相棒竜の鱗の生え変わり
藤泉都理
相棒竜の鱗の生え変わり
二十四節気の内が一つ、雨水。
雪や氷が溶けて天に昇り、雨水となって下る二月下旬。
騎士である
常ならば、湊音は傍観に徹していた。
木蔦が身を寄せる黒味の濃い蔦が生い茂る洞窟の中で、甲冑で身を着飾ってただただ見ているだけであった。
それが今年は様子が違った。
黒味の濃い蔦が生い茂る洞窟の中に身を寄せた木蔦は常ならば、風もない中で枯れ葉が舞い散るよう静かに、痛みもなく肉体から鱗が抜け落ちては蔦の上に乗っていた。時間にして十分間、といったところである。
それがどうした事か、今年は鱗を逆立たせたのだ。
初めて見る光景に、木蔦から少し離れたところで傍観していた湊音が話しかけようとした時だった。木蔦から先に話しかけられたのだ。
鱗を剥ぎ取ってくれと言うのだ。
相棒竜の頼みである。
一も二もなく頷き、次なる無茶な申し出にも快く受け入れた湊音は今、木蔦を片腕に抱えていた。
成人男性である湊音を軽々と乗せて飛翔する木蔦は鱗の生え変わりの時のみ、肉体を縮ませるので、湊音が片腕で抱える事を可能にさせた。
木蔦の鱗は背面のみ生えていた。
木蔦を片腕に抱える前に甲冑を脱いでいた湊音は、薄い布越しに伝わってくる木蔦の僅かな汗と不規則に大きく打つ脈動とやわらかでいてしっとりとしている腹の感触に僅かに驚きつつ、意識を逆立つ鱗に集中させた。
相棒竜なのである。
できうる限り、痛みは生じさせたくはないが、自然と抜け落ちる鱗の生え変わりとは違い、剥ぎ取るのであればどうしたとて激しい痛みを与えてしまう。
湊音は素手であった。
鱗の生え変わりの時のみの変質であろう。
鱗全体に細かく鋭い棘が蔓延っていた。
素手で触り続ければ、鱗を抜き取る指が使い物にならなくなってしまう危険性もあった。
けれど、湊音は素手で鱗を引き抜いてやりたかった。引き抜きたかった。
いつも自慢している甲冑はどうした。己を着飾る為だけのものだと豪語する甲冑が漸く本来の役目を果たせる時ではないか。己の身を守れ、甲冑で身を固めて己を守れ。
木蔦は鼻息を押し殺しながら常の険のある声音で以て言った。
嫌だよ。
湊音はやわらかく答えた。
歯を食いしばっていてくれ。
湊音はやさしく言った。
すぐに終わらせるよ。
幾度も幾度も幾度も。
中に液体が詰まり皮が厚い何かを勢いよく踏み潰す鈍い音がした。
幾度も幾度も幾度も。
かろうじて耳にする事ができる遠方から老若男女が甲高く喚き叫ぶ声が常に身体の中で反響し続けた。
激痛に飛び跳ねまいと小さな身体をさらに縮めさせる木蔦に、けれど、湊音は何も声をかけなかった。片腕に抱えているのだ。木蔦の痛みを訴える微かな反応を確かに感じてはいた。ただ、感じてはいるだけであった。意識のみではない。身体すべては逆立つ鱗の剥ぎ取りにのみ注がれていた。
一枚たりとて取りこぼしがないように。
へし折るなど中途半端にならぬよう、一枚の鱗を綺麗に肉体から剥ぎ取れるように。
怒涛の時間だったと言っていいだろう。
五分間ですべての鱗を引き抜いてくれとの木蔦の申し出を受けた湊音は、三分間ですべての鱗を剥ぎ取ったのである。
結果、湊音のすべての手の指に、手の腹に、細かく鋭い棘をあまねく突き立たせていたが、不思議と血は流れ落ちていなかった。
「いずれその棘も消滅する」
「痛みは?」
「痛みは続く」
「っふ。おまえの痛みはどうだい?」
「もう鱗は生え変わったゆえ痛みは微塵もない」
「っふ」
(2025.2.24)
相棒竜の鱗の生え変わり 藤泉都理 @fujitori
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