数分後には、レベッカは意識を取り戻した。

 猫のような瞳をちらりと見せたかと思えば、すぐに飛び起き、俺の肩を掴んだ。


「大丈夫?」


 俺がそう言いながら、水の入ったコップを差し出すと、レベッカは両手で受け取って、一気に飲み干した。


 ぷはあ、と彼女は一息ついて、ベッドの上から、椅子に座っている俺を見ていた。

 頬が火照っているような気がした。熱でもあるのかもしれない。

 魔王が身体に入っていたのだから、後遺症があってもおかしくない。


「どうして、魔王が私を操っているって、わかったの?」

「何となく」


 俺が視線を逸らすと、レベッカは視線を鋭くした。


「誤魔化さないで。レイは確信していた。でなければ、いきなり解呪の印を叩きつけたりしない」

「本当だ。確信なんてない。外れていてもレベッカに害はないし、当たっていれば儲けものだったから」


 答えながら、俺は気づく。


「というか、魔王に操られていた間のこと、覚えてるのか」


 レベッカが頷き、俺は内心で冷や汗を流す。


「レイが――あなたが勇者じゃないって、どういう意味?」


 やっぱり、聞こえていたか。


「――そのままの意味だよ。俺は、魔王を倒して勇者の役割を終えたから、もう勇者じゃないってことだ」


 レベッカは驚いたように目を開けた。予想外の答えだったらしい。


「そういうふうには、聞こえなかったけど」

「――まさか、魔王と同じように、俺が誰か別人と入れ替わっているとでも?」


 レベッカが何も言わないので、俺は両手を広げておどけるように言う。


「俺はレイだよ、正真正銘の」

「じゃあ、どうして魔王が私の中にいるってわかったの?」

「だから、何となくだ」

「信じない」


 レベッカはどこかからナイフを取り出した。


「勘であんな行動を取れるはずがない。ちゃんと、説明して」


 牢屋の中を照らす小さな照明が刃に反射して、眩しかった。

 その形が網膜に焼き付いてしまいそうになって、俺は顔を伏せた。


 レベッカが疑心暗鬼になるのも無理はない。

 自分自身が、魔王に身体を乗っ取られていたのだから、俺が、何か得体の知れない魔物と入れ替わっていると考えるのは至極当然のことだろう。


 レベッカを自由にしたのは俺だが、それさえも罠で、油断させたところで寝首をかこうとしているのではないか、と思っているのかもしれない。


 たちが悪いのは、事実として、俺がレイじゃないことだ。


 顔や声や見た目は同じでも、言動がいつもと微妙に違うから、余計に疑っているのだろう。


「わかった、納得できるように説明する」


 俺は渋々折れた。


 ――説明には工夫がいる。

 ゲームで見た、とバカ正直に言っても彼女は信じない。それどころか、ゲームとはどういうものかを説明するだけでも一苦労だろう。


 かといって、俺はレイじゃないと言っても、警戒させるだけ。


 つまり、今持っている情報から、俺が、レベッカに魔王が入っていると認識した理由を論理的に説明し、納得させなければならない。


「俺は、この部屋で目を覚ましたときに、君が俺を殺そうとしていると思った」


 どうして、とレベッカが言う前に、先を続ける。


「セント・エルモが、壁のところに立てかけてあるのが見えた。レベッカが、俺をベッドに寝かせるときに邪魔になると思って、装備から外してくれたんだと思った」


 レベッカが頷く。


「けど、セント・エルモは剣心に雷撃を纏った魔剣。そいつが、わざわざ雨で濡れる位置に置かれていた、ということに、作為的なものを感じた」


 ゲームの序盤で、レイは、セント・エルモで魔王にトドメを刺しており、剣は雷撃を纏うことができると描写されていた。

 その一太刀は雷のように早く、電撃で切ったところが焼けるために自動回復は追いつかず、とんでもない切れ味を持つ魔剣。

 勇者の進むべき道を示す、雷を纏う剣。


 しかし、これに水が絡むと、不穏だ。


 ゲームの設定では、セント・エルモは、雨が降っている屋外では取り扱いに注意すべきものとされていた。

 レイが殺されたあと、過去の回想シーンで、屋外で雨の日に魔物相手に剣を抜いて、感電しかけるという描写があった。そのときは、トーマスの機転で、瞬時に雷耐性のバフを掛けてもらって無事だった、という小話だ。


「つまり、レベッカは雨の振り込むところにわざとセント・エルモを置いて、雨で濡らし、俺が剣を抜いたときに、感電死させようとしているんじゃないか、と思った」

「た、ただ、魔剣が置かれているのを見ただけで、そこまで想像したってこと?」


 レベッカは驚いている――というか、引いている。


「とんでもない被害妄想だ、と?」

「え、いや――」


 俺が言うと、レベッカはばつが悪そうに顔を背けた。


「レベッカだってパーティの仲間だ。セント・エルモの性質は知っていたはず。それなのに、わざわざ濡れるような場所で、しかもベッドから離れた場所に置いた――どうしてそんなことをしたのか、疑問に思うのは当然じゃないか?」


