[2.10] 「蜘蛛退治リターンズ」①

 満月はいくらか欠けて、そろそろ立って待つにも居て待つにも暇を持て余しそうな頃。風がどうと吹き抜けて草はざわざわ、木の葉はかさかさ。だが枝と幹の間に営巣した巣を形作る蜘蛛の糸は罪人1人ならば耐えられるようにかなり頑丈である。この風にも負けず、巣の形を崩さず頑張っている。

 その一陣の風よりも早く、文字通り風を切る音。風には負けなかったが、巣を支えていた木の幹ごと斬り倒されてはどうしようもない。周りの木々に大丈夫かと抱えられるようにして樹齢数十年はあると思われる木は土に還らされることとなった。その幹に巣よりも大きな蜘蛛がへばりついていた。だが木ごと斬ってしまったようで。


「要らんもんまで斬ったらあかんで、リンゴ」

「ごめんて、けど意外と速かったわアイツ」


 舞台は数日前と同じ、もはや怪物とも言えるサイズのあの大蜘蛛が陣取る山。この山ごと大蜘蛛の巣と化した怪物の本拠地を根絶やしにすべくやってきたリンゴたち一行は、すぐさま戦闘に移っていた。

 しかしこれだけの広大かつ闇夜の山である。彼らは今回の大蜘蛛討伐部隊4つのうち第二班として結成されているが、本拠地を出て少し山を入った所で早速の接敵である。


 巣の外にはなかなか出てこないが、いざ入ってきた獲物は容赦なく襲う大蜘蛛。ここは巣の領域一歩手前、そこまで巣が拡大していると気付かず一歩踏み入れてしまったリンゴは真っ先に襲われたものの、素早く刀を抜いたリンゴはすぐさま返り討ちにしたという訳だ。

 だがここは敵地である。仲間がやられて、敵意を持った人間が巣のすぐ近くにいるとなると、人間ほどではないが普通の蜘蛛よりは知能のある大蜘蛛は襲撃もすぐ感知した。……もうガサガサと草をかき分ける音。


「来るで、オレンジくん……でええんか? それともネズと呼んだ方がええんか?」

「どちらにせよ半分正解、半分不正解じゃな」


 だがこの喋り方はネズの方だ。半分、というのはどういうことか。


「小娘どももテンノスケがミクルの体を借りて話しておったのを見たであろう。かなり力を失ってしまったテンノスケは箸を形代にしておったが、まだ摩耗が少ないワタシは何かを形代にする必要が無いという訳じゃ。じゃから確かに半分はワタシだが、半分はレンジじゃ」

「まだ慣れないね、この感覚。自分じゃないみたいで」


 確かに、以前のミルクと同じようにオレンジとネズが混ざったような声と、オレンジだけの声が聞こえた。原理は同じのようだ。

 つまり、オレンジの体をオレンジとネズの2人で動かしているような状態だ。ツカサの一員としてオレンジも鴉を模した面をもらって付けている。


「以前伝授した通りじゃが、はじめのうちはワタシがやろうぞ。なに、任せておけ。ヌシにはかすり傷一つ負わせぬ」

「え、なに、ウチらは傷負ってもええのー?」

「そうやそうやー」


 リンゴはネズのいつもの親バカっぷりを見て少し揶揄うように言った。アオイもそれに便乗する。完全に揚げ足取りでしかないが。


「……ええい、小うるさい小娘どもめ」


 ミクルのやつとも約束したしのぅ。

 ネズがそうボソッと呟いたのが聞こえたのはオレンジくらいだろう。


「リンゴ、アオイ、それくらいにしとけ。敵陣の真ん前やぞ。集中せえ」


 ビシッと締めに入るのは鴉面をつけたユヅルである。立場や肩書きとしては班長もこなすらしい。

 ふぁーい、と女子高生2人は気の抜けた返事を寄越す。しかしちゃんとスイッチは今一度入れ直したようで、姿勢や表情は臨戦体制に戻る。


「オレンジ、いや今はネズもか。守り担当みたいやけど、あいつらもなんやかんやでしっかりしとるし、気負いすぎんなや」

「大丈夫です」

「気負う……か。余計なお世話じゃ」

「それならええけど」


 オレンジとネズの返事を聞くと、ユヅルは見守る顔になって正面の敵陣をあらためて向き直る。しかしやはりネズの存在は気になるようで、チラチラとネズのオーラを纏うオレンジを見て1人ごちる。


