日々に別れを、あなたに愛を

厳寒

日々に別れを、あなたに愛を

 新型コロナウイルスの流行は、私、高場美桜が高校時代に経験するはずだった青春をすべて奪っていってしまった。



 ちょうど高校受験の少し前の時期から新型コロナウイルスの流行が始まった。そのまま突入した高校生活。オンライン授業、時差登校が日常となり、友達作りもままならなかった。二年生になってなんとなく入った漫研でも、結局周りと馴染めず幽霊部員になってしまった。女子高だったのもあり、家と学校を行き来しているだけの自分に彼氏などできるはずもなかった。そうこうしているうちに時間は流れ、三年生になってしまった。特にやりたいことも思いつかず、親に言われるままなんとなく地元の大学を受けて、合格した。



 言うなれば、私は、高校時代に経験するはずだった青春を失った。とはいえ、原因はきっとコロナ禍だけでなく、積極的に周りの人たちと仲を深めることもできず、やりたいことも見つけられなかった私自身にもあったのだろうけど。



 そうして迎えた大学生活。私は、ある意味運命的な出会いを果たした。といっても、彼氏ができたとか、そういうことではない。それは、私と同じような青春コンプレックスを抱える女の子、元町花音との出会いだった。



 第一印象は、ちょっと控えめな、どこにでもいる女の子。小柄で、長い黒髪を低い位置でお団子にしていることが多い。服の系統は、どちらかといえば可愛い系。たまたま授業で同じ班になって、たまたま好きなバンドが同じで話が盛り上がって、連絡先を交換して。始まりは多分そんな感じだった。話をするうちに、彼女もまた、コロナ禍の中で高校時代の青春を失った同士であるということを知った。



 私たちの共通点は多かった。第一に、青春への渇望を抱いていること。好きなバンド。中学時代にバトミントン部だったこと。高校が女子高で、同年代の男子との接し方がいまいち分からないこと。コーヒーより紅茶が好きなこと。高校時代にほとんど友達を作れなかったのが嘘だったかのように、私はすぐ花音と親友と呼んでも差し支えないほどの仲になった。



 そうして私たちは、“青春”らしいことに片っ端から手を付けて行った。二人で浴衣を着て花火大会に行ったり、高校時代の制服を着崩して、制服ディズニーに挑戦したり。イルミネーションも見に行ったし、バレンタインには本気の手作りチョコを交換した。二十歳を迎えたときには、真っ先に二人で飲みに行った。



 最初は、青春の真似事ができればそれでよかった。取りこぼした青春を二人で拾い上げていく日々が、ただ楽しかった。満たされていた。



――はずだった。いつしか、その気持ちのなかに、不純物が混ざり始めた。そしてそれは、困ったことに、日に日に大きくなっていった。



 “そのとき”が訪れたのは、大学の春休みのある日だった。私たちは、二人で横浜に泊りがけで遊びに来ていた。せっかくお泊りで夜ものんびりできるから、夜景が綺麗なところに行こう、と提案してくれたのは花音。平日とはいえ、場所が場所だから、周囲にいるのはカップルが多かった。みんな仲睦まじい様子で言葉を交わしたり、写真を撮ったりしている。



「やっぱり、気になる人、いない?」



 目を輝かせて夜景を見つめる花音の横顔を眺めつつ、問いかけてみる。もう何度かこういう話はしているが、ふとしたときに気になって、また聞いてしまうのであった。



「残念ながら、まったく。やっぱり、踏み込んで話す機会とか全然ないし、どう話しかけたら良いのか分からないし」



 花音の艶のある黒髪が風を含んで波打つ。まだまだ冷たさの残る二月の夜風にふかれ、頬がかすかに赤くなっている。こんなかわいらしい女の子を放っておくなんて、みんな見る目がないな、とも思うけれど。



