エピローグ 尾緒神くんと結ばれた友達関係
ライトノベルを読んでいて、こんなことを思うことはないだろうか。いいなぁ、この主人公と。主人公にとって都合のいいことがころころと起きて、幸せな日々を謳歌する彼らを見て。いいな。自分もこうなりたいな。と思うことはないだろうか。
俺にはある。幸せなご都合主義は、大好きである。
そういうのに、憧れてしまう。
とはいえ、ご都合主義なら何でもいいという訳ではない。そう、例えば。何の根拠もない被害妄想が現実に起きてしまうような。そんなご都合主義なら、俺はいらない。
明くる日。篠崎先生に呼び出されて、俺は職員室に訪れていた。
しかし、俺が着いた時には篠崎先生は不在だった。
職員室にいる他の先生達に誘導されて、俺は篠崎先生の机に座って待つことになった。男の先生らしいと言ってしまってもいいのか、机の上は荒れていた。
卓上に置かれた珈琲カップを見て、『存在しない友達関係』でここに来た時のことを思い出す。俺は少しだけ懐かしくなって、軽くそのコップに手を触れた。今はそのカップの中には何も入っていない。コップの底で、茶色い珈琲の跡がこびり付いている。
篠崎先生がまだ来ないかと、辺りを見回してみる。職員室には知っている先生の顔も沢山ある。教師の巣窟の中にいるような気になれば、居心地はよくなかった。
周りを見れば萎縮してしまうので、俺は暇を潰すために悪いとは思いながらも改めて篠崎先生の机に視線を寄せた。
机の上に、一つ気になるノートを見つけた。俺がそれを引っ張り出してみると。
『生徒に友達が出来るようにするためには』と題されたノートが出て来た。
俺も、友達が多い人間ではない。このノートに同級生と友達になるための秘密が詰まっているのなら、是非拝見したいものだ。
俺の手中に収まった、素晴らしい題名のノートを見つめる。
しかし、そのノートは俺に開かれる前に、上から押さえつけられた手によって机の上へと押しもどされた。目を丸くしながら、その手の持ち主を確認するために顔を上げると、篠崎先生がそこにいた。
「悪いな、尾緒神。お前にこのノートは見せられない」
「ど、どうしてですか」
「それは、その、な。赤堂の時のこととかも書いているから。ちょっと気恥ずかしいんだ」
そう言って照れ笑う篠崎先生を見て俺は察する。俺についても何か調べを付けていたりするのだろう。間違っても『尾緒神、赤堂の彼氏』なんて言葉を見つけたくはない。それに、折角引き分けで終わらせてくれた『存在しない友達関係』の真実をここで俺が知ってしまうのは、確かに野暮というものだろう。
俺は立ち上がる。
「先生、座ってください」
「あ、ああ。俺はいいんだ。それより、尾緒神。職員室に来てくれてありがとな」
自分の背中を隠すように、立ち上がる俺からの死角を作ろうとする篠崎先生。俺はその行動に首を傾げた。
「いえ、それはいいんですけど。篠崎先生、俺に何の用ですか」
そう言うと、篠崎先生は後ろを気にしてから俺を見て、観念するように溜息を付いた。
「悪い!尾緒神。もう1人、請け負ってくれないか」
「もう1人請け負う?それってどういうことですか」
「じ、実は、お前と友達になりたいって奴が現れてだな」
たじたじになりながら、気不味そうにする篠崎先生。
俺は当然、不機嫌な顔になる。こうなることになるのが心底嫌だったからだ。俺は別に、友達がいない奴の最終処理施設ではない。こいつには友達がいないから、取り敢えず尾緒神を勧めておけ。なんてことはしないでくださいと、篠崎先生にはあの件の後に念を押していたはずだ。
「先生、俺」
「や、お前に言われたことは分かって居る。でも冷静に考えて欲しい。今回は俺がお前を推薦した訳じゃない。本人たっての希望なんだ」
本人たっての希望?俺みたいな奴と友達になりたいなんて、変わった奴がいるものだと思う。
