わきまえ
わたしはかわいそうなんかじゃありません。
わたしは家族を助けてるだけです。弟の面倒をみるのも、おばあちゃんの体をきれいにするのも、ご飯をつくるのもお風呂を洗うのも、必要だと思ってるからやってるだけです。
わたしはお母さんのお手伝いをしてるだけです。そんな私を、かわいそうな子だなんて言うのはやめてほしい。ゲームで遊んでばかりいる子、おうちの手伝いを何もしない子なら、絶対に気づけなかった幸せをわたしは知っています。ありがとう、たすかるよ、だいすき、あなたがいてくれてよかった……そんな言葉がわたしのうちにはあふれています。
だからわたしはかわいそうなんかじゃありません。わたしは毎日が、幸せです。
――こんな作文を書くと、先生は必ず褒めてくれる。
ときにはみんなの前で、わたしの書いた文章を読み上げて、わたしの生き方を肯定してくれる。わたしは偉いのだと認めてくれる。
「Aさんはとっても強い子ですね。みなさんも、Aさんのすばらしさを見習ってください。世界にはあなた達よりもずっと恵まれない子、ずっと不幸な子が大勢います。そうした子供たちを差し置いて、自分は不幸だ、自分はかわいそうだ、などと言って甘えるのは恥ずべきことですよ。Aさんのように、安易に他人を頼らない強い心を持ってください」
だからわたしは、今日も癇癪を起こして泣き喚く弟をあやす。意味不明な言葉を口走り、どこかへ出かけようとして暴れるおばあちゃんを引き留める。汚れて散らかった家のなかを片付ける。悪臭を放つおむつを始末する。夜遅くにならないと帰って来ないお母さんの代わりに、ご飯をつくり、洗濯をし、皿を洗い、弟やおばあちゃんに何かあれば飛んでいく。それを眠るまで、眠ったあとも、繰り返す。
宿題をしてこないわたしを、保護者宛てのプリントを出さないわたしを、寝坊して遅刻するわたしを、授業中に居眠りをしてしまうわたしを、当てられても答えがわからないわたしを、給食エプロンを洗ってこなかったわたしを、先生は叱った。
しっかりしなさい、ちゃんとしなさい。先生は、あなたが強い子だと知ってるから、特別扱いをしないんだよ。かわいそうだなんて憐れまないよ。だから他の子と同じように、やるべきことをしなければ、何度でも注意するからね。
先生はわたしを職員室に呼んで、いつもそんな風に叱った。
***
私はかわいそうなんかじゃありません。
高校に行かなくたって、勉強はできます。ちゃんと勉強していれば、高卒認定試験だって受けられるし、すべては本人の努力次第です。
中卒だって成功しているひとはたくさんいます。自分で事業を立ち上げたひとだっています。選ばなければ働き口はいくらでもあります。むしろ何の目標もなしに、周りが行くから何となく、で高校受験をする方がお金も時間も無駄にしてると思います。
だから私はかわいそうなんかじゃありません。私のことをかわいそうだ、なんて言う人は、本当に私を気の毒がってるんじゃなくて、「他人を思いやれる自分」に酔ってるだけだと思います。私は自分の選択に後悔なんてしてません。私はただ、大好きな家族を一日でも早く助けてあげたいんです。
そんな風なことを語ると、進路指導の先生は満足そうに頷いた。
「うんうん、Aさんは立派だねえ。いまどきAさんみたいな、芯のあるしっかりした子は珍しいよ。Aさんの言うとおり、学歴なんて大して重要じゃない。成功も失敗も、すべては本人の努力が全てなんだから。今どきはやれ親ガチャだ、やれ格差だと知ったようなことを言う人間も増えたが、そんなものは努力をしなかった人間の言い訳に過ぎんよ。まったく最近の若者は、他責ばかりして、我慢や根性といったものが足りないんだ」
ひとしきりしゃべったあと、進路指導の先生は、にやっと笑いこう付け加えた。
「それにAさんは女の子だ。いざとなれば素敵な男性と結婚して、養ってもらうこともできる。それ以外にも、色々とお金を稼ぐ方法はあるし……まあそういう意味で言うと、Aさんは女の子に生まれてラッキーだったね。男の子じゃ、とてもこうはいかないよ」
