第302話

予想通り、出発までは慌ただしい日々だった。


時計の針は止まってくれない。

焦らなきゃいけないはずなのにエンジンがかからず、私の世話を焼く兄はマイペースな妹に完全に呆れていた。






だって。日本を離れるなんて未だに夢の中の話みたい。


浮ついたままで用意された複数の書類に事務的にペンを走らせ。

何が必要かなんて想像もつかないままの荷造り。



化粧品や充電器を真っ先に手にとって、どう考えてもこれは最後だろと自分でツッコミを入れそうになった時には流石にヤバイと思ったけど、それでもどこか現実離れしたままだった。






私にとっての現実はただ一つ。


あの日の譲との別れだけ。






それで良かったのかもしれない。


嘆く暇もないほどに急かされ、鳥のようにバタバタ動き回り。

疲れて気を失うように眠ってしまえば譲を思い出すのは夢の中だけ。





夢の中で堪えきれなかった涙は、朝顔を洗って跡形もなく消し去り。

何事もなかったようにまた1日を過ごす。





じゃないと今にも会いに行ってしまいそうで。

頼りない感情に振り回されて悲劇的な最期をやり直すことになったかもしれない。







そんな私の心を汲んだように、譲からの連絡は一度もなかった。


本音を言えば、有難かった―――――…。

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