《第二話 謎の影》

「その女性はどんな方なんですか?」

俺はコーヒーを作るマスターの動きを観察しながら聞いた。

「うん、そうだね。とても美人でおしとやかに見えるね。岡崎さんより一つ年上だそうだよ」


とても美人でおしとやかな一つ年上の女性かぁどんな人なんだろう。

徐々に冷めていくナポリタンからは出来上がりの頃に比べて湯気の勢いがなくなっていく。


「陽太君。三番。ブレンドお待ち」とマスターがブレンドを出す。

「ありがとうございます」


配膳の途中、岡崎さんを見てみるとスマホの画面を覗いていた。その顔は少しだけ陰りが差すものの微笑んでいるようにも見えた。


「お待たせしました。ブレンドコーヒーです」

カウンターへ戻って行く途中、再び岡崎さんを見てみると、ズルズルとナポリタンをすすっていた。

もう悩みは解決したのだろうか?割られた半熟の黄身がトロトロと垂れ、麺に絡んで美味しそうだ。

さっきまでの陰りが無く、晴れやかな表情になっていた。

この店のナポリタンは本当に美味いからな。美味しい料理にはそういう力があると思う。


「喫茶ペンブローク」は夜になると地下スペースを開放して地下アイドルや駆け出しのバンドのライブ、若手お笑い芸人たちが立つ劇場になる。いわゆる貸出のイベントスペースが存在するのだ。


ちょっと珍しい喫茶店、それが「喫茶ペンブローク」。


店名の「ペンブローク」という名前の由来は、人気の犬でコーギーからとった…というわけではなく、なんでも「喫茶ペンブローク」のマスターが若いころにお笑い芸人をしていたというのだ。マスターの名前は葛城朋也さん。


そのときのコンビ名が「ペンブローク」だったらしい。おちゃめなところがあってとても面白い人だ。そして厨房の中で一人、料理をしているのは葛城ユミさん。マスターの奥さんである。


「喫茶ペンブローク」の唯一の料理人だ。ユミさんは自分のことを必ず「ユミ」と下の名前で呼ばせるのだ。「ユミさん」と名前で呼ばないと返事をしてくれない、ちょっと困った人だ。バイト初日からそれを要求されたので恥ずかしかった思い出がある。


いつもニコニコした笑顔で「優しいお姉さん」といった印象の持ち主。作る料理はどれも美味しいものばかりで、特にこの店のコーヒーによく合う自家製カレーは、「ペンブローク」の看板メニューになっている。


バイト中のまかないとしても食べることができるので、俺はいつもまかないの時間が楽しみだ。


「喫茶ペンブローク」でバイトをしているのは俺だけではない。一緒にバイトをしている人は、俺を入れて三人だ。少人数でまわしている。


岡崎さんがお会計カウンターに向かうのが見えたので俺もすかさずお会計カウンターに向かった。


「ナポリタン、美味しかったですか?」

「ああ、もちろん。ありがとう、少し元気が出たよ。真神君」

「それは良かったです」

「コーヒーの豆も変わったみたいだね。マスターに美味しかったと伝えてくれ」

「はい、かしこまりました」


岡崎さんはコーヒーの豆が変わったことに気づいていた。さすが常連さんだ。


カランカラン。


お店の扉を開けて、岡崎さんをお見送りした。普段はこんなことはしないがお客さんが少ないときはなるべくお見送りするスタイルが「喫茶ペンブローク」だ。


「じゃあ、またね。真神君」

「はい、お待ちしてます。岡崎さん」


岡崎さんはニコッと笑って、お店を後にした。俺はその後ろ姿が見えなくなるまで見送った。


店内に戻ろうとすると誰かの視線に気がついた。その視線の方を見てみると、電柱に体を隠してこちらを覗く者がいた。

あちらもこちらの視線に気がついて、サッと電柱に身を隠す。


誰だ?


「あの人は確か…」電柱に隠れた影は帽子を目深に被りそうつぶやいた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る