 レベッカは腕を組んで唸っていたが、最終的には、渋々といった様子で肯定した。


「で、だ。俺が感電死するためには、セント・エルモを抜かないといけない。魔剣を抜くのはどんなときかと考えれば、敵と相対したときだ。だからレベッカは、俺を襲うつもりなんだと思ったんだ。襲いかかって、抵抗するために俺はとっさに剣を持ち上げ、抜く。そのときに、濡れていることには気づかないと思うか?」

「普通は、気づく」


 レベッカの答えに、俺は頷く。


「通常時の俺なら、セント・エルモの注意点はよく知っている。濡れていれば、剣を抜こうとしないかもしれない。だからレベッカは、俺の意識を混濁させた状態で、剣を抜かせようと考えるはずだ。例えば、寝起きとか。夢うつつな状態なら、思惑通りに剣を抜いてくれると考えた」


 しかし、いくら寝起きとはいえ、仲間に襲われたら、驚愕で眠気も覚める。もしくは冗談かと思って剣を抜いてくれない可能性もある。

 かといって、普通にナイフで殺すのは、自分が勇者を殺したことが明確になり、論外。


「そこで、スライムを使うことを思いついた」


 俺は人差し指をレベッカの眼前に突き立てた。


「スライム?」

「そうだ。この魔王城に一匹だけ、無害なスライムがいたはずだ。それも、レベッカの進言で、殺すことをやめたスライムが」

「――いたけど、それを『使う』って、どういうこと?」

「この牢屋にスライムを誘導して、中に入れるんだ。俺が寝ている間に」


 レベッカは視線を頭上に移動させる。その場面を想像しているようだ。


「俺は、牢屋にいたスライムに顔を圧迫され、目覚めるとする。目覚めが悪い俺は、安眠を邪魔しやがって、とスライムに怒りをぶつけるだろう。よく考えないまま、セント・エルモを抜いて殺そうとする。そこで、感電死する」


 レベッカが、ゴクリと喉を鳴らした。


「そのときには、レベッカ本人はここにいる必要はない。だから、宴会場に戻って、仲間たちと酒を飲んでいる。ここは宴会場から離れているから、感電の音も俺の断末魔も聞こえない。そのうえ、アリバイができる。直接手を下すよりもリスクは圧倒的に少ないうえ、ただの事故として片付けられる可能性が圧倒的に高い」

「そんな、あの少しの時間で、そんなことを――」


 レベッカは、信じられない、という顔をしていた。

 とりあえず、肩をすくめて誤魔化しておく。


「まあ、実際に魔王がそんな計画を立てていたのかはわからないけど」

「でも、どうして私が魔王に乗っ取られていると?」


 ――確かに、今の説明では、レベッカが勇者を殺そうとしていることはわかっても、レベッカが魔王であることはわからないな。


「――まあ、確信はなかったけど、可能性に思い至ったのは、俺を最初に殺そうとした、という事実からだ」


 よくわかっていない顔だ。

 無表情のままだが、そんな感じがする。


「仮に、レベッカが俺を感電死させようとしていると仮定した場合、レベッカは俺を事故に見せかけて殺そうとしていると考えられる。では、なぜ事故に見せかける必要があったんだろう?」

「それは、犯人だとわかったら、他の5人から袋叩きにされるからじゃ?」

「そうだ。だから、レベッカは正面切って俺を殺そうとはせず、事故に見せかけようと策を弄した。ということは、俺を殺して逃げおおせようとしているか、目的は俺の殺害だけじゃない、ということになる。最悪の場合、ここにいる全員を皆殺しにしようとしている可能性も考えられる」


 レベッカは頷く。


「だとすると、動機が不明だ。レベッカは俺の知る限り、パーティの誰にも恨みはないはずだ――まあ、俺は普段の行いが悪いし、多少、思うところがあるのかもしれないけど――」

「自覚、あったんだ」


 レベッカが瞳孔を小さくする。驚いているようだった。

 ――まあ、確かに、レイはこんなことを自分から言うキャラじゃなかったか。


 咳払いで誤魔化しておく。


「コホン。ともかく、ゆくゆくは仲間の複数人を闇に葬ろうとしているなら、俺を最初に狙った理由があるはずだと思った。実際、死体が見つかった後に、犯人探しが始まることを考えれば、MPを消費せずに鑑定スキルを使えて、頭の回転も早いトーマスを先に始末しておくべきだ。そこで、俺はもう一つの可能性に思い至った。それが」