(しかし、ここまで音沙汰無かったあのネズがホンマにおっただけでも驚きやっちゅうのに、1人の人の子に肩入れとはな)

「アオイ、準備はええか」

「オッケー」

「わかった、頼むで」


 アオイは以前と同じようなお札を取り出して、効力を発揮させる。


(前はボールペンで描いたその場凌ぎやったけど、今回は準備してきたでー)

「カラスべの名において命ず……」


 そうアオイが詠唱の詞を呟くと、彼女から四体の蠢くものが十字四方に散らばる。人の形を模した紙のとある距離の宙空で止まった。そして、


「春符、東方護龍陣!」



 ——これは妖たちが用いる妖力およびその影響を軽減、もしくは浄化する力を持つ。いわば守護結界、もしくは浄化結界である。

 そして召喚した「式」は術者の「呪力」と引き換えに、術者を援護する——



 つまり、以前ここからからがら逃れた時に用いた陣を「式」によって強化した状態で再発動したということだ。


「オレンジくん、食われたなかったらこの子らの中おっとってねー」

「大丈夫だよ」

「自分の身は自分たちで守るわい」


 一行は敵陣へ足を踏み入れた。

 ピュウ。

 中空に舞う風を切る心地良い音。鏑矢(かぶらや)という、音の鳴る矢をユヅルが放ったようだ。古くは合戦の合図にも使われたもの、今は行動開始の合図だ。しばらくしてこの山のどこかからも似たような音が鳴った。他の班も行動を開始したらしい。


 途端に猛烈な殺気がこちらを襲う。

 その数は一つや二つといったものではない。多数だ。数多の殺気がこちらを睨んでいる。

 何もしていない状態ならば以前のイタチのように動けなくなり、座して死を待つことになるのだろうが、アオイの札がそれを相殺してくれる。その間にも一行はじりじりと巣の奥へ歩を進める。


(さて……どっから来る?)


 リンゴは鬼の面の下から目線を動かして周囲を見渡す。だが深夜のことで視覚はほぼ役に立たない。集中する方向を探っているのだ。リンゴは左手の鞘を握る力が自然と強くなる。


 カサッ。


 草をかき分ける音、そしてその直後に風を押しのけるような音。


「レンジ、右じゃ!!」


 え、とオレンジがネズに聞き返す前に空気を斬る音。何かが飛びかかってきたと言うのはオレンジにも聞き返しながらも何となくわかったが、飛びかかってきた存在やその大きさを再確認すると流石に驚いた。

 リンゴの目にも留まらぬ速さでの居合斬りである。あいにく夜なのでさらに見辛いとはいえ、その速さは音でわかる。

 一刀両断とはいえ、自分をゆうに超える大きさの蜘蛛。オレンジは節足動物の類は苦手な方である。ドシャッ、とそこそこの重量が地面に落ちる音でもさらに驚く。


「ひえっ……」


 オレンジが怖がっている間にも、その大きな蜘蛛は燃え尽きるように消えていく。だが慄いている場合ではない。ここは突入したばかりとはいえ敵陣なのだ。

 その証拠に、さらに殺気が増したような気がする。初陣のオレンジはさておき、死戦も幾許か経験してきたリンゴたちはより構えを強める。


 ガサガサガサガサ。

 すかさず3体の大蜘蛛が暗闇から飛び出して正面に立ち塞がった。だが飛び込むには早い。下手にアオイの札の効力範囲外にはみ出してしまえば、彼らの晩御飯になってしまう。


「わかってんな、陽動かもしれんぞ」


 ユヅルからすかさず釘が差される。刀を構えながらもリンゴは無言で頷く。その間にもすり足で一歩一歩と適切な間合いを計る。

 ある距離まで近づいた、その瞬間に大蜘蛛の足がピクリと動いた。経験と勘でリンゴも反射的に脚が地面を蹴っていた。

 暗がりに太刀筋が2つ素早く輝く。3体のうち1体は全体を一刀両断、もう1体は死んではいないものの、脚8本のうち右の4本と腹の大部分がスパリと斬られている。コイツもほぼ瀕死で動けないだろう。

 では残るもう一体は。


(後ろ……?)


