[2.4] 「似た者同士」

 ——その昔、この街には都があった。

 天下の政はミカドのもと執り行われ、間違いなくこの街は政治的にも文化的にもこの国の中心であった。


 だがそんな華やかな都も恐怖という砂の上に建つ楼閣のようなものだった。恐怖というのは都の外、洛外から襲い来る人ならざるものの存在である。

 夜道で不意をついて驚かされるなどはまだ可愛い方で、人を捕食対象として認識しているものがいれば文字通り喰われてしまう人もいた。

 彼らに対抗する手段は強い光と、禊を済ませたお札や破魔の矢など。とはいえ当時潤沢な物資があるわけでもなく、闇夜の陣取り合戦は徐々に妖側優勢に傾倒していった。

 しかし人も同胞や財産、そして旗印である帝を守らねばならなかった。最悪血みどろの戦も受けて立つつもりではいたものの、個々の力関係を考えれば人は不利であった。そこで人が命懸けで妖と交渉し成立させた盟約がある。


 それは都の四隅に柱を建て、そうして出来た四角形の結界内には妖は侵入しない代わりに、結界の外で妖に襲われて四肢をもぎ取られようが野垂れ死のうが、その者の自己責任として処理するというものだった。

 結果両者はこの盟約を納得し、了承した。盟約の成立、友好の証として人々は四方の野に神社を建て、毎年一回祭を開催し、神酒を奉納した。



 それから、時は流れた。

 施政者である帝は代替わりした。

 帝は権力を徐々に消耗し、帝の臣下たちは権力争いに身を投じ、洛内洛外を問わず大きな戦乱が起こった。

 帝に代わり政を行う者が現れた。

 挙句には遷都が行われた。

 そして、いつしか、この古き都に住む人々の大多数すらこの盟約を忘れてしまった。



 これはこの街の片隅で今も伝えられる昔話である。多くの人には伝説、作り話と認識されるかもしれない。

 彼らは「伝説であって実在するわけがない」と言う。確かに遥かな時間が経ち、こんな昔話は作り話であると考えた方が単純かつ楽だろう。しかし今を生きる彼らにこの話がただの御伽話であるいう証明も、彼らにはできないはずなのである——



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「ネズ、か。その名前、久々に聞いたな。あん時やから僕が学生くらいかな、一回タイジしたことはあるわ」

「え、ならなんで復活してるんや?」

「向き合う『対峙』な。倒したわけちゃうで」

「そっちかい」


 ここはリンゴの家。ツイリとネズとの出会い、その翌朝の朝食風景である。リンゴは祖父お手製の味噌汁をすすりながらガクに本題を切り出した。


「で、何かじいじは知ってるん?」

「ツイリ、てのは生憎知らんけど。ネズはちょっとだけな。あいつは防御結界とか妨害が得意みたいやな」


 そういえばリンゴの持つ刀「火血」もネズに受け止められた時に刃こぼれしてしまった。あれは防御結界をあの一瞬のうちに張って攻撃を防いだ、ということか。


「あー、やから火血が……」

「片手で数えるくらいしか会うたことなかったけど、毎回なかなか食えへん奴やったわ」

「どんな風に?」

「そうやなぁ、アイツら妖(あやかし)の原則は知っとるな? 妖が存在を顕現させるには何かしらの『信仰』と、『場所か物』と、『名前』が要る。で、当時の調査段階ではアイツやアイツの配下の妖は『媒体』を他に移せるんちゃうかと睨んでたんや。そういう術が使えるんやないか、て」