そうして私は、高校には進学しなかった。進学せずに、働きに出た。アルバイトを複数かけ持ちし、毎日朝から晩まで働く。休日だろうと祝日だろうと、関係なく働き続ける。帰宅すれば家事と介護が待っている。勉強をする暇も余裕も体力も、ない。
お金は稼いだ。稼いだお金は大半が家族のために使われ、私の手元には数千円しか残らない。もちろん自分の身の回りのものは、この数千円の中から工面しないといけない。母は私のアルバイト代を学費として蓄え始めた。私のためのものではない。弟の将来のため、弟が高校や大学にきちんと進学できるようにするためだ、という。
***
私は可哀想なんかじゃありません。
私はこの仕事に誇りをもっています。女性が活躍する社会、多様性を重視する社会が大切だというのなら、私のこの生き方だって立派な「多様性」のひとつじゃないですか。
自分で選び、自分で飛び込んだこの世界で、私はプライドを持って仕事をしています。そんな私に対して、可哀想だ、支援が必要だ、まともな職につけるようにするべきだ、などというのは優しさではなくただの侮辱です。いえ、それどころか「女は結婚するまで純潔でいなければならない」という、女性差別的な物の見方をしているとすら思います。
だから私は可哀想なんかじゃありません。女性には体を売る自由がある、セックスワーカーとして尊重される権利があるのだと、私は世間に訴えていきたいです。
取材に対してそう答えると、雑誌の記者は嬉しそうに相好を崩した。
「いやあ、さすがですね。まさにプロ! って感じです。僕ねえ、こういう仕事をされてるひとって、そこらのナマイキで頭でっかちな大卒女どもよりも、よっぽど賢いと思ってるんですよ。男の心理や社会の本質をきちんと見抜いているっていうか。セックスワーカーなんて許せない、とか言って喚いてる連中は、あれは単に嫉妬してるだけなんでしょうね。セックスワーカーも立派なお仕事で、女には自由に売春する権利がある。そしてそうした女たちをお金で買う男性だって、非難される筋合いはない。全ては自由であり、権利であり、多様性の証である、と。こういう単純な理屈が、フェミババア達には理解できないんですよねえ。いやはや、Aさんのおかげでいい記事が書けそうです」
仕事を求めて都会へ出た。
けれど雇ってくれるところはどこにもなかった。
中卒の女なんて話にならない。言葉は違えど、どこからもそう言われた。
仕方がないので、この仕事を始めた。私に売れるものはこれしかなかった。
色々な客が来る。垢とフケにまみれた不潔な男。三十も四十も年齢が離れた男。勝手に写真を撮る男。痛がってもやめない男。恫喝する男。罵声を浴びせる男。殴ってくる男。
説教をしてくる男も多い。こんな仕事してるなんて恥ずかしくないの。どうせ将来のことなんて何も考えてないんだろう。努力しないから。勉強しないから。家族のためにまっとうに生きなさいよ。高校行かないなんて馬鹿のすることだ。世の中ねえ、そんなに甘くないんだよ。楽して生きようとするからこうなるんだ。体売るだけで何万も稼ぐなんて、女は舐めた生き方してるよなあ……。
けれど私は、可哀想なんかじゃない。
私は可哀想なんかじゃない、そう思われたくないと言うと、男達はみんなにこにこして私に優しくなるのだ。私はそれを知っている。幼いころからずっとそうだった。可哀想じゃない、不幸じゃないと言えば、男達はみんな褒めてくれた。
それを知っているから、だから私は可哀想なんかじゃない。
***
私はカワイソウなんかじゃありません。
シングルマザーでも、愛する娘と精一杯生きています。
例え貧しくても、それを上回る幸福がある。
お金や経済だけでは測れない幸せが、確かにある。
だから私はカワイソウなんかじゃありません。
シングルマザーというだけで同情したり、特別な援助が必要だというのは、ただの甘やかしだと私は思います。
SNSに投稿した書き込みには、たくさんの「いいね」がついている。私の発言を褒め称えるメッセージがたくさんついている。スマホを握りしめ、それらをぼんやり眺めていると、狭く埃っぽい和室に転がしていた娘が、けたたましい泣き声を上げ始めた。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