「いやな。実はその子のクラスの担任の方からも、お前と彼女を繋げてくれって酷く迫ら、お願いをされていてだな。俺は一応お前の意見も伝えておいたんだが、どうしてもって――」
篠崎先生の言い訳は、途中から頭に入っては来なかった。入れても意味がないと悟ったからだ。こうなってしまえば、俺にはもうどうすることも出来ない。
先生に抵抗するような生徒には、極力ならないように気を付けているし。
角が立つような行動は控えておくべきだろう。
平凡な高校生である俺は、嫌だと思いつつも先生のお願いごとは引き受けるべきなのだ。
溜息を一つ。
「しょうがないですね。今回だけですよ」
「本当か!助かるよ。ありがとな、尾緒神」
俺は辛い気持ちになった。またこうして、誰かを押し付けられるんじゃないかと、心の隅では疑っていた。だがそれが、本当に現実になってしまうなんて。
次はありませんよ。と先生に一言念押しておく。
「でも、引き受けたからといって、必ず仲良くなれる保障はないですからね」
なにしろ、友達が出来ないことには自負のある俺だ。大抵のやつは、きっと直ぐに離れていくだろう。
「ほら、許可が出たぞ。いい加減、お前も顔を見せてやれ」
「はい。ありがとうございます。先生」
そんな、声の調子に抑揚のない言葉と共に、先生の背中に隠れていた少女が姿を現す。
俺は、静かに息を呑んだ。
出て来たのは、白い髪に、漆黒の瞳の少女。
『放課後の屋上少女』だった。
彼女は、こうすれば、貴方は私と友達にならざるを得ないでしょ。とでもいうように、不気味に、薄く笑いかけた。
少女が、手を差し出してくる。
「わたし、
俺はその手を素直に取るしかない。少女の手は、冷たかった。ひんやりとしたその手は、夏の温度に相反している。暑さのせいか、俺の体はその手の温度を求めているような、そんな気がした。
俺は嫌悪しているのに、体がその侵蝕を許しているような、不思議な感覚。来ないで欲しいのに、じっくりと染み込んでくる、嫌な冷気。
「俺は、尾緒神」
自分の名前を言い切る前に、そんなものはどうでもいいとでも言うように、少女に自分の体を手で引き寄せられる。引き寄せられる俺に、少女の顔が近づく。軽く背伸びをしながら、少女の顔は俺に向かって近くまでやって来て。
「本当の貴方を見せて」
なんて、意味不明なことを耳元で呟かれた。
その声は、意外と可愛らしいもので。高校生とは思えないような、幼さの残ったその声は、だからこその不気味さを感じさせて来た。当然、声に抑揚はない。
少女が離れると、あの目が此方を覗いていた。俺を試すような、そんな目。黒く渦巻いた、此方を引き込むようなあの目。
分からない。この少女は一体、俺に何を期待しようとしているのか。
……。分かりたくない。
「先生、こんなところでキスするのかと思ってびっくりしたぞ」
そんな、篠崎先生の不抜けた声に救われる。俺は平静を保って、いつもの自分を演じる。何の特徴も無い、普通の高校生である人畜無害な俺を。
「俺も、びっくりしました」
じっと。目の前の少女、橘さんは俺を静かに見つめ続ける。そのまま、周囲から見れば何とも言えないような無言の時間が続いた。でも俺から見れば、その目で圧を掛けられている嫌な時間。気のせいか、職員室が暗くなっていくような。そんな錯覚を覚える。闇の中に引き摺り込まれていきそうな、そんな勘違い。
冷や汗を垂らしてしまいそうになる前に、俺は自分から口を開くことにする。
「先生。俺、ここからどうすればいいですかね」
「ん?まあ、後は教室に戻って仲を深めればいいんじゃないか。職員室でって言うのも気まずいだろうし」
それはそうだろうと思う。
「それじゃあ、俺の教室でいいですかね」
「いいんじゃないか。よし。それじゃあ尾緒神、悪いが後は任せたぞ。仲良くしてやってくれ」