 彼が大学生くらいとなると5、60年くらい前の話になるだろうか。


「アイツの名前聞くんも、かれこれ60年ぶりか。懐かしいなぁ。右の筋やってもうたんもその後くらいやったっけ……」


 そう目尻を下げながら遠い日々を思い出している。見れば、ガクの右上腕の中程に傷跡が残っている。筋というのは右腕の橈骨のことだろう。刀を振る人間からすれば致命的だ。

 だがガクは首と手を振って笑顔を作った。


「まあ、朝からこんなしみったれた話はやめとこか。……あ、そうやった。忘れる前に伝えとかなあかんねやった、今週末から連休やろ、ほれでな……」



 ——この世界で認識を得るには特定の要素が要る。主に「根源」、「媒体」、そして「形代」の三点だ。例えるならば、電池と電線と電球の関係だろう。

 妖や神といった存在の場合はそれぞれ「信仰や畏敬」、「特定の依代(場所や物)」、そして「妖や神としての名前」。この3つが一致することで初めて認識される。決まった体を持たず、これまで時に他者に恩恵もしくは厄災をもたらすことで存在を保ってきた者たち。逆に言えば、彼らを識別する名前を忘れられてしまえば彼らの存在は消えてしまいかねない。例えばこの世界には様々な水の神が存在する。多少の力の差異はあれど、決まった姿形を持たない彼らに名前が無くては区別はできない。

 一方で人間のような生物も例外ではなく、彼らの場合は「名前以外の個人情報」と「魂」。生物はこれら2つが一致していれば、他者との存在を区別できる。顔、声、性別などの各個人情報、そして精神的な差異をもたらす魂、言い換えれば「らしさ」。また彼らにとって名前は絶対的に必要なものではない。反例として同姓同名、あるいはニックネームなどが彼らの文化には存在するからだ。

 少し長くなったが、これら根源と形代を紐付けて一致することで我々は初めて「自他」を区別し認識できる。

 ただ、この世界にはこのルールより少し逸脱した、「例外」も存在しているのもまた事実である——



 舞台は移り、ここは洛内のとある高校。麗らかな春の残り香は少しずつ湿気を含んで、あと少しすれば立夏とも呼ばれる頃である。

 所々その陽気に当てられて夢の世界へ誘われる生徒も何人かはいる。ただそういった彼らの大半は船を漕いでいたりと起きていようという意思は少しばかり感じる。


 その一方で起きる気など無いと意思表示する者もしばしばいる。そのうちの1人が黒髪を後ろで二本かんざしでまとめている小柄な少女、リンゴである。うつ伏せになって腕で枕を作っているうえ、さらにだらしなくヨダレまで垂れている。完全に爆睡状態で、昨夜明らかに異様な雰囲気を纏っていた妖と勇敢に対峙していた、クールかつスタイリッシュな彼女とは大違いである。

 流石に教師もこの見事とも言える爆睡っぷりには内心苦虫を噛み潰しているが、気になっているのは彼女だけではないようだ。


 その同じ教室の逆サイド。窓際の席のリンゴとは逆に廊下側の席にリンゴほどの爆睡ではないものの、頬杖ならぬ額杖で寝ているヘッドホンを首にかけた男子生徒が1人。リンゴよりは起きていようという意思は感じるが、船のオールは捨ててしまって夢の海を漂流している。

 1限目からこんな状態では先が思いやられる。ただこの時間の授業は終了のようで、それを告げるチャイムが鳴る。周囲の生徒は固まって友人同士のお喋りに興じ、はたまた移動教室のある生徒は次の時間の準備に取り掛かる。


 リンゴと男子生徒が目を覚ましたのは彼らの大半が教室を出て行った後である。いつまで寝てるんだ、起こしてあげた方が良いのか、といった視線は彼らに送られるが結局素通りである。

 彼女たちにしてみれば、眠い目をこすれば教室の蛍光灯は消えて人並みは粗方去ってしまっている状況である。寝過ぎた、と内心少し焦りながら次の準備をする。


「もう閉めるよー」


 一足先に準備が終わったらしいヘッドホンの男子生徒のリンゴを呼ぶ声。結局リンゴが最後になってしまった。

 筆記用具やら一式をまとめて出ると、男子生徒と教室の鍵を閉める。男子生徒は腕をまくるようにして腕時計を見る。


「やばっ、急がんと」


 寝すぎてもうた……。

 踵を返してぼやく彼のまくられた左腕の袖の奥をリンゴは見逃さなかった。

 真新しい白い包帯が見えた。そしてわずかに感じる妖力の気配。


(……!?)


