無言のペルセウス

七海ポルカ

第1話【犯罪都市フェリックス】






「来週の水上治安部隊の合同捜査にはエタンダール、イファ、グーラミア各三州から二百人ずつ警官が増員派遣されることになる。フェリックスの組織編成は各方面細分化されているが、この五日間は増員部隊を組み込みやすいよう現場の指揮官は副官を増員して対処するように。期間中はパトロールの稼働率を六十パーセントに下げ、街に直接警官を配備して対応する。よろしく頼むぞ」



 海上にある、水上治安部隊本部で行われたフェリックス州警察の定例総会議は来週行われる過去最大規模の合同捜査に向けての報告、確認が主な議題となった。


 この総会議にはフェリックス州警察の【水上治安部隊】、【組織犯罪課】、【麻薬課】、【巡回パトロール部隊】、【フェリックス総合研究所】、【対外治安課】という六大組織とフェリックス州の州都ザザックに、その外観の風貌から『ブラックダイヤモンド』と呼ばれる本拠地を構える【フェリックス州警察本部】を加え、首脳部が集まり月に一度行われる。


 フェリックス警察は古くから、海を挟んで外部から犯罪が持ち込まれて来たため、治安が悪いことで有名だった。

 プロシア連邦共和国において最南に位置するフェリックスは、首都アウグスブルクの影響を受けにくかったということもある。彼らは長い間国としての政策の蚊帳の外に置かれることが多く、自分たちで自分たちの治安を守らなければならなかったのだ。

 その点では、侵入して来る犯罪や外敵に対して、当時は警察と自警団しか所有していない、田舎の街であったフェリックス警察は奮闘し、今現在の強固な治安組織を自分たちで作り上げて来たことは、見事であったと言える。


 彼らは元々自立心に燃え、責任感があった。


 犯罪が凶悪化するにしたがって逮捕・拘束する側である彼らの手段も、過激になって行ったのは想定外のことだったが、現場の警官たちに言わせると、犯罪者から向けられる敵意に対しては、自分たちも一歩も引かない姿勢を見せるしかなかったのだという状況がある。

 事実、犯罪者に対してはフェリックス警察は容赦がないことで知られるが、犯罪に関わらない民間人に対して、もし警察が捜査外の管轄において悪戯に危害を加えることは、他州より遥かに厳罰で臨まれることも知られていた。


 街が混沌とするフェリックスにおいて犯罪者と民間人を素早く判別するために、州警察は民間人の安全な生活を保障するためにも、区画においてこれを区別することを推奨している。

 居住区や教育特区と呼ばれる場所に商業施設を設け、そこに治安部隊の本拠地を隣接させ、歓楽街と明確に隔離させるこの都市開発は、フェリックス警察の提言が多く反映されたものだった。


 実際、治安の悪いフェリックスにおいて居住する人々の警察への信頼は、意外なほど強い。

 荒ぶる警察の破壊力を外界において証言しているのは要するに、歓楽街に出入りする観光客や訪問者なのだ。

 フェリックスに住まう者で平和に暮らしている者達は、ある場所へある時間は決して行かない、などという暗黙のルールを守りながら暮らしている。その光の中にいる限り、彼らにとって警察は犯罪者から自分たちを守ってくれる存在であり続ける。

 警察もこのフェリックス市民からの信頼を脅かすような身内に対しては、公に厳罰で臨んでいた。


 会議が終わったことを知らせる電子音に、廊下で自分たちの上官を待っていた警官たちが、座っていた椅子やもたれかかっていた壁から身を起こし、その時だけ身を正した。

 フェリックスは警察の街であり、犯罪者の街である。

 彼らは日々、犯罪者と戦い激しい敵意に晒されているので、制服を着ている限り街中での単独行動は禁じられている。

 常に三人以上で行動し、武装と小型カメラの所持・録画を義務付けられていた。

 それは各組織のトップすら、例外にはならない。

 他の州では権威の為に、上の立場の者が大勢を引き連れることはあるだろうが、フェリックスの場合は完全に安全の為に多くの護衛が配置される。


 ――さて、フェリックス州警察において、プロシア連邦共和国南方の海岸線全域を捜査範囲に収める【水上治安部隊】は少し事情が特別だが、本土である陸地最強と謳われるのは【組織犯罪課】であった。

 自立心の強い彼らはそれぞれの部隊においても制服も異なる。

 つまり街に住まう者なら警官の制服を見るだけで、エンブレムと腕章を見ないまでもその警官の所属部署が分かるようになっている。

【組織犯罪課】は黒一色の武装で知られており、到底警察の装備ではなく軍隊が持つような自動連射砲を積んだバイクで市街を巡回し、犯罪発生の報せが入ると、途端に容赦なく犯罪者を追跡し始めるその様は『猛犬』にも例えられる有様だった。


