第8話 和解


 二人は綾香(あやか)の父の足跡を追って町に繰り出した。

 電車通勤をしている彼は早ければこの町に帰ってきてもおかしくはない時間帯だったからだ。帰宅するサラリーマンや学生の波に溺れてそれらしい姿は見当らない。


「本当にこの時間帯にいるのか?」


「うん、何度か女の子と腕組んで歩いている姿を見かけたことがあるし」


「おや、どなたをお探しで?」


 唐突に声をかけられた叶夜(きょうや)はびくっとしてしまった。幽霊の自分に話しかけてくる人間など限られている。振り返ると、思った通り黒い衣装に身を包んだ死神の姿があった。


「脅かすなよ、来世(らいせ)」


「不死川(しなずがわ)くんの知り合い?」


「ああ。俺と同じ死神の生明(あざみ)来世(らいせ)だ」


「同じではなく、せ・ん・ぱ・いの死神です。というより私達の姿が見えるんですね。鈴森綾香(すずもりあやか)さん。貴女に霊感はなかったはずですが」


「コイツ、この前の悪霊騒ぎでなんか微妙に覚醒しちまったみたいでな。さっき女の悪霊に襲われたときに完全に目覚めちまったらしい」


 それまで霊感がなかった人間が霊的な接触をもって霊感を手にすることはやはり珍しくないらしい。来世(らいせ)はとりたてて驚く様子はなかったが、女の悪霊の下りで眉をピクリと動かした。


「待ってください。女の悪霊!? それは本当に悪霊だったのですか?」


「なんか禍々しかったし、あのオッサンと似たような匂いがしたぞ。アレより酷かったが」


「……どおりで微かに違和感を覚えたはずですね、成程。もしや最近の騒動は……」


 一人納得している様子の来世(らいせ)は、訝し気に自分を視る二人の視線に気づいたようだ。話の流れが掴めていない叶夜(きょうや)達に分かるように話し始めた。


「実はここ最近、成仏を拒んでいた浮遊霊達が急に私にコンタクトを取って早急に成仏したいと打ち明けてきたんです。私の残業理由もコレだったわけですが、どうやら彼らは凶悪な怨霊に襲われて命辛々逃げてきたらしいのですよ」


「怨霊……? 悪霊と何か違うの?」


「叶夜(きょうや)さんには以前少し説明しましたが、悪霊は悪意を持った浮遊霊で力は弱いです。しかし悪霊が生者の魂を喰らったとき怨霊に進化します。彼らの強さは死神に匹敵し、弱い人間なら余裕で呪殺することも可能です。……そして最近この辺りで女の怨霊の目撃が頻発しています」


 叶夜(きょうや)と綾香(あやか)は顔面蒼白となり互いに顔を見合わせる。

 怨霊直前だった悪霊親父の霊に似た匂いを放ち、生者である綾香(あやか)を縊り殺そうとした呪力を持つ禍々しい女の霊――まさしく先程襲ってきた女は怨霊の性質を持っていたのだ。


「あなた達の顔色から察するにやはり怨霊だったみたいですね。そりゃあ目覚めかけた霊感が完全に覚醒するわけですよ……二人揃って食べられなかったのは僥倖といえますね」


「確かにアイツ、ソウルブレイカーで斬りつけてもあんまり怯んでなかったな。けどそんなに強ェなら何で退いたんだろう?」


「まだ怨霊になったばかりなのかもしれませんね。最近までその手の噂は聞いていませんでしたし。初めて死神と闘って警戒して撤退した可能性があります」


「怖い。そんな危険な霊に狙われていたなんて」


 最早父親捜しどころではない。綾香(あやか)は一歩間違っていたら怨霊に呪い殺されていた恐怖を思い出して戦慄している。


「悪霊や怨霊は生前自身に近かった人間を狙います。殺意、愛憎、執着心、理由は様々ですけどね。綾香(あやかおる)さん、貴女はここ半年の間に亡くなった身内や知人は誰もいないですか?」


 綾香(あやかおる)には一人だけ心当たりがあった。死亡した女の身内。母親である鈴森静香(すずもりしずか)だ。直近で死んだ女性の身内は彼女以外ありえない。それ故に混乱してしまった。生前から静香(しずか)は娘の綾香(あやか)を心から愛していたのは周知の事実なのだ。命を狙う動機が見えない。


