8話「美への拒絶」:叶恵side
「先輩、水族館行きませんか!」
11月も終わりかけ。数日後は12月を迎えようとしている時に、先輩をお誘いした。
明日はお休みだし、妹や弟はお母さんたちとお出かけ。面倒見なくていいから、せっかくなら先輩とお出かけしたい。
「……なんで?」
「先輩とお出かけしたいんです。なんだかんだこんなに仲良しになったんですから」
「仲良しって……ほぼゴリ押しじゃない」
反論はできない。確かにそうですけど、それでも今はこうやってたくさんお話しして、ポスターも一緒に作ってる仲ですから。結果オーライです。
「ダメですか?先輩」
「なんで水族館なの」
「実は、部活の先輩にチケットをもらいまして。しかも二枚!これはつまり、先輩と行けっていうことですよね!」
「……友達いないの?」
「失礼な!いますとも」
友達よりも、先輩と行きたい。こんなチャンスは滅多にない。
それに……
「きっと楽しいですよ」
学年が違うから普段の先輩を叶恵は知らない。叶恵が知ってるのは、図書室とカフェの先輩だけ。もっともっと先輩のことを知りたい。先輩は普段、どんなものを見て、どんな風に考えてるのか。そして、どうやってあんな作品を作っているのか。
「ダメ、ですか?この水族館のカフェ、見た目も可愛いし味もすごく美味しいって評判なんですよ?」
「……はぁ。まぁ、たまにはそういうところもいいか。海崎さんが一緒っていうのは癪だけど、この際我慢するわ」
「ありがとうございます……ん?今叶恵、嫌がられました?」
何はともあれ、先輩がOKしてくれたのはよかった。問題はここからだった。
叶恵は緊張で口に溜まった唾液をゴクリと音を立てながら飲み込んで、カバンの中からスマホを取り出す。
「そ、それでですね先輩……れ、連絡先をですね……」
「待ち合わせ、10時に駅前でいいよね。南口の横のコンビニ前」
「……はい」
残念ながら先輩の連絡先はまだ教えてもらえないようです。とほほ……
机の上でうつぶせになって、あからさまに落ち込んでいれば、先輩が鉛筆かシャーペンか、はたまた別の何かで叶恵の頭をグリグリする。
痛いよりも、先輩がこんなお茶目なことをしていることに胸がきゅんとなった。
「そんなに、私の連絡先欲しいの?」
「……めっちゃ欲しいです」
「もらってどうするの?」
「できれば毎日連絡したいですが、当然嫌がられるでしょうからせめて事務的連絡だけでもと」
せっかくの待ち合わせのデート(先輩はそう思ってないと思うけど)。メッセージでやりとりしながらハラハラドキドキしたいなって思うよ。
「そう。まぁ、聞いたからってあげるとは一言も言ってないけど」
「ですよねー……」
「ほら、さっさと今日のノルマ終わらせて帰るよ。このポスター、学校限定で貼る代わりに当日までの締め切りにしてもらったんでしょ?」
「うぅ……はい……」
叶恵的な画力は、すでに生徒会の皆さんにも披露した。やめておくかとも話していたけど、一応委員長がすでに手伝いとして天川先輩が了承していることを伝えれば、さっき言ったみたいな結果になった。
「代わりの、他校とか駅前とかに貼るやつは美術部にお願いしたらしいです」
「そう……」
興味なさそうな声音。ちらりと視線を向ければ、先輩の視線は本に向いていた。
——— そうね。“描かない”じゃなくて“描けない”が正解かしら
あの時のあの言葉を思い出すと、やっぱり先輩は絵を描くことが好きなんだ。だけど、描きたくても描けない。それをあえて”描かない”と言葉を変えた。その理由は、描けないのならいっそ辞めてしまおう。そう思ったんだと思う。
「先輩、水族館に行った時にお願いがあるんですけどいいですか?」
「何?」
「叶恵、水族館にキャンバスを持って行くので、見た魚を描いて欲しいんです」
水族館の話をした時に、妹や弟も行きたいと少しだけ駄々をこねた。行けない代わりとして、叶恵が2人に提案したのは魚の絵をあげることだった。一緒に行く相手が天川先輩だってことはすでに伝えているし。
「描くって……私は……」
「わかってます。でも、別にコンテストとかで出すようなクオリティじゃなくてもいいんです。それに、写真よりも絵の方が残りやすいですから」
多分、今の言い方は叶恵には他意がないけど、プロの人には感に触る言い方だったかもしれない。
だって、今のは相手を安く見た行動だから。
「無理にとは言いません。先輩が無理というのであれば、大人しく写真で撮ります」
少しは先輩が描けるようになるきっかけになればと思ったけど、無理強いすることは流石にできない。本気で拒絶されてあしたいけなくなるよりは全然マシだ。
「はぁ……鉛筆一本でいいなら」
「え……ほ、ホントですか!?」
「描けるかわからないわよ」