 あくまでこの時点では勘の域を出ないが、なんとなく「この自分の勘は真実である」というような感じがしていた。

 リンゴは彼の離れていく背中に声をかけようとした。が、そこで大事なことに気が付いた。


(えっと……彼、誰やった……っけ?)



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 結局彼の名前を思い出せないまま時刻は放課後である。

 しかしリンゴも思い切って声がかけられないのは、リンゴ自身そこまで外向的な性格ではないからだろう。友人もさほど多くはない。しかし全くいないわけではない。クラスは違えど、同級生にはアオイがいる。

 まあ理由はそれだけではないみたいだが。


「ほれで、私引っ張ってきたと」

「ちゃうって。もしビンゴでウチに万一があった場合に、ウチ1人やったら対応できひんやろ」


 もっともらしい理由で口では否定しているが、表情や口の動きにはダウトと宣告したくなる。とはいえアオイも友人の頼みはそうそう無下にはできないのも確かなようだ。


「はいはい。寂しいんやったらそう言うてくれたらええのに」

「寂しかないわ」

「えぇ、ほな何なん?」

「……」


 これは一本取られた。ニヤニヤしながら訊くアオイに、リンゴは頬を少し赤くしてそっぽを向く。


「……とりあえず、先ウチが話しかけるから、アオイはどっか近くで構えとって」

「はーい」

「……アオイ、なんか他人事やと思てへん?」


 むっとしたままリンゴはアオイに詰問するように言うが、アオイは頬をポリポリとかく。


「私はそのネズてのにまだ会うてへんから確証が無いんよ。それに、いくら腕怪我してたからってその子がネズか、ていきなり疑うんもなぁ、って」


 確かに、冷静に端から見ればそうだ。腕の包帯だけで決めつけるのは早計ではないか、と言いたいのだろう。


「包帯は何となくわかるわ。けど他何か確証あるん?」

「んー、勘」

「……。帰ってええ?」

「あかん」


 結局押し問答だったものの、なんだかんだでアオイは付き合ってくれるようだ。


「あ、来たわ」


 そうしているうちに一枚の紙を持った男子生徒が場所はここか、と言うように辺りを見渡している。今日は午後からぐっと日差しが出て暖かくなるという予報だった。彼は制服のシャツの腕をまくっており、包帯を巻いた左腕がはっきりとここからでも見える。


「で、どうする……ん?」


 そうアオイが訊こうとした時にはリンゴは前に脚を踏み出していた。アオイもリンゴがそこまで初対面の相手でもすぐに打ち解けるような性格ではないことは知っている。


(あれ、意外)

「お待たせ、学校終わった後やのに来てくれてありがとうな」


 リンゴはそう明るめに話しかけた。しかし後ろで見ているアオイにはわかる。


(ってやっぱり緊張しとるやん……)


 背後に回している左手は手汗を揉み消すように忙しなく動いている。これは緊張している時のリンゴの癖である。


「大丈夫だけど、何、話って」


 思わずアオイは吹き出しそうになった。いや、いくらかはゴム風船の口を締め忘れたかのように空気が漏れ出てしまった。2人には聞こえないであろう音量だったのは不幸中の幸いだった。


 アオイが吹き出した理由は一つ、呼び出された彼の方も見るからに緊張しているからである。アオイは内心で類友かい、と突っ込んだ。そしてもう一つ、事情はどうあれ、かつてリンゴの祖父と対峙した者と下手をすると一戦交えるかもしれないというのにこのお互いの人見知りっぷり。初々しさも含んで流石に拍子抜けである。

 結局お互いもじもじと恥じらってなかなか動かない。


(何してんねよあの子ら……)


 まあ彼の方が人見知りかどうかは置いとこう。いかにも異性とのお付き合いの経験に乏しそうな、初心な年頃の男の子がクラスメイトの女の子にサシで呼び出された状況だ。仄かな期待が胸中で湧き上がるのは想像に難くない。シュールではあるが、それでもなかなかお似合いな2人である。

 だがリンゴもいくら緊張しているとはいえ本題を忘れた訳ではない。


「……えと、その左腕、どないしたん?」

「え、ああ、これ? 今朝起きたら怪我してて。昨日の夜には無かったんだけど」


 思わぬ方向から話を切り出されて彼の方は驚いた様子。そして何がとは言わないが、心なしか少し残念そうな表情になった。


「ほうなんか……」


 リンゴは呟くようにこぼすと一歩、にじり寄った。後ろ手には既に焦げ始めている一枚の札。


(発動はもうしてる……。もしネズやったらこれ気付くよな?)

