クラゲと彗星蘭
暁紅桜
1話「色(ゆめ)をなくした少女」:夢乃side
鈴虫の合唱が聞こえ、少しだけ肌寒い秋先。
運動部がグランドや体育館で部活に励み、僅かに吹奏楽部の演奏が聴こえる。
周りの音に少しだけ耳を傾けながら、時々吹く風に髪がなびき、髪を耳にかけながら私は静かに読書をする。
殆ど利用する人がいない図書館は、静かに過ごしたい生徒にはうってつけの場所であり、私もまたそんな空間を求めてここへと足を運んだ。
自前の、読みかけの本を開き、挟んでいたアンズ栞を外して読み進める。
好きな作家さんの新作を発売当日に買って、一気読みしようとしたけど、次の日に支障が出るため細々と読んでいる。
今回の作品も面白くて、すぐにこの作品の世界観に引きづり込まれ、どんどんページをめくっていく。
「先輩!みてください!」
そんな、私の幸せな時間を打ち砕くように、この静かな空間に似つかない、元気で明るい声が私に声をかけてきた。
「どうですか?うまくかけたと思うんですけど……」
まるで、子供が大人に褒めて欲しくてたまらないような表情。いつの間にか私の向かい側の席に座っていた彼女が、白いA4サイズの紙に描かれたよくわからないものを私に見せてくる。
「新種の生き物かしら。画力はともかく発想力はいいんじゃない?」
「猫ですよ!!」
どこをどうみたら目の前の絵が猫に見えるのかはよくわからない。壊滅的にこの子には絵の才能がない。小学生でもこんなに酷い絵は描かない。
本人も自分の画力の乏しさを自覚しているようで、口元をとがせながら「猫なのに……猫……ねこ?」と、描いた本人でさえ本当にそれなのかをわかっていなかった。
「はぁ……先輩みたいに、うまく描けたらなぁ」
うな垂れるように、机に突っ伏す彼女。
わざとなのか、それとも自然と出た言葉なのか、彼女はため息交じりにそんなことを言ってくる。
もう何回、何十回、うんざりするほどに何度も言われる言葉。
「本当に、もう描かないんですか?」
「……はぁ……何度も言わせないで」
この子がいては、おちおち読書もできない。
本を閉じ、私は荷物を持って席を立つ。
「私はもう、絵は描かない」
彼女に背を向けて、私は教室を出た。
後ろから引き止めるように私の名前を呼んでいる声が聞こえたが、私が振り返ることはなかった。
*
最初は、ただ純粋に絵を描くことが好きだった。
好きな絵を好きなだけ、思うがままに描き続けた。
見たもの、感じたことを形にしている。
この感情はこんな形、こんな色。これとこれが同じ世界にあったら楽しいよね。こうだったらいいよね。
そうやって、頭の中に広がる世界を紙の上に、キャンバスの上にたくさんたくさん描いてきた。
そして、そんな私の絵を両親も兄さんも、みんなが褒めてくれた。それがすごく嬉しかった。
コンテストでもたくさん賞をもらって、たくさんの人に褒めてもらって本当に嬉しかった。
嬉しかった、はずだった……
「さすが天川さん」
「素晴らしい作品だわ。次はどんな作品を描いてくれるのかしら」
「君にぜひ描いてもらいたい作品があるんだ」
「実は有名な画家のコンテストがあって、君の画風とは違うがぜひ出して欲しい」
成長と共に実感する。周りの期待と周りの願い。それがどんどん重荷になってきて、好きで描いていたはずのそれが「描きたい」じゃなくて「描かないと」になり始めた。
結局、ある絵が完成すると同時に私は筆を置いた。
小さい頃、あんなに世界が鮮やかでキラキラと輝いていたのに、今、私が見ている世界は白黒(モノクロ)で、あの時のように楽しく描けなくなった。
そんな状況で描いた絵。私にとっては最悪の絵だった。なのに、大人たちはその絵を褒めた。その時思った。この人たちは私の絵なんて見てない。
駄作を褒めるような人間。どうして私はこんな人たちに言われるがままに絵を描いているのだろう。お金の事しか、自分の事しか考えてない汚い大人のために。
大人たちの目の前で、彼らが褒めてくれた絵をズタズタにしたときは酷くスッキリした。
絵じゃなくなったそれを、私は彼らに投げつけて宣言した。
「もう絵は描かない」
大好きだったはずのそれを、体が拒絶する。頭が痛くなったり、気持ち悪くなったり。苦しくて苦しくて苦しくて仕方がない。