「それに私、彼氏作るより、美桜ちゃんと一緒にいられたほうが楽しいのかも」



 花音は私より一〇センチくらい背が低い。目を細めつつこちらを見上げる仕草には、息をのむものがあった。



「あ、でも、もし美桜ちゃんが男の子だったらさ、絶対好きになってたな」



 夜の街の輝きが、花音の瞳の上で揺らめいる。



「――そう。私も、花音が男の子だったら、好きになってただろうし、告白してたかも」



「ふふっ、美桜ちゃんが彼氏……うん、すっごく楽しそう。告白されたら絶対付き合ちゃうな」



 指先が冷たい。



「……じゃあ、私が男の子だったら。好きだよって言ったら、付き合ってくれたの?」



 胸の底にしまい込み続けた不純な想いが、明確な形をもって私の身体から飛び出していきそうになる。その衝動と戦うように、花音の言葉を慎重になぞるように、一語一語をゆっくりと絞り出すように声にする。



「そりゃあ、うん、OKするだろうね。だって美桜ちゃんはさ、優しくて、きれいで、おしゃべりしてるだけで楽しくて、私のやりたいこと、全部叶えてくれて。……でもね、一つ心配なことがあるとすれば」



 そこで一息置いて、花音はこちらを見上げる。その瞳に最大限の友愛の情を込めて。



「美桜ちゃんみたいな人、私にはもったいないだろうなぁ」



 花音、という名前の似合う人だなと思う。この人はいつも、花が開くような微笑み方をする。



「……もったいなくなんか、ないよ」



「私、花音が男の子だったら絶対好きになってたって言ったけど、ごめんね、あれ嘘」



「……え」



「だって、もう好きになっちゃってる」



 終わりだ、と思った。大失態だ。花音のことが愛おしいからこそ、ずっとそばにいたからこそ、この気持ちは押し付けない。そう心に決めてひた隠しにしてきたことを、口にしてしまったのだから。



「――私が、男の子だったらよかったのに」



 早くこんな話は終わりにしなきゃ、何か言い訳をしなきゃ、と頭では分かっているのに、そんな思考を押しのけるように言葉がこぼれ落ちる。



「え、あの」



 戸惑っているらしい声。一体、どんな表情をしているんだろう。



「――美桜ちゃん」



 数秒の沈黙の後、意を決したように、花音が口を開いた。拒絶の言葉を覚悟して、私は顔を上げる。



「美桜ちゃんは、恋愛的に、わたしのことが好き、ってこと……で、いいのかな」



「本音を言えば、そう。ごめん、気持ち悪いよね、友達として接してくれてただろうに」



「あの、ね。私は、自分の気持ちはまだ、分からない――から、お返事はできない。でも、美桜ちゃんの想いが気持ち悪いものだとは感じてないよ」



 その言葉は嘘ではないのだろうと信じられた。花音はしっかりと私の目を見つめてくれていた。その顔に浮かんでいたのは、気まずそうな笑みでも、不快の表情でもなかった。



「それに、これからもこうやって美桜ちゃんのそばにいたいって思ってる。それは、本当」



「――幸せにするよ」



 どうしてか、こぼれた言葉は、「ありがとう」でも「ごめんね」でもなかった。ただ、この言葉がふさわしいと思った。



「……なにそれ、プロポーズみたい」



「私は、隣にいさせてくれる限り、花音が望む形で幸せにする。友達としてであっても、……もし、いつか恋人になってくれる日が来たなら、恋人として、ね」



「あぁもう! やめてよ好きになっちゃうじゃん!」



「私はいつでも歓迎だよ?」



 横浜の夜景は、本当に綺麗だった。濃紺の背景に浮かんだ無数の光が、私たちを取り囲んで瞬いている。



「――手、あっためて。冷たくなっちゃったから」



 やっぱり、花音のこんな表情を他の人に見せるのは悔しい。まだそんなことを伝える時ではないけれど。



「…… ふふ、喜んで」



 あれ、花音のほうが手、温かいじゃない。その言葉は口にはせず、花音の細い指に自分の指を絡めた。冷たく、輝かしい夜の中で揺れる確かなぬくもりは、私の心に幸せのような、安心のような柔らかい感情を灯してくれた。



 青春を「取り戻す」日々には、もはや別れを告げることになるだろう。これからは、私たちの青春を、私たちなりの形で紡いでゆく、そんな日々がきっと待っている。

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