5話「唯一の色(あのめ)」:夢乃side
カランと、扉につけられたドアベルがなれば、数名の男女の「いらっしゃいませ」という声が聞こえる。
兄さんに誘われてバイトを始めて早二週間。まだ接客自体はぎこちないが、やり方などはしっかりと覚えられている。
店長さんや先輩スタッフさんに「覚えが早いね」と褒められて嬉しかったのだが、なぜか兄さんが誇らしげに「そうでしょ」と言っていたことに少しだけため息が出た。そういうキャラでもないでしょうに。
お店の制服はとても可愛くて、似合っているかわからないけど、普段こんな服着れないからちょっと新鮮な気がする。
バイトは基本的に平日だけ。土日は平日に入れない人が結構シフトに入っているから、人手は足りているとのことだった。
「夢乃ちゃん、来月の新作試食した?」
「はい。先日いただきました」
「どうだった?」
「そうですね。私はもう少し甘さを抑えてもいいかなって」
兄さんのおかげで、先輩スタッフさんとはそれなりに会話するようになった。最初はタジタジだったけど、少しずつうまく話せるように今も頑張っている。
カフェは軽食はもちろん、ドリンクやケーキも豊富で、時間帯によっては学生が多かったり、サラリーマンが多かったりと多種多様。私が入っているときは、学校帰りでくる子が多いから、制服姿の子や大学生がパソコン開いて作業している姿をよく見かける。
「そろそろ私、戻りますね」
「ん。今日ラストまで?」
「はい。帰りは兄さんが迎えにくるらしくて」
「累さん、意外とシスコンだよね」
苦笑いを浮かべる私。実際は、もう一つのバイトの終わりが私のバイト終わりと被ったからついでにってことなんだけど、言い訳っぽくなるからあえて言わなかった。これがきっかけで兄さんが重度のシスコンと思われたら……申し訳ない。
「いらっしゃいませ」
ちょうどホールに戻ったタイミングでお客さんが来店されたため。いつものように言葉を投げる。だけど、そのお客さんの顔を見て、私はピタリと足が止まる。
モノクロの私の世界。その世界の中で唯一色を持つ、あの目。
「あ、天川先輩!?」
驚きながらも目をキラキラと輝かせる彼女は、私のある意味ストーカー。後輩の海崎さんがいた。
なんでこの子がここにいるんだろう……バイトのこと、話した覚えないのに。
「一名様ですね。カウンターの方にお願いします」
とりあえず落ち着いて。今は仕事中。それに、変に会話して先輩たちに質問されるのも面倒だ。
「ご注文がお決まりになりましたらお声がけください」
「先輩をテイクアウトってできませんか?」
「商品ではないので。それでは失礼します」
なんか馬鹿なこと言っていたけど、あえてスルー。
私はにっこりと営業スマイルを浮かべて、裏に下がる。
あぁ、あの子の接客だけでも先輩に変わって欲しい。というかホントなんであの子この店きたんだろう。たまたま?
「カウンター3番。オムライス一つ。食後にブレンドコーヒーとベリータルトです」
悶々と考えている間に先輩スタッフさんが注文をとってくれていたようだった。私は「すみません」と謝罪をすれば「大丈夫だよ」と言ってくれた。
ただ、付け加えるように「知り合い?」と聞かれた。少しだけ会話をしたらしく私の知り合いだと言ったみたいだった。
私は目を逸らしながら「後輩です」とだけ答えた。
正直その後の仕事は、知り合いが1人いるだけで気になってしまってすぐに視線が海崎さんの方に向いてしまう。
時々目が合うと、随分嬉しそうに笑顔を浮かべる。それに対して、周りにバレないように不機嫌そうな表情を浮かべた。
「お会計、2120円になります」
約1時間が経った頃にやっと彼女が席を立ってレジに足を運んだ。
帰りのお会計は私が対応したけど、ここでもまた随分と嬉しそうな顔をしていた。
私は貼り付けたような笑顔を浮かべるだけ。それでもこの子はとても嬉しそうだった。本当に変な子。
「どうしてここがわかったの?」
視界に入ってくる顔が、この子だけになったのを確認して、私はいつものように声をかけた。
すると、海崎さんは「やっと見てくれた」とさっきとは違う、ふんわりとした笑顔を浮かべた。
色のついた瞳が私を優しく見つめ、その鮮やかさに私はすぐに顔をそらしてしまった。
胸が酷く苦しくなり、心臓がばくばくと動いている。え、なにこれ……?