【組織犯罪課】の長官であるバルザック・ノートンは出て来た所を廊下で出迎えた三人の部下に、合図を送った。


「来週から忙しくなる。人選はお前たちに任せるから、副官を増員させておいてくれ。現場の指揮を執れる者、本部との連絡が行える者、あとは増員部隊を率いることが出来る者」

「了解しました」

 組織犯罪課にも、細分化された部隊編成が存在する。

 大きく分ければ第一部隊から第四部隊まであり、区画や時間帯によって交代制で街の治安を守っているのである。

 今日姿を見せたのは第二部隊長の小隊と、第三部隊の小隊だったが、副部隊長がこれを率いている。彼らは元々フェリックス警察で同僚だったので仲が良く、どちらもバルザックが現場に出ていた時、部下だった。

 第三部隊長はこれを考慮して「今日の護衛はお前が行け」と副部隊長を送り出したのだ。


 現場の警官たちは若い者達が多いが、彼らを取りまとめる上官たちは厳しいフェリックス勤務で鍛え上げられた者ばかりだ。

 ここでは忠誠心も経験も、現場で学ぶ。

 最初から喜び勇んで志願して来る者の中に、使える状態のものなどほとんどいない。

 汚職警官も非常に多いが、そういう中で汚職に塗れない警官たちは、強固な意志とプライドで、自分たちの身を守っている。

 彼らの忠誠心は何よりも尊いと、バルザック・ノートンは考えていた。

 彼が車に乗り込むと、第二部隊長が共に乗り込んだ。

 第三部隊副隊長が側に置いてあったバイクに乗り、二台の護衛車と八台のバイクに合図を送る。

 並走し、走り出す。


 ◇   ◇   ◇


「アッシュ。メザーハーツ刑務所の件、本部に話しておいた」


 車が走り出してすぐ、バルザックが第二部隊長に話しかけた。

「もう完全閉鎖されている刑務所を、何故わざわざ我々が取り壊さなければならないのかとな。ザザックの連中は頭が固い」

「……そうですか」

 かつての部下を、見遣る。

 当然予想はしていたのだろう。大きな落胆は見えない。

 だが失望はさせたはずだ。

 自分が報告して本部が動かないならば、他の誰でも説得は無理だからである。

「しかし麻薬課、巡回パトロール部隊の知り合いと、もう一度危険は訴える。

 今は奴らは来週の合同捜査のことしか頭になくてな。今回はその話題には触れられなかった。悪いな」

「いえ。こちらこそ間の悪い時に報告書を上げてしまって申し訳ありません」

 バルザックは苦笑する。

「気にしていない。犯罪者は元より、犯罪時期を警察の事情に合わせて行ってくれるような相手じゃない」

「確かに……」

 彼は小さく笑ったようだ。

 海上にある【水上治安部隊】の本拠地は外からは完全に独立してるように見えるが、実は海底に本土への海底トンネルが二本通されており、それを通れば陸に戻ることが出来る。

 ライトで照らされてるとはいえ、長く暗い海底トンネルの景色を窓から彼は眺めた。

 フェリックスの犯罪は昼夜を問わないが、やはり凶悪事件は夜に多発する。

 夜を主戦場にする彼らにとっては、青空の下などより、よほどこの暗がりの方が目に馴染んでいる。


 ……二十年以上勤務して。


 文句を言う暇もなく多忙で、気付いたら時が過ぎてしまった感じだ。

 最近疲れが取れなくなって来たと愚痴ると、職務の間は決して見せないような顔で無遠慮に大笑いして来た友人の、第三部隊副隊長は前方をバイクで先導している。

 別にここまで続ければ、間違いなく好きでやってる仕事だ。

 それでも二十年間で、一度だけ上げた正式な提案書を、こうも「今それどころじゃない」と足蹴にされると、ドッと疲労を感じる。


「アッシュ」


 長い付き合いのある上官だから今ならと思ってつい頼ってしまったが、この人にも色々迷惑をかけているんだろうなと彼は思う。

 海底トンネルの忙しないライトの羅列に照らされながら、これから自分のすべきことを考えた。

 フェリックス警察の、犯罪者との戦いは長きに渡って続いてきている。

 警察は決して犯罪者と馴れ合うべきではないが、ある意味でこの瞬間でさえ、警察と犯罪者は互いに鉢合わせないように距離を測り、共生し合っているとも言える。

 それが日常の些細なことがきっかけで鉢合わせ、撃ち合いになり、

 殺し合いになる。

 ……仕方ない。


 あの刑務所は曰くあるフェリックスの街でも、特異な場所なのだ。

 一筋縄では行かない場所だということは、自分が一番よく知っている。


「合同捜査が終わったら、一度本部の人間にメザーハーツを視察させる。それは俺が約束するから今は時間をくれるか」

「はい。気にかけていただけるだけで随分違います。この件は長官にお任せします」

「すまんな」

「いえ。五月蝿くして、申し訳ありませんでした」

 バルザックは頬杖をついた。

「いや。お前だけの意見ではないことは十分に分かっている。持ち掛けた他の部署もあの刑務所のことは知っていたし、非常に問題視してはいるんだよ。

【対外治安課】も連邦が指名手配している犯人が潜んでいると見ているらしいからな。

 古い取り決めで、元々国の保有だった為にあんな老朽化するまで増設しながら使い続けた。

 ザザックの連中がアウグスブルクに媚を売るために引き受けて、撤去費用を国から取れなかったことに問題がある。こっちに治安の問題を擦り付けるのはお門違いなんだが、こういうことの尻拭いをすることになるのは結局、現場の連中だ。