「どうしてお母さんが……!? 何かの間違いじゃ――」


 ――刹那、凄まじい破壊音が町に木霊した。

 近くのビルの窓ガラスが清田に砕けて看板が弾けとんだのだ。


「なんだなんだ!?」「爆発!?」


 騒然となる現場の近くには中年の優男が女学生を庇うように倒れていた。

 男の姿を視認した綾香(あやか)は自然と体が動いていた。


「お父さん!?」


「何だって……!?」


 頭から血を流している彼は起き上がるなり、どこか女学生を気遣うようにして逃がした。

 そうして自身に駆け寄ってきた少女が娘だと気づくなり目を丸くする。


「どうしてここに!?」


「こっちの台詞だよ! こんな時にも女の子とイチャイチャして!」


「綾香(あやか)、何を言ってるんだ……?」


 言い争う親子は途中で禍々しい空気の重みを感じ押し黙った。二人の視線の先に立っていたのは骨のようなか細い四肢に乱れた髪の女だ。先程鈴森家を強襲した怨霊である。


「ウァァァアアアアアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


断末魔のような絶叫を響かせる。その振動に耐えきれなくなった周囲の窓ガラスがまた盛大に砕け散っていた。周囲の人間はガス爆発か何かだと思っているみたいだがれいかんのある者はハッキリと怨霊の姿を認識し顔面蒼白になっている。

当の怨霊は獲物を逃すまいと鈴森親子を睨み付ける。


「お二人さん、親子喧嘩してる場合じゃなさそうだぜ……?」


「ここは私達で食い止めますのであなた達は逃げてください!!」


 本能的な恐怖を感じた鈴森親子は逃げるように走り始める。

 一瞬、怨霊がそちらに注意を反らしたが、二人の死神が門番のようにソウルブレイカーを交差させて怨霊の行く手を阻んだ。自身の狩猟を邪魔されたことで相当ご立腹らしい。銃の照準の如き視線を死神二人に向けていた。


「問答無用って訳かい。化け物め……」


 改めて対峙する怨霊は威圧感が半端なかった。悪意と殺意が凝縮されているようでただ呼吸しているだけで体力がごっそり削られる。酸素の薄い山頂にいるかのような錯覚さえ感じてしまう。隣の来世(らいせ)も額に脂汗が滲み出ており相当緊張しているのが分かった。


「大丈夫です。誕生して間もない怨霊なら死神(わたしたち)の方がまだ力が上です」


「二対一だしな。ここは頼りにさせてもらうぜ、先輩!」


「勿論です。私に続いてください。まずは確実にソウルブレイカーを当てますよ」


 先に仕掛けたのは来世(らいせ)だった。一足飛びでソウルブレイカーを一振りした。シンプルなデザインの大鎌だからこそ攻勢出るまでの挙動は速く、鋭い斬撃が繰り出された。

 並の悪霊ならば瞬殺の一撃である。――が、今回の怨霊は格が違った。最初の経験からソウルブレイカーによる負傷は危ういと判断して来世(らいせ)が動くと同時に回避行動をとっていたのだ。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 嘲笑う怨霊の背後から叶夜(きょうや)が二撃目を当てようとするも、それすら怨霊は躱してみせた。か細い足からは考えられない脚力で宙へと逃れたのである。

 だがそれも計算通り。二撃目を躱された叶夜(きょうや)は来世(らいせ)のソウルブレイカーを足場として跳躍し、ついに怨霊に己の刃を当てたのである。


「ア……アァ……ヤ、カ……」


 最期にそう残して怨霊は液状化して黒い水溜りが地面に残された。

 恐るべき威圧感と身体能力だったがまだ怨霊としては未熟だったのが不幸中の幸いだった。ただ叶夜(きょうや)は今一つ釈然としないモノを感じていた。


「なんだかあまりにも呆気ないな。前はもっと変な液体ぶっかけてきたりしたんだが」


「急いであの親子を追いかけましょう。今倒したのは魂の残滓、言わば分身体です。本体は未だにあの親子を狙っているに違いありません」


「マジかよ!? けど何で執拗に綾香(あやか)たちを狙う!? それにあの怨霊、気のせいか最期『綾香(あやか)』って呟いたように見えたが……?」


「私の想定通りです。彼女が綾香(あやか)さんの実の母親なのは確定ですね」


 叶夜(きょうや)はこの心霊騒動が起きる直前、怨霊の正体について綾香(あやか)が疑問を投げかけていたことを思い出した。彼女に親しい人間で直近で亡くなったのは母親だけなのだ。

