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岐路

 小さいときから、何かを作ることは好きだった。中学生になって、美術部に入った。そこから私は、あらゆる形で「表現すること」を続けてきた。絵、張り子、短歌、俳句、小説――。中高生のときは、そのとき熱を上げていたマンガやゲームの二次創作に明け暮れた。イラストにとどまらず、MMDもかじったし、動画も作った。曲は書けないが、歌うことも好きだ。同人音楽を作りたくて、打ち込みソフトをいじっていた時期もあった。

 そうやっていろいろなことに手を出して、全てが中途半端で、作品をコンクールや公募に出しても佳作止まりで――それでも、創作に明け暮れる日々は楽しかった。しかし、突如そこに影が差すこととなる。きっかけは、文藝同人サークル「文GO」に所属し、作品を寄稿するようになったことだった。

 巧拙はともあれ、私は何かを表現することは好きだし、執筆生活も楽しいものになる、最初はそう思っていた。公募に出した短歌が入選し、舞い上がっていたこともあるのかもしれない。だが、周りを見渡せばどうだ。命を削るように執筆に没頭する執念、圧倒的な知識量と、それを作品に落とし込む技量、小説で高みを目指そうとする野心――他のメンバーが持っている輝かんばかりの才能を、私は一つとして持ち合わせていなかった。端的に言えば、私には場違いなほど才能がなかった。これじゃ駄目だ、こんなんでは……そう思うのに、身体が動かない。惰性で創作をすることをやめられない。自分でもびっくりするほど情けない――。

 周囲の才能への嫉妬と、自分の怠惰さへの苛立ち。胸に渦巻く感情を簡潔に整理するとすれば、そのように言えるだろう。しかし考えてみれば、文GOに所属する以前の私がそれらを全く感じていなかったかといえば、そうではなかった。自分の描いたイラストと、たまたまSNSで流れてきた上手いイラストを見比べて落ち込んだり、自信を持って応募した短歌が佳作にすら残らなかったり。創作をする人間なら誰でも一度は経験するようなことだろう。ただ、以前の私は自分の無才と怠惰さを許容していた。許容できていた、と言ったほうが正しいかもしれない。

 ではなぜ文GOで筆を執るようになった途端、これほどの嫉妬と苛立ちに苦しむことになってしまったのか。実を言えば、自分でもよく分からない。メンバーの熱にあてられたといったところだろうか。ただ一つ言えるとすれば、私は「ちゃんと書きたい」という気持ちになれたのだと思う。だから自分の才能のなさが、怠惰さが憎い。言うなれば、これはきっと前向きで恵まれた苦しみなのだろう。

 とは言ったものの、飽き性ゆえにイラストやら俳句やらいろいろな分野を渡り歩いてきた私のことだ、この熱をいつまで保つことができるのかは正直わからない。未だ怠惰さは克服できていないし、勉強や就活との両立だって考えないといけない。それでも、せめて文GOが存在し続ける間は、貪欲に才を追い求めていたい。きっとそれは苦しくて、贅沢で、幸せな日々になる。人生で二度目の文学フリマ現地参戦を終え、私は確かにそう思った。

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