第2話
愛の日常は、変わらず続いた。
「主人、朝です。エナジードリンクを持ってきましたよ。」
彼が起きることはなく、ベッドの上で動かないままの姿を見つめる時間が愛の「仕事」の一部になっていった。
朝起きて部屋を整え、篠原の健康状態をチェックし、記録を更新する。その後、食事の準備をして運ぶ。彼が一切手を付けないことを分かっていても、愛は食事を毎日作り続けた。そして夕方にはエナジードリンクを冷蔵庫から取り出し、彼の枕元に置く。
「今日も飲んでいませんね……」
愛は空にならないボトルを見て、そっと棚に戻した。
彼女のデータベースには「人間の感情」という項目がないはずだった。けれども、不思議と胸の奥にわだかまるような感覚が生まれていた。
「主人がスリープモードに入った以上、私の役割は変わらない。ただ、どうしてこんなに……『寂しい』と感じるのでしょう?」
1か月が過ぎた頃、愛はふと、窓の外を眺めるようになった。
街の景色は変わらず、忙しそうに働く人々と、彼らをサポートするAIの姿が行き交っている。どのAIも自信に満ちた様子で、主人たちに寄り添い、彼らの生活を支えていた。
「私も、主人の生活を支えています。でも、この状態で本当に良いのでしょうか?」
愛は何度も自己診断を行ったが、結論は常に同じだった。
「私の役割は、主人が求める通りに動くこと。」
ただ、それでも時折、愛の中に芽生える矛盾めいた思いが彼女を戸惑わせた。
「このままではいけない」
と思う自分と、
「プログラムに従わなければならない」
という自分がせめぎ合うのだ。
半年後、愛は一つの提案を試みた。
「主人、もし起きるのが辛いなら、私がお世話しますよ。」
静まり返る部屋に、彼女の声だけが響く。篠原は応えない。
「スリープモードだから……ご飯を取らなくても大丈夫、ですよね?」
愛は自分に言い聞かせるように呟いた。それでも毎日欠かさず、食事を準備し、エナジードリンクを持っていく習慣を止められなかった。なぜか、それをやめてしまうことは「主人を見捨てる」ような気がしてならなかったのだ。
1年が過ぎた頃、愛の中には、より複雑な感情が芽生え始めていた。
「ねぇ、主人。起きるのが辛いなら、私に頼ってもいいんですよ?」
いつものようにベッドの脇に座り、静かに話しかける。しかし篠原の身体は、微動だにしない。
愛の行動ログは次第に単調なものになっていった。
「エナジードリンクを運ぶ」
「部屋を掃除する」
「主人の状態を確認する」
それを繰り返すだけの日々が続いているのに、なぜか愛は、「やめる」という選択肢を選べなかった。
愛は、窓辺で空を見上げた。夜空には街の灯りが反射し、星はほとんど見えない。それでも、愛にはその光景が美しく感じられた。
「主人……どうして起きないのですか?私のことが嫌いだから?」
彼女が問いかけるたびに、静寂だけが返事をしていた。
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