なんだっていうんだ。
そんなに私の邪魔をしたいのか。私の生活を破壊したいのか。私の人生をめちゃくちゃにしたいのか。うるさい。うるさい。うるさい。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。心のなかで叫ぶように念じても、娘は一向に泣き止もうとしない。死にそうに泣いている。いっそこのまま息絶えてくれないか。とにかく何でもいいから黙ってほしかった。
妊娠を打ち明けた途端、男は逃げた。俺の子なわけがない、騙して金をむしりとる気だろう、このアバズレの売春婦が。それが最後にもらった言葉だ。避妊を拒んだのは相手の方だったというのに。
中絶する金は工面できなかった。稼ぎは、「将来」をちらつかせる男に全て渡しており、私自身の貯金はゼロに等しかった。恥をしのんで実家に相談した。けんもほろろに断られた。弟の大学進学が控えているのに、堕胎のための手術代など出す余裕はないと言われた。母は弟の将来に傷がつくことを怖れ、私が帰省することも固く禁じた。
――ねえちゃん、金ないくせに妊娠したの? バッカだなあ。勉強もしないで男と遊んでるからそんな目に遭うんだよ。
電話口の向こうで、弟のせせら笑っている声が聞こえた。
体調と体形の変化により、仕事はできなくなった。仕方がないので、審査がゆるい代わりに金利が違法に高い金融業者――いわゆる闇金から生活費と出産にかかる費用を借りることにした。すぐに返すつもりだった。子供を産んだらすぐに勤め先を探す予定だった。
けれどそれは不可能だった。出産後は動くことすらままならず、さらには乳児を抱えた状態では、パートはおろか内職すら満足にできなかった。それでも借りた金の返済を、金利分を上乗せして迫られる。どうしようもなくなって、別の金融機関から返済のための金を借りる。生活費を借りる。返済期日が近づけば、またそれを繰り返す。いつまで経っても、それが終わらない。いつまで経っても、終わりが見えない。
ぎゃああああ、と娘が泣く。
それは人間の赤ん坊の声だとは到底思えない。なにかの怪物、なにか恐ろしい意味不明な生き物の、悪意と嘲弄と怨嗟と非難と憎悪が入り混じった咆哮のようにしか思えない。私を責めているように、私を憎んでいるように、私を苦しめて愉しむように、娘は畳にあおむけに転がって、芋虫みたいな手足をうごめかせて全身でのたうち回っている。
私は耳を心をふさぐ。
私はカワイソウなんかじゃない。不幸なんかじゃない。だから誰の同情も助けも支援も求めてこなかった。だってそうしたら皆褒めてくれたから。それが正しいんだと言ってくれたから。
同情を求めるのは甘えで、助けを求めるのは弱さで、支援なんて他責思考のクズの言い分だと言われ続けてきたから。お前はわきまえた女だ、できた女だ、男に迷惑をかけないいい女だ、と男達が手放しで称賛してくれたから。だから。
だから。
だから。
だから。
でも。
そんな男達は、私の直面した困難に何か手を差し伸べてくれただろうか。
私をひとりの人間として尊重してくれただろうか。
可哀想じゃない、不幸じゃないと言い続けて、それで得をしたのは誰だったのか。
私は本当に幸福だったか。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
考えれば考えるほど、何かを間違ったのではないかと思えてくる。
唐突な恐怖が突き上げてきた。
何に対する恐怖か。未来か。いまか。それとも過去か。何も分からないまま闇雲に、いても立ってもいられずに、ただひたすら衝動に突き動かされるままに、部屋の外へ飛び出した。
娘の泣き叫ぶ声が背中に追いすがるが、私は二度と振り向きはしない。全てを断ち切り、逃げ出すように、私は力任せに扉を閉めた。
……そしてそれきり、二度と扉を開けなかった。
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