 それが正しいと証明するように怨霊は確かに娘の名前を呟いていた。だが叶夜(きょうや)が鈴森家の仏壇で見た写真の母親は薄幸ながら優しそうな女性であって先程のような化け物とは似ても似つかない。


「一体どういうことだ!? 母親なら何故娘を殺そうとする? 説明してくれ!」


「話は移動中にします! 今はあの親子を追いましょう!」


 話している間にも走りだしている来世(らいせ)は焦燥感に駆られていた。彼女の様子から一刻の猶予もないのは明らかだった。



 ――一方、逃げた鈴森親子は寂れた団地に逃れていた。

 全力で走っていたため二人共相当息を切らせている。


「ハァハァ……ここまで、来れば大丈夫かな……」


「ゼェ……ゼェ……何なんだ、あの化け物は……!? 何がどうなってる?」


「お父さんもお化けが見えるの?」


「お化け? ああ、あれがそういう類なら俺にも見えた。にわかに信じ難いがね。けど、どうしてお化けに狙われるんだ? お父さん、これでも信心深い方なんだけど……ハハハ」


 恐怖を払拭するためだろう。父親は作り笑いを浮かべてわざとらしく頭を掻いた。しかし、その態度が綾香(あやか)を余計に苛つかせた。


「あのお化けはお母さんなんだよ! どうして笑っていられるの!」


「何を言ってるんだ? アレがお母さん? お母さんならちゃんとお葬式してお坊さんから戒名も貰ったしきっと天国で見守って――」


「死神の人が言ってた! 恨みのある人は死んだあとに悪霊になるって! 生きてる人の魂を食べたら怨霊になっちゃうって! だから全部お父さんのせいじゃない! お父さんが浮気なんかしたからお母さんが怒って怨霊になっちゃったんだよッ!!」


 鈴森父は娘の言っている意味が分からなかった。自分を襲ったのが怨霊だということは百歩譲って理解できても、それが死んだ妻の成れの果てであり、自分のせいで怨霊化した等と言われても普通の社会人として生きてきた彼には荒唐無稽に聞こえるだろう。

 ただ一つだけ訂正しなければならないことがあった。それは家族の名誉のために絶対に否定しなければならないことだった。


「綾香(あやか)、お父さんは浮気なんてしてないぞ。母さんが生きていたときは勿論、今でも」


「嘘! だってお父さんパパ活してるじゃん! 私、町で女の子と手を繋いで歩いてたの見たんだから!」


 綾香(あやか)は証拠とばかりに盗撮した写真を提示する。セーラー服の女子生徒が嬉しそうに肩を組んでいる場面、そして別の生徒と別れる際にお札を手渡している場面。十数枚はあろうかという写真は客観的に見て怪しい関係にしか見えなかった。写真をつきつけられた本人もそう感じたのだろう。複雑な表情を浮かべながら素直に頭を下げてきた。


「これは確かに誤解しても仕方ないかな。でも決して怪しい関係じゃないんだ。彼女達はお父さんの生徒なんだよ」


「ハァ!? 生徒!? いやお父さんの仕事は大学教授でしょ!? 生徒は大学生であってこんな制服の子達じゃないでしょ!?」


「あー……綾香(あやか)には話してなかったかな。お母さんが病気になってからお父さん、仕事増やしたって言っただろう? アレは知り合いの伝手で各校の非常勤講師をしてたんだ」


