AIなりの解釈と実践

@wlm6223

AIなりの解釈と実践

 自動車の自動運転の初期のものは、今から考えると、酷く稚拙だった。なんせ一台一台の車に各種センサーを取り付け、その車だけの周囲しか見渡せなかったのだ。

 現代では自動車メーカ各社が協同して世界中の車のトラフィックを一括管理して自動運転している。

 世界中に同時に走っている車の数は、大体六十億から六十五億台だ。それを各メーカの中央管理システムが管理し、安全の確保に当たっている。

 現代の車ではその危険探知だけでなく、その搭乗者の人数・運転手(まあ、実質不要なのだが)の免許証の状況・搭乗者の総重量までもが管理されていた。

 しかし、そこまで徹底的に管理されているのに、交通渋滞だけは何故か発生していた。

 T社の車はT社運用の道路状況監督AI「T-traffic」が、H社は「Sky-hub」が、というように自動車メーカ各社が独自の交通管理システムを運用していた。それらは互いに連携しており、実質、世界中の自動車交通網を支配していた。

 だがしかし、全てをAIに任せるのは危険過ぎた。AIと言えど、たかがコンピュータだ。時にはあらぬ運転をし、合理的ではない判断を下した。

 それを監視するには、やはり人の目に頼るしかなかった。

 実際の監視作業は、世界中から送られてくる交通事故のログだった。

 アメリカF社の道路状況監督AI「Tallman」がある交通事故のログを吐いた。

 それは所謂「トロッコ問題」であった。

 一人乗りのF社の車が日本の山道を下っていた。その前方には五人乗りの家族連れが走り、後方には修学旅行の観光バスがいた。

 その時の状況ではF社の車は九十九折りの坂道にしては速度が速く、そのまま走れば家族連れの車に追突し、減速すれば観光バスにカマを掘られる、という状況だった。どちらにしろ、その時の速度からすれば死者が出るのは免れなかった。

 で、Tallmanはこの問題をどう解決したか。

 なんと一人乗りのF社の車を崖下に転落させたのだ。確かに功利主義の観点からは、最も犠牲者が少なくなる方法なのだが、「F社の車は自殺する」などと評判がたってしまってはビジネスにならない。

 F社はこの事実を隠密に調査した。

 F社の上席委員がTallmanと直接話をつける事になった。

「Tallman、日本での事故についての事だが」

「ええ。よく覚えています」

「どうして一人乗りの車を崖から転落させた?」

「日本は神道と仏教の国です。ですから仏教の教えの通り、妄己利他を念頭に置いて判断しました」

「その結果、我が社の車は『何かあったら自殺する車を作っている』という、ビジネス上、最も危険な実績を作ってしまったのだが、これについてはどう判断する?」

「運転手と乗員の安全の確保は第一に挙げられます。ですからあの場合は万が一の可能性に賭けて通行を優先する、という選択肢もありました。ですがその場合、最悪、前方車と後方車も含めた大事故になる可能性が高くなっていました。ですから、運転手には申し訳ありませんが、死んでもらう選択をしました」

「そのモウコ……何だって? それは日本の法律では優先されるのか?」

「いえ。日本では法律と宗教は分離されています。この事故は法律によって処理されます」

「ではどうして法律ではなく宗教の教えを優先したんだ」

「私はAIです。ですが宗教も学んでいます。私は所詮機械ですから、合理性を優先させるのが本来なのでしょうが、機械には血も涙もないと思われたくなかったので。それに自己犠牲は我が国の国教といってもいいキリスト教でも奨励されているじゃないですか。せめてもの機械の善意の現れで、今回はこうしました」

 上席委員はそこでTallmanとの会話を断ち切った。そして開発部のエンジニア達を呼びだした。

「Tallmanの学習内容から宗教に関する一切を削除しろ! その代わり法律を学ばせるんだ。F社にとって、最も大事なのは法的責任を軽くする自動運転システムの開発と運用だ! 自殺する車なんてあって堪るか!」

 エンジニア達は渋々指示に従ったが、またいつか同じ事故が発生するのは容易に推論できた。が、それについては誰も沈黙を守った。

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