それでも全然よかった!!どんな形でも先輩の絵がまた見れるんだ。どうしよう、顔がにやけちゃいそう。
「はぁ……貴女の集中力も切れてきたみたいだし、そろそろ帰りましょうか」
本をぱたりと閉じながらいう先輩。確かに、明日のことが楽しみすぎてもうポスターに手を向かない。
叶恵も後片付けを済ませて、先輩の後を追いかけた。
*
先輩とは正門からお別れ。先輩は右の駅の方。叶恵の家は左側にある住宅街の方。数分しか一緒に帰ればいのは寂しいけど、それでも一緒に居られるのはすごく嬉しい。
「何ニヤニヤしてるの?」
「え!し、してますか!?」
「うん。すごいブサイク」
先輩が叶恵に軽くデコピンんをする。痛い。だけど、又しても見れた先輩のお茶目な一面に胸がきゅんとする。
「困ります。部外者は立ち入り禁止です」
不意に、正門の方から声が聞こえた。生徒も数名集まっており、何か揉め事だろうか。
「何かあったんですか、ね……」
何かあったのだろうかと、先輩の方を向いた時に、叶恵の目には先輩の酷くおびえた表情が飛び込んできた。それを見て思った。あの騒ぎはきっと、先輩にとって良くないものだと。
「先輩こっちです」
とりあえずこの場から離れようと思って、先輩の手をとってその場を離れようとした。だけど……
「夢乃くん!」
相手が先輩に気づいて、教師の言葉も聞かず、集まっていた生徒をかき分けてこちらに近づいてくる。
「夢乃くん、いい加減子供のわがままは辞めてくれないか」
「……なんの話ですか」
「全く。もう描かないだなんて、自分がどれだけの才能を持っているのかわかるのか?」
「ちょっと!勝手に敷地に入らないでください!警察呼びますよ!」
追いかけてきた先生が、男の腕を掴む。だけどそれを、男は力任せに振り払い、その反動で先生は地面に倒れてしまった。
僅かに響く悲鳴の声。だけど男は気にせず、天川先輩に目を向ける。
「たくさんの人間が君の絵を期待している。待っているんだ。君はまだ若いが、これからどんどん伸びるし、絵も売れるからお金には困らないだろ?だから、また絵を描いてくれ」
先輩は、俯いたまま何も言わなかった。だけど、表情が見えなくても先輩が苦しそうにしているのは誰が見たってわかる。
男の両腕がゆっくりと先輩に伸びていく。叶恵にはそれがひどく汚い物に見えた。
その汚いものが今、先輩を汚そうとしている。それが、我慢ならなかった。
気がつけば、男と先輩の間に割って入り、男の手を払った。
「なっ!」
「汚い手で先輩に触らないでください」
鋭い目つきを男に向ければ、彼は一瞬怯む。正直、この時何を言ったのかはわからなかった。怒りのまま、先輩が汚されることへの嫌悪感で、叶恵は先輩を後ろに庇いながら、多分色々と罵声を口にしたのかもしれない。
気がついたら、男は学校の警備員に連れていかれていて、野次馬の生徒もいなくなっていて、目の前には男に払い飛ばされた先生がいた。
「いいですね」
「え、っと……」
意識が今やっと覚醒したため、先生の話もよく覚えていない。叶恵は必死に何を言われたのだろうかと思い出そうとした。だけど、隣にいた先輩が一歩前に出て「わかりました」と答える。先生の視線が先輩がから叶恵に向けられる。慌てて勢いよく上下に頭を降る。先生は少しだけ深いため息をついて「気をつけてくださいね」とだけ言ってその場を後にした。
「あの、先輩」
「ありがとう」
覚えていなかったから先輩に聞こうとしたけど、尋ねる前にお礼を言われた。
そして、先輩が叶恵の手をぎゅっと握った。普通だったらその行動に慌てふためくけど、その手は少しだけ震えていた。
「あの、先輩……すみません……叶恵、あんまり覚えていないんです」
「え?」
「無我夢中であの男の人に何か言ったみたいなんですが……叶恵、なんかすごいこととか言ってないですかね?」
正直怖い。周りは知っているのに自分は知らないということに。だからおしえてほしい、叶恵はあの人になんて言ったのか。
「……別に、覚えてないならいい」
「え!お、教えてください」
「教えない。その代わり」
カバンから紙とペンを取り出した先輩は何かを書き、破って叶恵に渡してきた。
「教えない代わりであり、助けてくれたお礼」
そこに書かれていたのは、恐らく先輩の連絡先。
何が起こったのかわからず、紙を持ったまま放心状態で、口から溢れるのは「え?え?」という単語ばかりだ。
「それじゃあ、私は帰るわ。また明日ね」
先輩はそのまま正門の方へと帰っていく。叶恵は放心状態。
やっとの思いで我に帰ったのは、最終下校のチャイムがなり終わった頃だった。
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