第6話 気に食わない女

 ようやくやってきた昼休み。俺はデカい弁当箱を抱えて教室を抜け出した。


 三時限目の後、クラスメイトはほとんど俺に近づいてきていない。

 あんなふうにやらかした後だ。避けられて当然か。


 幸い忍び足も、人気のない場所探しも得意だ。

 俺は誰の目にも止まることなく校舎をぶらぶらと歩き回り、中庭の一角に出たところでおあつらえ向きの場所を見つけた。


 植え込みが作り出す死角の中に、むき出しになったコンクリートの地面。

 ここなら腰を下ろしてもズボンが汚れないし、人目も避けられる。

 今の時間にちょうど、日向になっているのもありがたい。


 これ幸いと胡坐をかいて弁当箱を置き、目を閉じる。

 少し離れた校舎のどこかでは、他愛もない喧噪が響いている。

 自分がその中に混じる様子は想像もつかないが、外から聞いている分には心地よかった。


 母さん、ごめん。

 弁当ぐらいは残さず食べて帰るから。


 言い訳じみたことを考え、目の前の大きな包みに手をかけた時だった。


「おやおやぁ? こんな所で一人飯なんて、さてはキミぼっちかなあ?」


 こっちに向かって、歩いてくる奴が一人。


 妙な雰囲気の女だ。

 腰か、もしかしたら膝の裏までありそうな長い黒髪をおさげにしてまとめているのが目につく。三つ編みになっている太い毛束を見て、荒縄みたいだなと思った。


「じゃなきゃ、厨二病? わかる、わかるよお。教室に一人で居るとさ、それだけでしんどいよねえ。うわあ、アイツ可哀想みたいな視線感じちゃうよねえ。被害妄想がはかどるはかどる」


 タレ目がちな女は、しまりのない笑いを浮かべながら、そのまま近づいてくる。


 俺に話しかけてきてるんだよな、こいつ。


「違うっつーの。一人で居るのが好きなんだっつーの。みたいな?」


 俺の返事を待たず、女は一人で喋って、一人で盛り上がっている。


「あんた、誰?」

「わたしぃ? わたしもねえ、お友達がいない可哀想な子」


 何が楽しいのか、女はいひひひと独特な笑い声をあげた。

 歯の色も並びも綺麗だが、不健康な感じがするのはなんでだろう。


「ねーえ、ここであなたとお話してもいーい? さびしい私を慰めてよお」


 女が遠慮も躊躇もなく俺の隣に腰かけて、顔を近づけてくる。


 抜群にうさんくさい。何なんだ。


「質問に、答えろよ。お前は誰だ? どこかで会ったことあったか?」


 作り物なんじゃないかと思ってしまうくらい、白くてつるんとした肌だ。そのくせ目の下にだけ濃いクマがくっきりと浮き上がっている。

 顔立ちそのものは整っているはずなのに、締まりのない表情のせいで得体がしれない印象の方が強い。


 姉ちゃんや妻崎と同じ制服を着ているところを見ると、この学校の生徒なんだろうが、サイズがあっていないのかダブついた印象を受ける。


 長い髪に隠れて首元に埋もれてるのは何だ? 大きな、ヘッドホンか?


「ううん、怖い顔してるねえ。でも、イケメンさんだあ」

「はぐらかすな。おい、顔を近づけてくるなって」


 ぐいぐいと寄ってくる女に、流石に耐え切れなくなった。

 額を押して、引き離す。


 なんかこいつひんやりしてんな。ゾンビみてえ。


「いやあん、そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。転校生の、橋爪久郎くん?」

「お前……っ!」


 女が俺の名前を口にした瞬間、背中にぞわりと寒気を感じた。


 なんだ、この視線。

 誰かが、こっちを見ている。

 少し集中すれば、すぐに場所を割り出せるんだが。


「ねえねえ、こっち見てよ久郎くーん」


 胸元を指で突いてくる目の前の変な女が鬱陶しすぎて、それは難しそうだ。


 無関係ってことはないだろう。

 こいつが囮で、もう一人が物陰から俺の様子を窺う。そういう役割分担。

 ベタベタと距離が近いのも、それなら納得がいく。


 目的はわからんが、面倒なことになった。


「なんで俺の名前を知ってるんだ? お前、クラスには居なかったよな」


 とりあえず俺は囮役らしい女に向き直る。

 どこかに隠れている誰かには、気づかないふりだ。


「いやあ、ほら、同じ学年の転校生ってやっぱり気になるでしょ?」

「そうかい。見ての通り、友達もできず一人で飯を食ってるつまらん奴だ。悪いな」

「そーでもないよお? 背はちっちゃいけど、顔かっこいいし。もっと自信もって」

「大きなお世話だ」


「おまけにキミ、中学通ってないんでしょ?」


「……それ、どこで聞いた」


 スッと刃物のように差し込まれてきた言葉に、自然と表情が強張った。


 隠し通すのは不可能だろうとは思っていたが、いくらなんでも早すぎるだろ。


「友達の友達から聞いたの。あ、さっき友達いないって言っちゃったからコレ嘘ってばれるね」

「ふざけるな」

「くひひひ、いいね。その目、ゾクゾクしちゃう」


 脅したはずなのに、女はかえって喜んでいるように身をくねらせた。


 腹立つな、こいつ。気に食わないタイプだ。


「お前、何なんだよ」

「うひひ、気になっちゃう? 私はただ、興味があるだけだよ、久郎くん」


 すっとぼけたように明後日の方向を見て、口元に手を当ててにやつく女。


「五年も行方不明になってた男子高校生って、こんな感じになっちゃうんだねえ」


 また、いひひひひ。

 その笑い方はなんだ。何が可笑しい。


 こんな感じ? 傷ついている、歪んでいる、普通じゃない、そんなところか?


 だったら見当違いだ。

 変わってしまった俺の中の何かを正しく言い表すなら、それは。


「おおーい、久郎! やっと見つけた! あんた、なんでこんな所にいんのさ?」


 せり上がってきたどす黒い何かを吐き出す前に、デカい声に耳を貫かれた。


「……ありゃりゃ、タイムアップか。なんかあの人、私の苦手なタイプっぽい」


 俺と目の前の知らない女は、揃って声のした方を向く。


 妻崎だ。

 小走りでやって来る背の高い女子を見て、女はいやに赤い舌をちろりと出した。


「私の名前は、釘原いろはっていうの。忘れないでね、久郎くん」


 立ち上がった女は勝手に名乗り、俺の返事を待たずに去っていった。


 厄介払いをしてくれた妻崎には、感謝しないとな。

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