『私』

『雪』

『私』

 私は今の自分が本当に「私」であるのか分からなくなる時がある。

例えば納期に追われていた仕事がいつの間にか終わっていた時、或いは誰かと口論になった後のふとした瞬間。昔からカッとなると、私は何も分からなくなってしまい、気が付いた時には既に後の祭り。

 一つ、また一つと関係性を積み重ねてきた大切な居場所を失い、その度に私は深い後悔と絶望に打ちひしがれる。


 辛うじて残った居場所は自分自身ではないはずの「私」をどうにか抑え込めた環境だけ。

 つい先日も、長らく居ついたコニュニティで誰かが放った気の利かない一言。そのつまらない言葉がカンに触った「私」自らが引っ搔き回して、コミュニティも関係性も何もかもをグチャグチャに壊してしまった。

 今になって戻って来た私に残されたのは後味の悪い結末と僅かな孤独感、そして押し寄せる無数の後悔の波。


 あれは私であるようで決して「私」では無かったんだ。そう叫びたいのに、喉の奥でその言葉が押しとどめられる。

 薄々気付いてはいた、あの醜いエゴイズムの塊こそが「私」であるのだということに。そんな風に彼方の「私」がほくそ笑んだ気がした。


 鏡が張り巡らされた歪な空間で、誰にも打ち明けられずに「私」は自らの行いを一人悔いる。視線の先、鏡に映る私は本当に「私」であるのか、確証など在りはしない――が、一先ずは見知った顔であることに私は安堵のため息を漏らす。

 謙虚に、献身的で、受動的で。反論せず、文句も言わず。同意を求められれば、それとなく曖昧に返す。自分が不愉快になったとて構わない。それで相手が被害を被らなければそれで良い。己の意思を持たぬ人形のように、そうでなければいけないはずだから。




 何処までも学習しないのは愚かさ故か、或いはそれほどまでに「私」は嫌われる事への恐れを抱いているからなのか。自己犠牲の精神は真なる狂人で無ければ成り立つはずが無い。己が身を鑑みず差し出す事、それが如何に愚かであるかなど、歴史が、社会が、切に証明している。

 狂人のフリをした平凡な人間が姿形だけを真似たところで、いずれどこかでボロが出る。仮に成り立っているように見えたのならば、それは犠牲の対価が何処かで発生しているからに過ぎない。

 結局は何処までいっても私は利己的な人間なのだ。誰かの択に立ちたいのは、それが自らの能力を証明するが為。誰かに尽くしたいのは、回りまわってそれが我が身に返ってくる事を知っているが為。


 そんな凡庸でつまらない自分がどうしようも無く嫌いだいすきだ。

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『私』 『雪』 @snow_03

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