夜明け前に歩く

三角海域

夜明け前に歩く

とにかく歩きたいと思う瞬間がある。

それは大体、夜中から早朝にかけてわいてくる。

そういう時はぱぱっと着替え、財布とスマホとカギをポケットに突っ込んですぐに家を出る。


歩きたいと思うのは、あれこれと考えてしまっている時が多い。そのまま放っておくと思考無限ループ地獄に落ちてしまう可能性が高い。

歩くというのは、僕にとって自己防衛なのだろうと思う。


早朝と呼べる時間でも、冬場は暗い。

これだけ歩数を稼ぐまでは歩こうというのだけ決め、暗い中をのんびりと歩いていく。

距離で言えば、最寄りの駅から三駅分くらい。電車で30分くらいかかるので、自分にとってはそこそこの距離になる。


歩いている時は思考がクリアになる。考えてもどうしようもないことは処理され、考える余地があるものだけが頭の中に残る。

歩けば歩くほどそれが活性化するから、どこまででも歩いていきたくなる。

何か理由があるのだろうか。調べたわけではないからわからないけれど、歩くことはいろいろと良いとされているようだし、何かしら理由はあるんだろう。


だが、理由を「こう」と定めなくても、自分にとって「良い」と感じるならそれをやればいいと思う。理由よりも僕は意味が欲しい。

歩くことには意味がある。それだけでいい。


そこそこ歩いていると、そのうち空が青くなってくる。透明のような、青いような、そんな夜明け前の空が好きだ。

その日はすき家で「納豆たまかけ朝食」を食べた。注文するたび思うが、信じられないくらい安い。

平日の早朝。店内も静かだ。カウンター席に座る人が納豆をかき混ぜる音もはっきりと聞こえる。

ひたすら静かだった外に、少しずつ音が増えていく。

誰かの生活が始まる音だ。


食事を終え、外に出る。澄んでいた空気が「生活」によって少し煙っている。同じ場所、同じ空気なのに不思議なものだ。

ここから、昼近くまで歩き続けることになる。

本当にただ歩くだけだ。

そうして、歩き終えたら帰りは電車を使う。

ガタゴト揺れる車内から歩いてきた道を見つめていると、よくもまあこんなに歩いたねと他人事のように思ったりする。


僕らは生きている。当たり前のその事実。けれど、ただ生きているわけではない。

いろいろと考えてしまうし、落ち込みもするし、悲しくて泣きたくなるときだってあるだろう。

そういう時のために、何でもいいから「避難」の手段をもっておくとよいと思う。僕にとってのそれは「歩く」ということだ。

生きているだけで幸せだと思えと誰かは言う。けど、贅沢な悩みと言われようがそれは難しい。

なんでもいい。なんでもいいから、「生きていこう」と思える「避難方法」をここまで読んでくれた優しいあなたが見つけてくれればうれしい。


ほどほどに、生きていきましょう。

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