生臭坊主

@wlm6223

生臭坊主

 埼玉県川口市に浄安寺がある。そこの住職は谷田亮平といった。浄安寺は郊外の寺によくあるように、幼稚園も兼営していた。

 彼はおれの中学・高校を通じての同級生だ。 もう一人、学生時代によくつるんでいた村井浩介というのがいる。西荻窪に住み、普通のサラリーマンで営業職だ。

 おれは三鷹住まいでエンジニアだ

 三人は職業こそ全く違えど、学校を卒業しても大晦日に集まって、どんちゃん騒ぎをする仲だった。

 その場所は決まって吉祥寺だった。

 というのも、谷口は寺の住職であり、幼稚園の園長でもあるため、夜に近場で羽目を外して鯨飲すると、すぐご近所のママ達の噂話に登ってしまうのを恐れていたからだ。それを避けるためにわざわざ川口から吉祥寺まで出張ってくるのだ。

「ソープ行こうぜ! ソープ!」

 この大晦日にソープランドがやっているかどうか知らんが、こんな夜にソープはねえだろ、と村井とおれは反対した。それにおれと村井は貧乏サラリーマンだ。お互い懐事情は寂しかったのだ。

「じゃあ、キャバクラ行こうぜ、キャバクラ!」

 谷田は近所ではできない事をせがんだ。

「年末にキャバクラかよ。あんなとこ、いつでも行けるじゃねえか」

 村井は軽く反論した。

「あんなとこ行ったって、店員がさりげなく店中をずっと監視してて、酒も旨く飲めねえよ」

 おれも谷田の欲求に反対した。

「お前らはいつでもどこでもキャバぐらいは行けるだろうけど、おれはご近所の目があるから、普段はそういう所は絶対に行けねえんだよ! なあ、行こうぜ!」

 という事で、三人は駅南口のキャバクラに入った。

 店内は安物のシャンデリアがぶら下がり、六個ほどのボックス席があった。ボックス席は四つほど先客が占めていた。

 おれ達三人は空いていた席に通された。

「女の子のご指名はありますか?」

 黒服がそう尋ねてきた。

「ないない! 酒と女! これだけあれば充分だ!」

 谷田は豪快に返事をした。

 ほどなく女の子三人(この場合、キャストと呼ぶのか?)が来て、サクサクと水割りを作ってくれ、早速乾杯となった。

 谷田と村井は酒・女・煙草が揃って上機嫌だった。おれはどうも入店してから黒服の目線を感じて、酔うに酔えなかった。

 恐らく黒服達は、キャストを泥酔客から守るため、またはその場が盛り上がっているかどうかをチェックしているようだった。

 村井はよく飲んだ。それ以上に谷田は飲んだ。それだけではなく、キャストと(一見の筈なのに)親しく酒を酌み交わしていた。

 まあ、この二人が上機嫌なら、それでいいか。おれはそう考えた。

「キャッ!」

 キャストの一人が九杯目のハイボールを作っている時、グラスを落とした。

 パリンというグラスが割れる音がし、酒が散った。キャストの一人のドレスと谷田のジーパンを汚した。

 早速黒服達が飛んできた。

 黒服も我々客側に瑕疵がなく、キャストの不手際であるのはちゃんと見て取っていた。

「お客様、申し訳ございません」

「おれはいいけど、女の子のドレス、汚しちまったな。ほいこれ。クリーニング代」

 谷田はそう言うと、さっと財布から一万円札一枚を取り出した。

「お客様、当店では受け取れません」

「そう固いこというな。これはチップだ!」 谷田は豪快に笑い、グラスを割った女の子の胸の谷間に一万円札をねじ込んだ。女の子はどうしていいか分からない様子で、顔は強ばり緊張を隠せないでいた。

「今日は大晦日なんだから、明日の元旦ぐらいはこれでおせち料理とまでいかなくても、何か旨いものでも食え!」

 谷田はそう言うと目だけ真面目で顔は笑っていた。

 布施。その二文字がおれの頭に浮かんだ。

 谷田は個人的な善意からでもそうしたのだろうが、職業柄もあって一期一会の人間に対しても相手を気遣う用意ができていたのだ。

 谷田は「改めて乾杯しよう!」と気炎を上げた。

 割れたグラスの処理は黒服達に任せて、おれ達はまたグラスを重ねた。

 谷田の行動は自分の良心からきたものなのか、職業倫理的なものなのか判別できなかったが、その晩は散々飲み散らかして解散となった。

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