俺と先生がそんな会話をしていても、橘さんは無言で俺を見つめ続けていた。
どことなく気まずい思いをしながら、職員室を後にすることにする。このまま彼女と向かい会っていたくはなかった。
職員室を出ていく時。なんとなく視線を感じたのでそちらに視線を寄せる。恐怖の目で此方の動向を見守る女教師がいた。彼女が、橘さんの担任なのだろうか。そういえば、橘さんの担任は、どうして自分の生徒のことを篠崎先生に任せたのか。
立ち会うことすら、しなかったのか。なんてことが、俺は気になった。
彼女は終始橘さんの方に目を向けながらも、一度だけ俺に目を合わせ。どうせ無理よ。なんて語るような顔をしていた。遠目にそれを観ながら、俺はそこを通り過ぎる。
橘さんは俺の後ろを付いて来ており、俺はこれからどうしたものかと思案する。本当に教室で自己紹介でもやり直して仲を深めた方がいいのだろうか。
職員室を出ると、放送室の入り口の近くで赤堂さんが腕を組んで待っていた。背を壁に預け、紅いマフラーに手を掛けて口元を隠すようにしていた。そして何故か、物思いにふけっているようだった。
それが俺を見つけて、静かに声を掛けて来る。
「遅かったな。尾緒神」
俺はまた、『存在しない友達関係』の時のことを思い出して軽く笑みを溢してしまう。同じ様な光景を、俺は知っている。あの時は宿敵なんて呼ばれていたかな。
その時のことを思い出したからか。それとも気持ちが少しだけ軽くなったからか。俺は、思ったよりも普通の自分で、彼女に話し掛けることが出来た。
「それは悪いことをしたな。だが、俺は赤堂さんにこのことは伝えていなかった筈だが」
「ふっ。尾緒神、私がお前を一人にすると思うのか」
渋い男のようなドヤ顔をする赤堂さん。
なんだそれ。ちょっと格好いいじゃねぇか。一人ぼっちの心に染みる。
とはいえ、尾緒神の近くにいれば面白いことにあり付けるからな。という気持ちが駄々漏れている。俺を一人にさせないというよりも、俺に面白そうな出来事を独り占めさせないという気持ちの方が大きそうだ。
彼女の瞳が静かな煌めきを宿している。
「また何か、おもし、厄介事か、尾緒神」
橘さん。『放課後の屋上少女』を一瞥して、赤堂さんは紅いマフラーに口元を埋める。
出てる出てる。面白いことになりそうだっていう期待が隠せていないぞ。赤堂さん。
そうだ。よく考えてみれば、赤堂さんは非日常を求めている側の人だった。
俺はそれが好きではない。寧ろ日々の平穏、日常を望みたいのだが。まあ、友達と一緒ならそんなことに身を投じてみてもいいのかもとは思えてしまう。どうせやらないといけないのなら、そう考えられる方がまだましである。
一人だったあの頃と比べてしまえば……。なんて。
辟易しながらも、赤堂さんとならと思うと、複雑な気持ちになってしまう。
俺は、友達って偉大だなぁと、しみじみと感じた。
「まあ、そんなところだ」
「だったら、私にも付き合わせろよ」
「安心しろ、嫌でも付き合わせるさ」
「ふっ。なんだよ、それ」
「なんだ、嫌なのか?」
「そんな訳ないだろ、相棒」
そう言って赤堂さんが突き出して来た拳に、俺も自らの拳を出してコツンと軽く当てる。
お互いを見て、静かに笑い会う俺達を見て。橘さんが一言。
「なにこれ。厨二病?」
こくんと首を横に傾げながら、純粋そうにそう聞かれる。
俺と赤堂さんは顔を見合わせて。
「まあ、そうかもな」
なんて、声を合わせて言ってしまうのであった。
これから俺は、どんなことに巻き込まれてしまうのか。
それに対する心配で心を押しつぶされそうになっていた。
それでも、こうして一緒に居てくれる友達がいることはやっぱり心強くて。
どんなことが起きてもきっと大丈夫だと。
なんの根拠もなく、そう思うのだった。
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