 リンゴが斬り伏せた2体の仇、と言わんばかりに残りの大蜘蛛が飛びかかってきた。だがリンゴは1人ではない。

 ピュン、と気味の良い風を切る音。大蜘蛛の頭には矢が刺さっている。構えているのはユヅルである。この闇夜でありながら正確に敵を射抜いている。

 だが倒すには至らなかったようだ。敵はかなりのやり手だとわかると、矢が刺さったまま、患部を気にしながらも恨めしそうに闇の奥へ逃げていった。


「あ、また逃げられた」


 アオイが叫ぶが、あそこはもう陣の圏外だ。深追いはできない。


「リンゴ、深追いはすんな。一旦戻りぃ」


 ユヅルから指示が飛ぶ。リンゴも圏外にいては敵わない。素直にアオイの陣の元へ戻る。

 その一連の小競り合いを見て、手を叩くのはネズだ。


「ほぅ。一度ワタシも受け止めた身とはいえ、あの程度の野良妖怪とはいえ、良い太刀筋じゃ。そこの小童もこの悪条件でよく射抜いたな」

(ホンマ可愛くないなぁ、相変わらずー)

「ついこの前まで『あっち側』におった奴に言われたぁないわ」


 リンゴは色々な感情が混ざって複雑ながらもそう返した。そのリンゴの気持ちがある程度読めているのだろう。フフ、と口角を上げて笑うと、ネズは左の掌をリンゴに見せるように構える。


「そうか、半人前でありながらも褒めて遣わしたというのに」


 リンゴはその左手の動きに見覚えがある。初めてネズと対峙したあの時のと似ている……。


(……まさか!!)

「みんな、後ろ!!」


 リンゴが背後を気にした瞬間、ユヅルの叫ぶ声。見ると、さっき倒し損ねた大蜘蛛が口から何かエネルギーのようなものを吐き出そうとしている。


「まだまだ、甘いのう」


 ネズはそう呟いた時にはそのエネルギーを砲弾のようにこちらに放ってきた。


 だがそのエネルギー弾は、まるで透明な壁にボールを当てたかのようにこちらに届くことなく弾かれた。弾かれた先の地面には鉄球を落としたかのようなクレーターができた。クレーターからは白い煙が湧き出る。だが放った大蜘蛛も総力を掛けた決死の攻撃だったようで、放つと燃え尽きるようにして消えていった。

 それを見届けると、一気に視線はネズに集まる。


「何じゃ、そんなにワタシを見ても何も出んぞ」


 リンゴたちの考えは様々である。


(コイツ、ホンマに敵意無いんか?)

(アレを何の気無しに受け止めよった)

(凄い……)

「ヌシら、本当にわかりやすいのう」


 ネズは顎に手をやり、くっくっくと笑う。本当に可愛くない。ひとしきり笑うと、上がった口元と下がった目尻は元の位置に戻った。


「ヌシらの考えることなどすぐわかるわ。腹の探り合いなど興醒めするほどにな。それより、今ワタシらは前に進むべきではないか?」


 ペースを完全に持っていかれている。下手に言葉を返せば猜疑心で堂々巡りである。これがネズの謀略ならば大したものだ。


「ほれ、無駄口の間にまた出てきおったぞ」


 ネズはリンゴたちの背後を示す。振り向けばまた大蜘蛛の群れが臨戦態勢でこちらを睨んでいる。しかも今度はかなり多い。蜘蛛の巣だけに包囲網という言葉がよく似合うが、そんなことを考えている場合ではない。


(アイツの手のひらで弄ばれてる感覚は腹立つけど、今はしゃあないか)


 リンゴはまた火血を握り直す。ユヅルは矢筒に手をやる。リンゴの居合斬りが大蜘蛛のうちの一体を切り裂いた所で、再び戦の火蓋が落ちる。

 殺気が満ちる空間の中で、少しオレンジは立ちくらみを起こした。

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