 今、俺を含め長官職には現場を知る者が多いから、丁度いい時期だろう。

 フェリックス警察がメザーハーツを活発に視察でもすれば、犯罪者共も警戒は強めるはず」

「……。」

「実際、お前はどれくらいのネズミどもがあそこに潜んでると思う?」

「正確な数は分かりませんが、少なくとも組織化しているのは確かです。検挙するにはこちらの警官たちにも危険が伴う。ならいっそ破壊した方がいい」

 組織化しているということは五人、六人という規模ではないわけだ。

 バルザックは腕を組んだ。

「そう見るか」

「あそこには、恐らく大物も眠っていますよ」

 部下の顔をもう一度見た。彼は横顔を見せている。

「いつからなんだ」

「【水上治安部隊】本部が出来てから、急激に埠頭界隈の治安が悪化しましたから。今までは奴らと警察がぶつかっていましたが、最近はよく犯罪者同士でも殺しがある。縄張り争いが起きているんだと思います。そういう中から、あの刑務所に逃げ込む奴が増えた。

 フェリックスの街にいる犯罪者連中なんざ、住居なんて持ってませんよ。

 奴らは一晩で居住を変える。

 メザーハーツはこの街の警察が近づくのを面倒臭がる場所だから。

 ――あそこは犯罪者の神殿です」


 犯罪者の神殿。

 バルザックは彼も知っているメザーハーツ刑務所の、あのいびつな建物の影を思い浮かべた。

 フェリックスの創始の監獄。

 犯罪者の増加に伴い、建築法を完全に無視した増築を繰り返したため、統一されていない外観が、夜闇には、不気味な影となって浮かび上がる。

 フェリックス市街から追い回された犯罪者が、最後の最後に逃げ込む場所。


 肩を軽く叩かれた。

「俺がいるうちにあそこは必ずどうにかする」

「……。ありがとうございます」

「俺が引退したら、長官の椅子はお前に残しておくからな。こういう面倒な仕事はお前の仕事になるぞ。嫌なら今のうちに特務をこなして本部に行くことだ。小さい仕事に拘らずな。お前はタフだし人望もあり、有能だ。もっと出世出来る」

 前方に光が見えてきた。

 本土に到着したようだ。

 警察専用道路から一般道に合流する。

 第三部隊副隊長が合流地点で待ち、車を誘導した。

 彼に軽く手を上げる時、アッシュ・ロウは彼と目を合わせた。


 小さく彼が頷き、敬礼の合間に一瞬、人差し指で空を指差したのが見えた。


「マックナイフも近いうち自分の部隊を持つことになりそうだな」

 バルザックもその顔を知っていたので、通り過ぎる時にその姿を見て、そんなことを言った。

 アッシュは彼が指差した空を見上げた。

 まだ明るい空に、白い月が浮かんでいる。

 今夜は晴れるだろう。

 ……そのことを自分に伝えたのだ。


「あいつが血を見て青ざめてた頃が懐かしい」


 アッシュが笑った。

 バルザックが現場の部隊長だった頃、アッシュは部下で、第三部隊副部長は新人としてフェリックス警察に入ったばかりだったのだ。

「辞める辞めないでよく賭けました」

「貴族の坊やだからな。親への反発で務まるような仕事じゃない」

「結局戸籍まで抜いたから、大したもんですよ」

「そういえばお前はいつも徹底して辞めないに賭けてたな。見所あったのか」

「見所というか、現場では吐いてなかったし、結局どんなに打ちのめされても翌日には定時通り出て来てた。それが崩れない限りは賭けてやってもいいかと」

「なるほどな」

「ええ。おかげであの頃はよくあいつで稼がせてもらった。そのうちなんだあの野郎全然辞めねえなって誰も賭けなくなったから、俺の副収入が減ったけど」

 バルザックが声を出して笑う。

「――あれ? そういえば貴方からお金もらいましたっけ?」

「二年目の休暇から戻らないんじゃないかと賭けた時だろ。払ったぞ。奢っただろう」

「【ファルコ】の酒は三百ドルもしませんよ」

「なにぃ。酒が相変わらず分からん奴だなおまえは……いいか、イグリアの地酒は愛好家の間じゃあ高値で取引されるんだぞ。私の地元だからあんな格安でだな……」

「安かったなあ。差額絶対まだもらってない」

 何年前の話だよ。

 上官はおかしそうに笑っていた。


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