「たまたまですよ。ここ、前からきて見たかったんです。今日は先輩が図書館にいらっしゃらなかったので、暇だなーと思って立ち寄ったんです」
そしたら。と言葉を続けようとして私にまた目を向ける。
あぁ、本当についていない。この子はまたここにくるだろう。図書室に私がいない日は、決まってここに。
「ありがとうございます。二度と、こないでください」
後半は、他のスタッフやお客さんに聞こえないように小声で言った。当然彼女にも聞こえていたと思うけど、私の予想に反して彼女は笑顔を浮かべる。
「またきますね」
カランと、ドアベルがなって彼女はお店を出た。
途端に、不思議と周りの音が静かになったような気がする。彼女と少し会話しただけなのに、ひどく騒がしく感じた。
———また来ますね
「ホント、やめて欲しい」
ため息を一つこぼしながら、私はレジを離れ理。残りの仕事の間は、ずっと彼女のことを考えて胸が酷く苦しかった。きっと、また彼女がくるからだと思うけど。
*
「おつかれさん」
閉店後、残っているスタッフさんに挨拶をして裏手から出ると、すでに兄さんがそこで待っていた。
買ってくれたのか、手に持っていたココアを私にくれた。ほんのりとまだ暖かい。もう季節的に外も寒いし、これはとてもありがたい。
蓋を開けて、一口飲んでいるときに不意に視界に入ってくる、普段と違う兄さんの姿。
「髪、結んだままだよ」
「ん?あぁ、どおりで首元が寒いわけだ」
特にどっちかが合図したわけじゃないけど、自然と並んで歩き始めた。
会話は必要最低限。お互い、おしゃべりが得意だったり好きなわけではないから、話題がなければ会話は弾まない。ただひたすら無言。
「ねぇ兄さん」
「んー?」
別に、無言に耐えかねたわけではない。ただ、何と無く……隣にいる兄さんに聞いて見たかった。
「もしもの話なんだけど。自分の世界がモノクロで、色なんてない世界。だけどそこに唯一存在する色。それって特別な何かだと思う?」
きっと今歩いている場所は、色鮮やかな場所だろう。だけど私にはただの白と黒の世界。そんな私の見ている景色の中で唯一色を持つあの子の目は、私にとって何か意味を持つのだろうか。
私が嫌なことを強要してくるのに、私の感情があの子を拒絶しない。その理由が、答えがどうにも出せない。
「なんかの本の影響か?」
「……まぁそんなところ」
兄さんは少し考えるようなそぶりをする。妹の、何と無く訪ねたことにちゃんと答える。これも兄さんの好きなところだ。
「まぁあくまで比喩的な考えではあるが……聞くか?」
「うん」
兄さんは空を見上げる。街中が明るいせいで、星なんてものは全く見えない。あるのは丸い月だけ。
「線の向こう側で、手を引いてくれる人かな」
その比喩表現にたどり着いた、兄さんの考えを聞いた。
色のついた相手は、自分が目を背けているもの、諦めているものの象徴だと。
その相手と自分の間に一本の線が引かれていて、自分はその線を越えることができない。だけど向こう側には色のついた相手がいる。相手はそっと自分の手をとって、その線を越える手助けをしてくれる。
「まぁそんな感じかな……」
「……面白い考えね。参考になった」
「そりゃどうも」
その後は会話はなかった。ただ、途中で兄さんがこんな寒い中でアイスをおごってくれた。若干の申し訳なさもあり、選んだのは安いアイス。本当はハーゲンの苺が食べたかった。
2人で家に帰って、交代でお風呂に入って、ご飯はお店で賄いをもらったから、そのままベッドに横になった。
「目を背ける……諦め、か……」
ふと、兄さんの比喩的表現を思い出した。
私が目を背けて、諦めているもの。あぁ、そんなの分かり切っている。答えを考えるまでもない。
——— それでも叶恵は、先輩絵を描いて欲しいです。
あの子の姿が頭に浮かぶ。モノクロの、だけど目だけは鮮やかに色づいた彼女の姿が。
どくりと鼓動がなる。体が何かに反応している。きっと、思考だけがそれを拒否していて、体は答えを受け入れようとしているのだろう。だけど、私は線を越えられない。だって、聴こえてくる。後ろから、私が色をなくした原因が。今は必死に振り返らないようにしている。だって、振り返ってしまったら今度こそ私は、大事なあれも捨てなければいけなくなってくる。
「タス……ケ」
無意識に手が伸びる。
誰かにすがりたい。泣き叫びたい。
籠の中は息苦しい……自由になりたい。外の……鮮やかな世界に行きたい。
ねぇ、本当に特別なんだったら、早く私の手を引いて私を、私を……
「描きたい……」
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