そんな私の苦痛なんて周りは御構い無しで、ただひたすらに的外れなことばかり口にする。やれスランプ。やれ精神的なもの。やれまだ学生だから。
そんな、大人のバカみたいな、かすりもしてない押し付けの結論。それを聞くだけでも本当にヘドが出る。
私はただ描きたいから描いていた。好きなものを、好きなだけ、思うがままに……
どこか心にぽっかりと穴が空いたような虚無感を感じならそれからの日々は過ごしていた。
普通の学生のように勉学に励み、それなりにクラスメイトと仲良くして、好きな作家さんの本を読む。
きっとこの虚無感、空いた穴は《絵》という存在。でも、時間が経てばその穴は何かで埋まって、絵のない生活が当たり前になるのだろう。
もうどれだけ筆を持たなくなったかわからなくなったある日、あれは数ヶ月前。ちょうど夏休みが開けたぐらいの時期だった。
「あの!」
始業式が終わり、教室でのHRが終わってさぁ帰ろうと廊下を歩いている時だった。
女の子の、大きな声が聞こえて振り返った。
周りには他に生徒の姿いなくて、その場にいるのは私とその子だけだった。
彼女の視線は、まっすぐに私の方を向いていた。
「天川先輩ですよね!」
知らない子だった。
ふわりとした短めの髪。一部だけ長い髪は可愛いく三つ編みになっていた。
私のことを先輩と呼んでいるから、きっと一年生だろう。
少しだけ息を荒げて、だけどどこか目をキラキラと輝かせている名前も知らない後輩。ただ、モノクロの……色のない私の世界に、なぜかこの子の目だけははっきりと色がついていることに少しだけ驚いた。
「どちら様?」
心の動揺を悟られないように、私はいつも通りの口調で話した。
走ってきたのか、上がった息を彼女は必死に抑えようとしていた。そして、落ち着いたらきっと自己紹介をしてくれるだろうと思った。だけど……
「好きです!」
会って数分の後輩に突然告白された。それも、かなり感情のこもった感じに。
確かに今の時代、同性同士のお付き合いというのはそう珍しくないけど、残念ながら私は遺伝子に刻まれた通りに異性に好意を持っている。
申し訳ないけど、この子の気持ちには答えられない。
「ごめんなさい」
「あ!ち、違います!いや、違わないんですけど、違うんです!」
とっさに出たのか、それとも前置きとして何かがあったけどそれをすっ飛ばして口にしたのか。彼女はそれはもう騒がしいぐらいに必死に否定した。
彼女があまりにも必死だったせいでなかなか口を開くことができず「そうなんだ」とか「気にしなくて大丈夫よ」と返事をすることができなかった。
「えっと、その……ですね」
少しだけもじもじしながら、彼女は飛ばした前置きを口にし始める。だけどそれは、私にとっては嬉しいものではなかった。
「叶恵、先輩の絵が好きです!」
一人称が自分の名前である後輩ちゃんは、目をキラキラと輝かせながらそう口にした。
あぁやだな。急に気分が悪くなり始めた。お願いだから、それ以上口を開かないで欲しい。
「児童館に飾られていた絵に一目惚れしたんです。友達に聞いたら、描いたのが同じ学校の先輩だって。それで、夏休み明けたら、声かけてこの気持ちを伝えたくて!」
普通だったら嬉しいはず。でも、私にはその発言は嫌な前置きだった。案の定、彼女はこう口にした。
「他の先輩の絵も見たいです。それと、次ってどんな絵を描くんですか」
気づいたら、私は彼女の目の前にいた。
気づいたら、彼女の頬を叩いていた。
「それ以上不快な言葉を口にしないで。絵なんて、二度と描かない」
何が起きたのかわからない彼女、叩かれた頬に触れながら呆然としていた。
八つ当たりだ。ホント、自分が嫌いになる。
彼女はただ純粋に抱いたことを私に話してくれたのに、勝手にそれを不快に感じて手をあげた。
「……ごめんなさい。叩いたことは謝るわ。でも、何も知らないのに軽々しくそういう発言をしないで頂戴」
それだけ言って、私はその場を後にした。
それが、私と彼女。海崎叶恵の最初の出会いだった。
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