 これだ、と俺は鎖に繋がった十字架を目の前に掲げた。


「俺が目的ではなく、解呪の印を奪い、処理するのが目的だったとしたら、と想像した」


 解呪の印は、対象のあらゆる呪いやバッドステータスを解除できる。

 マリアを送り出した教会から、色々あって勇者が借りた貴重なアイテムだ。


「解呪の印がレベッカの弱点だとすると、レベッカは呪われていることになる。本人がそれを自覚していて、呪いを解こうとしているなら、普通に俺に頼めばいいだけだ。しかし、頼むどころか俺を殺し、解呪の印を奪おうとしている。とすると、呪いを解かれたくないということになる。一方で、トーマスは鑑定スキルで全員のステータスを把握しているはずなのに、レベッカが呪われていることには気づいていなかった。可能性としては、鑑定でも見抜けない、最上位の精神操作系の呪いにかけられて、誰かに操られている、ということ」


 レベッカは無表情だが、真剣に話を聞いていた。


「俺は、トーマスのあの話が心に残っていたんだ」

「あの話?」

「魔王を倒した後に、身体が暫くの間残っていたとき、トーマスが魔物と魔王の関係の話をしていたと思うけど」

「うん」

「あのとき、魔王の身体がしばらく残っていたのは、死んでいなかったから――つまり、魂がまだそこにあったからじゃないかと思ったんだ。そして、身体が消えたのは、魂が器から消滅した――もとい、どこかへ移ってしまったからじゃないかって。そして、レベッカは最後に魔王城から出てきていた。あのときに、魔王に乗っ取られたんじゃないのか?」


 レベッカは、ゆっくりと頷いた。


「とまあ、俺が考えたのはこんなところだ」


 ――もちろん、考えたというのは大嘘だ。


 頭の中に入っていたトリックの全貌と、ゲーム設定をつぎはぎして、それを、推理しましたよ、というふうに話しただけだ。

 いくらなんでも、魔剣の置いてある位置から、レベッカが魔王であるという結論に至るのは、飛躍しすぎだと自分でも思う。


 ――というか、この計画はかなりずさんだ。


 そもそも、レイが牢屋で再び寝るとは限らない。自分の部屋に戻って寝たいと言い出すかもしれない。

 運良くレイが牢屋で眠ってくれたとしても、起き抜けに寝ぼけていたからといって、本当に魔剣でスライムを殺そうとするとは限らない。

 例えば、足で踏んづけて殺そうとするかもしれないのだ。


 一応ゲームでは、魔王は事故に見せかけて殺そうとしていたから、他にもいくつか回りくどい策を用意していて、そのうちのどこかに引っかかればいいと考えていた、という設定だったが――それにしても、である。

 実際にプレイしていたときも、少人数制作のインディーゲームらしさを感じて、苦笑した覚えがあった。


 レベッカにも、現代日本の俺と同じように、正気か? と苦笑いされるか、それとも、ふざけないでとナイフを首元に突きつけられるかもしれないと思っていたが、予想に反して、彼女は何も言わなかった。


 ――沈黙が耐えられなくなり、無意味なフォローを入れる。


「実際、妄想に近いと思ったんだが、検証方法としては簡単で、解呪の印を叩きつけるだけだったから、別に外れていたらそれはそれでいいと思ったんだ」

「あなた、やっぱり、レイじゃない」


 レベッカが鋭い声で言った。


「レイはそんなに頭良くない。いつもより優しいし、話し方も変だし」


 ――ですよね。


 レイに似せようと努力はしてみたが、俺は役者じゃない。しがないサラリーマンが、そんなことできるわけがない。スキルが足りないのだ。


 やっぱり駄目か。


 どうしようか、と考えていると、ふと、自分のステータスが目に入った。


 職業が『勇者』から『真の勇者』に変わっている。


 ――こんなのはゲームでも出てこなかったが、なるほど、魔王を勇者が倒すことで、『真の勇者』に職業も変化するということらしい。

 レイは最初に殺されるから、ゲームでは、職業が変わるところが出てこなかっただけなのだろう。


「――魔王を倒して、酔っ払って、羽目を外しているだけだ。それに、魔王を倒したことで、俺は『真の勇者』になったんだ。その影響もあるのかもしれない」

「真の勇者?」


 聞いたことがない、とレベッカが首を振った。


「職業が変わると、性格も変わる、ということ?」

「そうかもしれない。俺はレイだけど、職業変更の影響で、少し性格が丸くなっただけなんだ、きっと」


 だから殺さないで、と両手を合わせた。

 ゲーム上のラスボスを倒したのに、仲間に殺されるなんて、バッドエンドもいいところだ。


「うーん――まあ、一千万歩譲って、そういうことにしておく」


 かなり譲られた。


 レベッカはナイフを仕舞って、右手を差し出してきた。


「助けてくれて、ありがとう。勇者様」


 俺は、その小さな手を握り返しながら言った。


「――さっきも言ったけど、俺は勇者じゃないよ」

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