理解ある
Dは理解のある彼氏だ。なにせ、小学校の卒業アルバムの「クラスでいちばん」のページに、「いちばん理解ある彼氏になってくれそうなひと」として選ばれたのだから、これは間違いない。そうしたわけでDは、大学生になったいまも、自分のことを女に理解のある男だと思っているし、また周囲も同じように彼のことを見ていた。
しかしどうしたわけか、Dには恋人ができても長続きしない。男友達は皆、Dのことを気の毒がった。これはよっぽど物わかりの悪い、利己的で低級な女ばかり引き当ててしまっているに違いない、と男友達は噂し合った。無論その話をする際は、Dのことを気遣う風を装いながらも、彼らの声はしっかりと嘲笑の油でコーティングされている。
さて、そうこうするうちに、Dには新しい恋人ができた。早速デートをする運びになったが、待ち合わせ場所に現れた恋人の格好に、Dは内心渋い顔をした。彼女は長い髪を結いも括りもせず下ろしたままで、スカートではなくパンツを履き、足には踵の低いスニーカーみたいな靴を履いている。おまけにほとんど化粧をしておらず、Dはこのやる気のない装いに、甚だ興ざめした。彼女はさては、俺を軽んじているな、とDは思った。
しかしDは理解のある彼氏なので、頭から否定するのではなく、あくまでもやさしく言い聞かせる気持ちで、恋人の装いを穏やかにたしなめた。
「なあきみ、きっと今朝は時間がなかったのだろうね。でも、せっかくのデートなんだから、そんな髪型はちょっと恥ずかしいぜ。もっと複雑な、編み込みをしたり、オシャレに括ったりするのが、女の子の嗜みというものだろ」
ところがDの温和な提言に、恋人の女は不満そうな顔をして食ってかかった。
「あら、この髪型、ずいぶん時間をかけたのよ。こんな風に髪をまっすぐにするのに、どれだけの手間がかかると思ってるの。それにそんなことを言うのなら、あなたの髪なんてまるで鳩の巣じゃない。ひどい有様だわ。せめてカラスの巣くらいに整えてきなさいよ」
「それにきみは、パンツやスニーカーなんて履いて、それがデートに行く格好かい。若い女なんだから、いついかなるときもハイヒールを履くのが筋というものじゃないか?」
「なに言ってるの。天気がいいからピクニックの真似事をしようと誘ったのはあなたじゃない。ヒールのある靴でピクニックなんて、土で汚れるし足元は不安定だし最悪よ。そもそもジャージを着てきたあなたに、そんなことを言われる筋合いはないわ」
「お化粧だって、ほとんどしていない」
「あなたの家には鏡がないの? 顔も洗わないで来た人が、ひとのお化粧に文句ですって!」
心あるDの忠告を、この恋人はことごとく退けた。それでこの日のデートは全くの不首尾に終わり、すぐにDは、彼女から一方的に別れを告げられた。でもそれも仕方がない、とDは思った。彼女はまるで男に理解のない女だったのだから。
そうこうするうちに、Dにはまた新しい恋人ができた。Dも馬鹿ではないので、この新しい恋人の服装や髪形をとやかく言うことはしなかった。それで互いの家に泊まるまで仲を進めることができたのだが、そうして事がうまく運んでいるときに限って、不幸はひとを訪れるものである。
その日、Dは恋人と食事をし、その帰りに彼女を車で送ってやった。――というのは建前で、実際のところはハンドルを自身の下宿の方角へ向けていた。向かう場所の違うのに気づいた恋人が、助手席からDの肩を叩いた。
「路が違うわ。私の家は、まるで反対の方向よ」
Dはにこりと彼女に微笑みかけた。
「もう遅いんだから、今日は俺の家に泊まっていけばいい」
ところが恋人は、この言葉に返答に窮したような顔をする。どうしたのだろう、とDが不審に思うと、恋人は言いにくそうに言葉を発する。
「今日はね、あなたの家にお泊りするのは無理なの。私いま、アレなのよ。……わかるでしょ? だから、今日は家に帰してちょうだい」
これを聞くと、Dは目をぱちくりさせ、ごく正直な口調でこう言った。
「なあんだ。それじゃあ今日は、きみとヤれないじゃないか」
そしてDは路肩に車をよせて、そこに停車した。彼は恋人の方を見て言った。
「それじゃ、俺の家にきみを連れていくのは無しにしよう。アレになってしまったのなら仕方ない。俺は理解のある男だから、ちゃんときみの意思を尊重するよ。さあ、だから今日はここでお別れだ。気をつけて帰るんだよ。おやすみ」
Dは暗い夜道に恋人をおろして、そのまま帰路についた。そして翌日に、彼女の方からこれきり二度と連絡をしてくるなとメールが届いた。さしものDも、なんてわがままなんだろうと呆れ返った。せっかく彼女の思いを尊重してやったのに。
そうこうするうちに、Dにはまたしても新しい恋人ができた。今度こそDは慎重に事を進め、彼の下宿で女と同棲するまでに至った。ところが、である。
ある日の朝に目を覚ますと、ベッドの隣で寝ていた恋人がひどい熱を発していた。頭痛や咽喉の痛みを訴え、起き上がることもままならないようである。Dはいたく気の毒がり、今こそ理解ある彼氏の本領を発揮すべきだと考え、恋人にやさしく告げたのである。
「ずいぶんとひどい風邪だね。今日は寝てなよ。夕食は、簡単なものでいいからな。カレーと唐揚げ、それにポテトサラダでもあればじゅうぶんだ。きみに食欲がないなら、俺の分だけ用意してくれればいい。掃除も、ざっと掃除機をかけるだけでいいよ。ああでも、シーツはきちんと洗濯しておいてくれ。それじゃあ、お大事にね」
そうして彼は身支度を整え、朝食を摂り、大学へと向かった。
夕方に帰宅すると、恋人の姿は部屋から消えていた。朝食の後片付けは行われておらず、シーツも洗濯されていない。Dは驚きながら彼女にメールを送った。
『俺の夕飯はどうするの?』
……女が「理解ある彼氏」を得るのはカンタンだが、男が「理解ある彼女」を得るのは極めて難しい、という話である。
掌編集 門永 澪 @kadonaga_mio
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