02 新しい友達とカラオケ

 孤独と孤高の中点、あるいは全然べつの数直線上ないし平面上にいる波汐静花なみしおせいかさんと友達になったその翌日。

 頼んでもないのに期末考査の答案が次々に返却された。総じて、結果が中の下、とりわけ理数科目が穏やかでない点数だった私は、ざっと三百秒ほど反省した後、気持ちをすっきりゼロに切り替える。


 そうして迎えた放課後。

 友達以上親友未満のクラスメイトたちが私に軽く挨拶をよこして続々と各々の部活動へと向かう。

 春、そのうちの一人から吹奏楽部に誘われて「指が短いからパス」とよくわからない返答をしたり、別の子から合唱部を勧められた際には手を合わせて「こっちの合掌だったら……」とお茶を濁したりしたのが懐かしい。


 人気ひとけが失せていく教室、波汐さんと目が合い、近づいて「いっしょに帰ろうよ」って声をかけた。彼女が「う、うん」と照れくさそうに笑うから、それでついつい調子に乗って思いつくことをざっくばらんに話しながら昇降口まで進む。


 何を隠そう、そうだ、隠す必要なんてないが、今日は朝から波汐さんにタオルの返却と挨拶をして、それに休み時間も一言、二言話したのだ。


「波汐さんは、実はこの部活に興味がっていうのある? 今なら背中を無責任にドンと押してあげるよ」

「え、遠慮しておきます」

「昨日の記憶が確かなら、中学生の時はスペースシャトルを打ち上げていたんだよね」

「バドミントンです。かつて宇宙開発の象徴とされていた計画とは微塵も関係ないです」

「うちの高校、バドミントン部ないの」

「あるにはあるそうです。仲の良い二年生の女子数人だけの同好会なら。四月に一年生を勧誘していませんでした」


 イケメンを一人投入して修羅場が起こるか検証したい。ふとそんな悪趣味な思いつきが脳裏をよぎったが、口にしなかった。

 友達二日目でドン引きされるのを良しとするほど、私は逞しくない。


 外履きに履き替え、私たちは傘を差して雨降りの外へと歩き始める。今日の私が持っているのは折り畳みではなく、家にあった安物のビニール傘。対して、波汐さんはしっかりとした造りで、光沢感のあるチェック柄の藍色をした傘を手にしている。

 中学生の頃から愛用している代物だそうで、風が強い時は、壊れてもすぐに買い換えられる廉価品を使うのだとか。


「このまま帰るの、なんだかもったいないな。どこかに寄って帰らない?」

「どこかって、どこですか」

「食事制限中でないなら、ファストフード店で不健康な間食はどうかな」

「なるほど。高校生の帰り道っぽいですね」


 ふんふんと感心している。寄り道そのものにポジティブでよかった。


「あとは、カラオケがそこそこ近くにある」


 ゴールデンウィーク前に女子グループ四人で一度行ったのだ。その時になって音楽の趣味がばらばらだと判明したのはご愛嬌だ。一人は精密採点にやたらご執心だったし、また別の一人はスマホをいじってばかりだった。後の一人は普通で、私は好き勝手に一人で歌っていたっけ。


「カラオケ……」

「うん。けっこう大きい店舗。今行けば、満室ってことはないはず」


 ネットで検索したら空室状況も確認できる気がする。


 傘のせいで、波汐さんの表情をはっきりとうかがえないが、声色から察するとカラオケに興味がありそう。歌うのは好きなのかな。ええい、直接訊いてみよう。


「歌うの、好き?」

「えっ、あ、いえ。私、一度もカラオケに行ったことなくて」

「そっか。私に初めてをくれる?」

「……もっと普通な言い方をしてほしいです」


 彼女のしっとりとした声に熱が、すなわち抗議の色が帯びた。


「善処するね。ええと、本音としてはさ、波汐さんの歌声を聞きたいんだ。ダメかな?」

「そっ……その言い方も、なんだかずるいです」


 ダメ出しが続く。

 でも、もうひと押しだろうと見当をつけた私は敢えて、ぴたっと立ち止まる。

 すると、彼女が二歩先で足を止め、こちらをゆっくり振り返る。傘が当たらないよう、私は一歩退く。そうして私たちは対面する。


「――仲の良い友達とさ、デュエットしてみたいんだ。青春ってやつ。ね、どうかな」


 笑いかける私に、傘の角度を数度だけ上へ傾け、こくりと肯く波汐さん。

 可愛い人。素直にそう思った。




 帰宅時間が遅くなり過ぎても困ると話した彼女に合わせ、とりあえず2時間コースで受付を済ませた。あてがわれた部屋は四人にはちょうどいいサイズで、私たち二人だと少々持て余す広さ。大は小を兼ねると言うし、狭いよりいいか。部屋を明るくして、エアコンの電源をつけると、私はさっと座った。


