踏み出したのだった。―裏切りと再生の記憶―

 

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