第26話 新たなさだめ

 半年後、小石川の屋敷が完成した。

 夫婦となった二人は祝言に呼べなかった江戸の人々のためにうたげもよおした。

 集まったのは江戸に来てから共に笑って泣いた心の許せる面々だった。

 真っ先に顔を出したのは『神門しんもんかしら』こと勝五郎かつごろうひきいる町火消し『を組』の一家、まとい持ちの幸助こうすけとさえの息子の手を引いている。

 そして廻船かいせん問屋『清水屋しみずや』の主人惣衛門そうえもんは番頭となった婿むこ善造ぜんぞうと娘のを従えて現れ、その後ろからは奉公人が酒樽さかだるを積んだ大八車だいはちぐるまいて来た。

 最後は門の前で様子をうかがう人たちで、場違いな武家屋敷を前にして躊躇ちゅうちょする六兵衛長屋ろくべえながやの住人だ。紋付羽織もんつきばおり六兵衛ろくべえ角樽つのだるを下げている。皆、門内もんないから笑顔で手招てまねきをする数馬を見つけてやっと安堵あんどの表情で入って来た。

 最初は緊張していたものの酔いが回るとそこは江戸っ子で歌ったり踊ったりと笑いが絶えることなく、最後は勝五郎たちの木遣きやうたで締めくくった。


 屋敷は充分な広さがあり、千絵と桃代も使用人共々同居することになった。 

 数馬と吉乃は屋敷暮らしとなっても日常を変える気はなかった。

 数馬は探索方同心たんさくがたどうしんを続け、日々町のために走り回った。

 吉乃は頻繁に小舟で所領しょりょう板橋村いたばしむらに出向いては田植えや稲刈りそして畑仕事を手伝った。そうすることで作物の収穫量を知り、豊作ほうさくの時は備蓄びちくに回し不作ふさくの時は年貢ねんぐ免除めんじょすることもあった。村人から感謝され尊敬されるにつけ、吉乃は山間の村で育った意味が此処ここにあったのだと思うようになった。

 長崎に行った亮介も同じ思いを持っていた。便たよりでは医師になる目的は御典医ごてんいのような出世ではなく、養生所りょうようじょの医師のように民を助ける医師になりたいとつづっていた。

 吉乃は数馬にある提案をした。二人は夜通し話し合い結論に達した。



 享保十八年(1733年)の秋、香月家の南東角に白壁しらかべの家が建った。

 そこには塀も門もなく、通りから敷地に入ると玄関前には大八車も回転できるほどの広場があるだけである。そして広場の西側は物干し場、東側は日当たりの良い庭で縁台えんだいが設けられていた。とても武家屋敷とは思えないたたずまいである。

 それは入院施設をそなえた診療所であった。吉乃の提案はこの場所で亮介に開業させてやろうというものだった。

「此処ならば小石川こいしかわ療養所にも近い。緊急時には駆け付けることもできよう」

 数馬が満足げに言った。

「わたくしたちはそれぞれ過酷な試練しれんともなう辛いさだめを受け入れて生きてきました。そして今さだめを大きく変えることができ、与えられた試練は人の痛みを知るということを教えてくれたのです。これからわたくしは苦しむ人のために生きるという新たなさだめに向かいたいと思います」

 吉乃は診療所の背景はいけいに向かって思いを語った。

「共に参りましょう。新たなさだめがを結ぶまで共に生きて参りましょう」

 数馬はそう言って吉乃を見つめた。んだひとみは初めて会った時のままだった。

「わたくしたちがを結べば次の世代でそのたねひろってもらえますものね」

 吉乃も微笑んで見つめ返した。


 母屋から桃代の声がした。縁側えんがわに立ってふみかかげている。

「兄上様、姉上様~、亮介さんがお戻りになられます」        ―了―

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ご落胤始末~葵の小太刀~ 池南 成 @sei-ikenami

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