第23話 亜蛇よ走れ!
千絵は深川で暮らして桃代の到着を待っていた。
数馬が桃代の
当時桃代は高取藩の江戸屋敷にいるものと思われていたが、数馬が訪ねた時には何処かに連れ去られていた。
しかし当てが外れたのは数馬たちだけではなかった。
叔父の
仁右衛門はともかくとして目付親子が桃代に
だが若い娘を無理やり妻にしたとあっては目付としても面目が立たぬため、何としても桃代を納得させる必要があった。
桃代はどんなに脅されても決して思い通りにはならないと決めていた。最後は
(母上様、どうかご無事でいてください)
千絵が数馬によって守られていることなど知る
三月になり加納屋敷の門前に一人の若者が立った。
奥に通された亜蛇を見て吉乃は驚きと満面の笑みで部屋に迎い入れた。
「亜蛇!亜蛇ではありませぬか。背も伸びて見違えるほど立派な武士になりましたね」
亜蛇は二年の修業を終え、数馬の長屋を訪ねてから吉乃のところに来たのであった。
「姉上こそすっかり姫様らしくおなりで、とても近づき難くなりました」
「何を言うのです、わたくしは以前と変わらずそなたの姉です。そしてそなたは自慢の弟です」
吉乃は亜蛇の成長を誰よりも喜んでいた。
「そなたの文武両道における努力は聞き及んでおります。それで修業は終わったのですか」
「それが蘭学の師である医師の
いまだに吉宗との対面が叶わぬ吉乃は、着々と人生を歩む亜蛇が誇らしくも
「いつまで江戸にいられるのですか」
「三月ほどです。魯庵先生の江戸でのお役目が終わってからになります。ところで姉上、
亜蛇の問いに吉乃は暗い顔をした。
「おそらく
「深川とは何でしょうか」
不思議な顔をする亜蛇に吉乃は桃代に起きた困難を説明した。
話を聴いて
そして数馬も吉乃と同様、亜蛇の変わりように驚くと同時に再会を喜んだ。
しかしその横で桃代の行方がわからず、その身を案ずる千絵を見て、
「わたしに
と、亜蛇が自信に満ちた顔で言った。
「亜蛇、どうするのだ」
数馬が不安げに訊くと、
「敵の動きがわからぬ場合は、こちらから動くように仕掛けるのです」
亜蛇は学んだ兵法の知識をもとにそれぞれの役割を説明した。
翌日、亜蛇は高取藩江戸屋敷の門を
「それがしは佐倉藩士、
亜蛇は佐倉藩と偽った。門番は一旦門を閉めてから暫くして戻ると、外出している旨を告げた。
「しからばお伝え願いたい。深川は
数馬は千絵の居場所をわざと印象付けて藩邸を離れた。
(これで今宵当たり必ず千絵様を
その夜半、深川の別荘を十数人の武士が囲った。その上で
「この屋敷におる高取藩坂田松之助の妻、千絵殿をお
門が開くと数人が門内に滑り込んだ。それぞれが刀の
「お
吉乃が玄関の
「当屋敷は上様お
たたみかけるように言うと、
「して、こちらは上様ご
言いながら
吉乃は黒塗りの短刀を抜き、
武士たちは
「上様から
吉乃は
「大変ご無礼
ひれ伏して
「まずは名乗られよ」
と、静かに言った。
「はっ、それがしは高取藩
「高垣、そなたが此処に来たのは
徒頭は忠義に厚い男のようで、命じた者の名を言わなかった。
数馬は高垣の側に片膝をついた。
「そなたが口を閉じ腹を切ったところで
「わたくしも
と、吉乃も助け船を出した。
「お
徒頭はようやく
「目付の周りで変わったことはないか」
「お目付のご次男、権蔵様が藩邸に
数馬は
「何、それは確かか」
「はい、それがし配下の者が
数馬は「しまった」と、唇を嚙んだ。
「今はどの辺りにいるかわかるか」
「品川沖に停泊中の大型船に朝になったら乗り込むと言っていたそうですので、
それを聴いた瞬間、亜蛇は縁側から飛び降りた。
「亜蛇、聴いたか」
「しかと聴きました。参ります」
亜蛇は既に
腰には数馬の小太刀を
飛び出して行く亜蛇の背に向かって数馬は叫んだ。
「亜蛇!走れ」
夜が明け始めてきた。
品川の港が見えてきた。小舟を待つ広場には籠を囲むようにして三人の浪人者、少し離れて林田権蔵らしき武士がいた。
やがて小舟が入ってくると、亜蛇はすぐさま船着き場に下りて
「これから此処は
船頭は慌てて舟の向きを変えた。
「これで行き場はないぞ」
「おのれ何者だ、やれ」と、権蔵が
やみくもに斬り込んできた二人は亜蛇の相手ではなかったが、もう一人の浪人は腕が立ちそうだった。
「なかなかやるな。だがここまでだ。
佐久間は上段に構えた。
「
亜蛇も名乗って
亜蛇は相手の呼吸を見ていた。息が止まって腹に力を貯めた瞬間、亜蛇は刀を横にずらし寝かせた。
佐久間は力を込めて振り下ろした。受けにくる刀を折ってそのまま脳天から
ところが亜蛇は払いにいかずに寝かせた刃で
亜蛇は刀を合わせなかったのである。倒れた佐久間の口が「どうして……負けた」と、問いかけた。
「
亜蛇は冷ややかにそう答えた。
一人残った林田権蔵は籠から桃代を引きずり出すと背後から
「それ以上近づいたら桃代の命はないぞ」
権蔵は上づった声で言った。だが殺したところで自分も斬られることはわかっていた。
「わしを斬れば高取藩が黙っていないぞ」
数馬は大刀を
「高取藩だと、上様を敵に回してか」と、
「おぬしは一体何者なのだ」
気が狂ったように叫ぶと権蔵は桃代を亜蛇に向けて突き飛ばした。
亜蛇が左腕で桃代を受け止めると、権蔵は桃代の背後から桃代もろとも袈裟懸けに斬り下ろしてきた。
それは亜蛇の
しかし権蔵の刀は
桃代は亜蛇の腕の中で気が付いた。最初は自分を救ってくれたのが亜蛇とはわからなかった。
「お救いいただき、有難うございます。まあ、お
顔を見た
「亜蛇さん、助けに来てくださったのね。とても立派になられて、お会いしとうございました」
「桃代さん、無事でよかった。お怪我はありませぬか」
荒い息遣いをしながら亜蛇も微笑み返した。
「傷が深いわ、お医者様を探しましょう」
「大丈夫です、それより舟を呼んでください。深川に戻りましょう」
桃代が船頭を連れてくると、船頭は亜蛇を見て
「かたじけない、すまぬが深川蛤町の
亜蛇は船頭にそこまで告げると気を失った。
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