「こういう時はどこに座ればいいのですか」


 ぴたりと閉じられたドアの前でアクリルグラスを手に直立している波汐さんが、既に腰を下ろして甘ったるい炭酸飲料を口にしようとしていた私に言う。


「どこって……」


 ソファはコの字型に配置されている。

 好きなように座ればいい。私はそうした。出入り口に近い壁側、その真ん中あたりにほとんど無意識に。


「画面を正面から見て歌いなら、そこ。私とテーブルを挟んで向かい合わせで、顔を見たいって言うならそこ。私のそばがいいならここ。どうする?」


 私は指差しで、彼女に選択肢を与える。


「では、画面が見やすい場所にします」


 数秒前までの戸惑いが嘘みたいに迷わずに答える波汐さんだった。


 そこはほら、冗談に便乗して、一瞬だけでも真横に座って「じゃあ、そばに」なんて言ってくれたらな面白いのにと、心のうちで思う。べつにいいんだけどさ。私は改めてグラスを呷って、口内をしゅわしゅわとさせるのだった。


 壁掛けディスプレイの正面に座った彼女に「好きな曲、好きなだけいれていいよ」とタッチパネル式の電子端末での選曲を促す。


「……できれば、まずは石上さんがお手本に歌ってくれませんか」

「歌の先生になったつもりはないよ。まぁ、来ようって誘ったのは私だから、ここは一肌脱ごうかな」


 そんなわけで彼女から端末を受け取って、無難な選曲をぱぱっとする。端末上で確認できる最近よく歌われているランキングでも上位に入っている、近年の売れっ子女性アーティストの曲。採点はなし。テストの点数よりはましだと思うけれど、数値化されるのは好きでない。


「座ったまま歌うんですか」

「うん。テンションが上がったら立つかも」


 流れるイントロ。音、ちょっと大きいな。波汐さんの顔をちらっと見たら、彼女も驚いたみたい。調整する。よし、こんなものかなと思ったところで歌唱パートが始まる。


 何事もなく――波汐さんが合いの手を入れることも、私が勢いよく立ち上がって叫ぶこともなく――曲が終わった。ぱちぱちと拍手してくれる波汐さん。毎度それされると恥ずかしいぞ。


「どうも。私が歌っている間に曲入れなかったの?」

「聞くのに集中していました」

「えぇ……大した歌唱力でもないのに。とにかく次は波汐さんの番ね」


 私がそう言うと「はい」と生真面目に返事をして、波汐さんが端末を操作する。


 正直、どんな曲をどんなふうに歌うのか楽しみだ。激しめの曲を振り付けマシマシで歌い出したら、どうしよう。その時は乗るしかないだろうか、覚悟を決めて。……などと考えていると、ディスプレイの表示が変わり、曲名がでかでかと表示された。


 少し前に放送されていた有名なドラマの主題歌。アーティストの本人映像付きのようだ。初手バラード、か。


 歌い始めてすぐは、人前で歌うことにまだ恥じらいがある様子だったけれど、曲が進むにつれてなくなっていく。

 音楽に合わせて、身体を左右に揺らす。優しい歌声。いい意味で意外性のない、波汐さんらしい歌い方。


「ど、どうでした?」


 歌い終わった彼女のほうから感想を求めてきた。ほのかに赤らんだ顔、ぎゅっと掴んで離さないマイク。私は拍手をやめて、考える素振りをする。

 でも、何か細かい評価なんて自分にはできないとすぐに悟り、率直な意見を口にする。


「上手かった。もっと聞かせて」

「あ、ありがとうございます。あ、えっと、それじゃあ今度は二人で……」


 その後、時間いっぱい楽しんだ。

 最初こそ、付き合いたてのカップルみたいな手探り感のあった私たちのカラオケ交友会は、最後にはすっかり気心の知れた友達同士の遊びになっていた。

 二人で立って、肩を寄せ合うようにして歌ったのなんて初めてだ。その点から言えば、私も彼女に初めてをとられたわけだ。

 ……中学生の時の合唱コンクールはノーカンだよね? あれもいちおう生徒同士、触れ合いそうな距離だったけれども。


「また誘ってもいい?」


 カラオケ店から出て、いっそう暗くなった雨空の下を二人で歩き出す。


「はいっ、喜んで」


 ふわり、浮き立った声。こういう反応をされると私も嬉しくなる。


「ところで、恋愛ソングが多かった気がするけれど、実は誰かに片思い中?」

「論理が飛躍していませんか」

「たしかに。まずはお付き合いしている人がいるかどうかから訊くべきだったね」

「それはそれで違う気が。いずれにせよ、恋愛とは無縁の高校生活です」


 ため息交じりの返答。

 歌声もよかったけれど、やっぱり普段の囁き声が私の心を妙にくすぐる。波汐さんの声はまるで耳かき棒……いや、この表現は最適と言い難い。とにもかくにも、癒し系。


「そのうちさ、全然話したことがないクラスの男の子から急に告白されて、意識し始める展開がありそう」

「何ですか、その憶測。どうせなら、もっと素敵な展開がいいです」

「たとえば?」


 そう言った私に波汐さんは「たとえば……」と続けた。にもかかわらず、答えがなかなか返ってこない。

 横断歩道、赤信号。並んで立ち止まる。青信号に変わって進み始め、彼女の声がやっとまた聞こえた。


「些細なきっかけでいいんです。少しずつ仲良くなっていって、いつの間にか目で追いかけるようになって、ずっと離れたくないと思えるように……そんな普通の恋」

「ふうん。これまでしてきた恋は普通じゃなかった?」

「――秘密です」


 予期せぬ意味ありげな返し。その湿度の高い声に胸がざわついた。

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