「で、えーと、『オレンジ』くん」

(……え?)


 自分で発した言葉に驚くことがあろうとは。なぜなら、数時間前なぜか捻り出そうとしても出てこなかった彼のニックネームが、今はすっと出てきたからだ。それだけならばよくあることだが、数時間前は彼の名前を思い出そうとすると頭の中の名簿リストの彼の欄が霞むかのように、あるいは人智を超えた存在に思い出すことを拒まれているかのように、彼の名前が出てこなかった。

 しかし今はどうだ。先程までの空欄が嘘のように埋まっている。普段のテストでもこういうことがあればいいのだが。

 リンゴは一瞬、頭がふらついた。暗記の科目で沢山覚えることがあった時のように頭のエネルギーが一気に消耗したような感覚だ。

 そこに声が聞こえてきた。後ろで見ていたアオイにもはっきり聞こえた。


「ほう、昨日の威勢はどうした、小娘よ」

(……!!)


 声の主は間違いなく目の前にいるオレンジというニックネームの彼からだった。そしてその声は昨夜聞いたばかりである。反射的に、札を隠し持っていた右手を構えた。


「え、声が……?」


 しかしオレンジはきょとんとしている。その様子を見てリンゴは構えを解いた。しかしオレンジの口は動いていない。


「まったく、奇妙な縁もあったものじゃのぅ。まさかコヤツが小娘と同僚とはな」


 オレンジの体を通り抜けるかのようにして現れたのは朧げな霊体。そしてそれは昨日見た容姿である。


「えっ……、オ、オバケ?」

「オバケなどではないぞい」

「じゃあ何者……うっ」


 そこで彼は頭を抱えてうずくまった。それについても何かネズは知っているようだ。顔をしかめてまた彼の体に引っ込んだ。


「やはりダメか。やむを得んな、一旦戻るぞ。すまぬが気持ち悪さは堪忍じゃ」

(……? オレンジくん、ネズのことも知らんと…?)


 加えてリンゴは一瞬妙な感覚を覚えた。いや、この感覚はさっきも感じていた。思い出した、と表現した方が良いだろう。


(ネズの存在が、オレンジくんの名前を思い出させてる……?)

「さて、こうなったからには話をしようではないか。昨夜話しそびれた続きをな」

「……信用できるかわからん妖の話なんて聞かんで」

「おいおい、ワタシの目をそう易々と謀れると思うな。今、ヌシは丸腰じゃろう。まさか、その札だけでワタシを殺すつもりではあるまい」

「……っ」


 図星である。しかしかと言ってネズも反転攻勢という訳でもなく、寧ろ声は一段と柔らかくなった。


「あと、そこに潜んでいるのがもう1人おるじゃろう、出てこい。……安心せい、ヌシたちに危害を加える腹積もりなど毛頭無い」


 アオイの存在もバレていたようである。流石にバレてはしょうがない。アオイもネズの前に姿を現した。


「ヌシもツカサの者かの。ならば丁度良い」

「話すって何なんや」

「うむ、少し長くなるが聞いてほしい。不甲斐ない話ではあるが、これはワタシからの提案、もしくは依頼である。レンジよ、ヌシに厄介になった訳も話すからの」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 プロフィール

 身長/体重/誕生日/好物

 作者より


 オレンジ…「優しくたち昇る柊の葉」

 158cm/53kg/12月2日/チョコレート

 少し気弱で頼りないがリンゴと並んで主人公。

 ひょんなことから裏庭の神社に住んでいたという謎の存在ネズに魅入られる。

 さらにはネズやらリンゴやらに振り回された挙句半ば強引に宵闇の結界戦争に駆り出されることになる苦労人。

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