大学教授は授業の無い日は学会に出たり、自分の研究を続けているが、彼は妻の入院費を稼ぐためにアルバイトをかけもちしていたのだ。

病欠や産休で急な欠員が出た私立高校へ非常勤講師として教鞭を振るっていたというのだ。写真に写る生徒の制服が違うのは文字通り違う学校だから当然である。


「待って。お父さんが高校の非常勤講師? 教員免許持ってるの!?」


「勿論。お父さんの専行は教育学だからね。ただそれを話すと母さんとのなれそめについて綾香(あやか)に嘘をついてたことを話さないとだめだから敢えて暈してたんだけど」


「馴れ初め? 町ですれ違ったお母さんにお父さんが一目惚れしたって聞いたけど?」


 父親は恥ずかしそうに首を振った。そして真実を語り始めた。

 鈴森夫妻の本当の出会いは父親が大学生で母親が中学生の頃に遡る。義務教育で入学した地元の中学校に教育実習生として赴任してきたのが父親だった。

 その時は生徒と教師見習いと言う関係で互いに特別な感情を抱いていなかった。


 しかし、父親が高校教師として一度就職した時、高校生の静香(しずか)と再会した。運命的なモノを感じた二人は親交を結び、大恋愛の末結婚したのだ。


「あたし、何にも聞いてないんだけど!?」


「綾香(あやか)が生まれる頃にはお父さん大学に戻ってたしね。それに教育学を専行する教育者が生徒に手を出したって話したら教育に悪いだろう? だから敢えて話さなかったんだ」


 初恋中の少年のように照れる父親の顔に嘘はなかった。納得しかけたが、自身の携帯画面に映るマッチングアプリが目に入って頭を振る。


「お父さんが先生のアルバイトをしてて一緒に歩いてた子は生徒だってのは分かったけど、じゃあなんでマッチングアプリにお父さんのアカウントがあるの!?」


「あぁ……実は生徒の中で売りをしているという嫌な噂があって真実を確かめるために調査してたんだ。それで実際に生徒に会った。その子は学費も払えないくらい貧しかったらしくてね。私がお金を工面してあげたんだ。ホラ、ちょうど綾香(あやか)の写真にも写ってるだろ?」


 援助交際の金銭明け渡しに見えるお札の手渡しは単純に貧しい子に融資しているだけの善意ある光景だった。つまり、父親に対するパパ活疑惑は全て綾香(あやか)の早とちりの勘違いということになる。それを自覚した瞬間、安堵と恥かしさから涙が溢れてしまった。


「そっか……勝手に勘違して、失望して……わたし……バカみたいじゃん」


「ごめん、もっとちゃんと親子の時間を作るべきだったね。綾香(あやか)がこんなに思い詰めてるとは思わなくて……」


「でも、お母さんが亡くなってからもうバイトは必要なくなったでしょ。何で続けてるの?」


「お母さんとの約束だよ。色々抱えてる思春期の生徒達の助けになってほしいって、そんなお父さんに惚れたからって言われたら断れないよね」


 敬愛する父はずっと誠実なままだった。亡くなった母を愛し続け、律儀にその約束を守っていたのだ。嗚咽する娘を優しく慰める父の手は昔と変わらず温かかった。

 しばらく優しく娘の髪を撫でていた手が途中で何かを思い出したようでピタリと止まる。


「でも綾香(あやか)、マッチングアプリにお父さんが登録していたことを何故知ってるんだい?」


「うっ、それは……」


 実際に身体を売ったことはないとはいえ、中年男性と密会して金を貢がせていたのは事実だ。肉親に打ち明けられる話ではない。ましてそれが勘違いから発生した父親への復讐だというのだから始末に負えない。しかし「説明しなさい」と強い口調で怒る父に観念した綾香は泣きながら懺悔する。これまで勘違いし、父親への憎悪から同類と見なした中年親父達を手玉にとっていたこと、そしていつか父親とマッチングした時に全てを断罪しようと画策していたことを素直に告白したのである。やはり娘の蛮行にショックを隠しきれないらしい父親は頭を抱えていた。


「なんということだ。いや、母を亡くしたばかりの年頃の娘だからと対話を先延ばしにしていた私の落ち度かもな……。綾香(あやか)、本当にそういう関係を結んではいないんだな?」


「うん。それはもうお母さんに誓って!」


「もう二度と止めてくれ。アプリは削除するさせてもらうよ」


 長らく誤解とすれ違いのあった親子であったが正面から話し合うと簡単に和解することができた。口下手で決断したら一直線なのは似た者親子なのだろう。


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