第2話【猛犬たちの巣】

 汚職警官の多いフェリックスの街の巡回パトロールは、各部署が各々のローテーションで行っている。大体はお互いの動きを把握しているので、そんなに完全に重なることはないが、他の部署に気を遣い時間をずらすなどということはしない。

 警官によるギャンブルを合法化した時のように、フェリックス警察は、汚職に手を染める人間を規則で縛るのではなく、偶発的な密告により明るみに出す手法を選ぶ傾向があった。


 互いに互いを、見張らせるのである。


 そしてどこで誰が見ているか分からない状況を作る。

 それでも汚職に手を染める者は後は絶たない。しかし、そういう者たちもリスクは日々感じてながら生きている。

 


 ――【組織犯罪課】の本拠地は、フェリックスの街の歓楽街のど真ん中にある。



 元々はそんな所には無かったが、事件で殺されたオーナーが所有する高級ホテルが破産した時、捜査に入った当時のある部隊長が「いいなー、ここ」と気に入って、取り壊されるのか人手に渡るのかは知らなかったが、どうなるか決まるまで入り浸っていたのである。

 部隊長がそんなだったものだから、部下たちもそのうち集まって来て、エントランスにバーとビリヤード台がある高級ホテルに「いいっすね~、ここ」と皆で気に入り、「よしダメって言われるまで住んじゃおうか!」の一言で「賛成!」と満場一致し、要するに勝手に住み着いたのである。

 そのあとこのビル自体の所有権は死んだオーナーの親族が持ち続けてるが、四肢を切られて首に、鎖で繋がれたコンクリートをくっつけ沈められた姿で発見された死にざまが余程怖かったのか、彼らはフェリックスの街に関わることを恐れてずっとそのままになっているのである。

 自分達の持つホテルに警官が棲みついたことは知ってるだろうが、この際その方が安全だとでも思ってるのかもしれない。

 何故かずっとそのままになっている。

 おかげで数年経った今では、しっかりと正面には組織犯罪課のエンブレムが飾られ、タクシーのナビでも今ではしっかり組織犯罪課本部、と打ち込むとここに連れて来られる。


 これも他州では絶対に起こり得ない、フェリックス警察ならではの出来事だと言っていいだろう。


 高層高級カジノホテルである。上階には勿論眠れる部屋もあったから、以前の本拠地で子供部屋みたいな狭い二段ベッドのある仮眠室に放り込まれて苦しんでいた警官たちが「今では大の字でフカフカのベッドでしかも個室で眠れる」とみんなに愛される我が家になった。

 勿論州警察本部や州政府は、非合法に手に入れた本拠地にいい顔はしないが、住んじゃダメなどと今更言ったら、猛犬の愛称で知られる組織犯罪課の全職員が一斉蜂起すると言われており、もはや何にも言って来なくなったのである。


 本日も、愛する我が家に定刻を知らせる電子音が鳴った。


 それまで待機場所である一階エントランスで、とても働く気があるとは思えないように笑いながらカードやビリヤードやダーツに興じていた警官たちに、すぐ動きがあった。

 巡回パトロールの時間だ。

 本日は第二部隊が担当の為、第二部隊所属の警官たちが、

「俺のカードは置いておけズルするなよ」や、

「帰ったら続きをするから動かすな」やら言いながら、

 その辺に置いていた自分の上着を探しつつ、地下駐車場に降りて行く。

 ここは元々高級ホテルなので、地下駐車場も広い。

 お客様が出て行くのに出て行きやすいよう設計された地上へのアクセスも、広い車道をバイク部隊が気持ち良く出動していくのに完璧である。

 以前は狭い場所にバイクを詰め込み過ぎてバイク同士がいつも擦れて傷だらけだったのに、今ではビシッと間隔を開けながら入学式のようにピカピカの状態で待機している。


 前の本拠地にいた頃組織犯罪課の本拠地は、歓楽街の女性たちに「ゴミ箱のよう」「あんなとこに連れ込まれたら死にたい」「二週間放置した飲みかけの空き缶くらい汚い」「本拠地汚いくせに逮捕するんじゃねえ」と不評の嵐だったのに、今では【組織犯罪課】と名乗ると「あんなリッチな本拠地にいるなんて素敵♡」などと目を輝かせて見られるようになったので、本当に住む場所は大切である。

 不思議なことに組織犯罪課の人々は、以前は散らかり切っていた建物の中で平然と過ごしていたのに、この本拠地に移ってからはあまりに綺麗すぎるからか、誰が何を言ったわけでもないのに「散らかったらきちんと片付ける精神」が自然と根付いた。

 今では新人が掃除を怠ると先輩が鉄拳制裁をするのはここの常識となった。

 捜査車両もバイクも、今はこんなにピッカピカなのに何故前はあんなに汚かったのか不思議だと彼らは首を捻る。

 地下駐車場が広く綺麗でメンテナンス設備も完璧なので、時間がある時にどうやら車、バイク好きの職員が趣味で磨いてたりするようなのだ。

 噴水の側にあるスペースは破産後誰も手を付けていなかったが、ここにもいつしかガーデニング好きの職員が花を植え始めて、気分転換をしているらしい。

 このように組織犯罪課の本拠地乗っ取りは、それまでボロボロの汚い本拠地に押し込まれて完全に心が荒んでいた職員の働く環境改善に大きく貢献したので、「今更返せって言われても絶対返さない」「追い出されそうになったら全員で立てこもって徹底抗戦だ」と全職員が思っていることなのだった。


 美しいシャンデリアのある広いエレベーターに、螺旋など描いてしまっているエスカレーターなどを自由に使い、第二部隊――本日の巡回パトロール担当の警官たちが降りてきた。

 フェリックス警察をするに当たって大切なのはメリハリである。

 犯罪多発するこの多忙な街で、息抜き出来る時間は自分で探しその時間は全力で好きなことをする。

 遊ぶ。

 寝る。

 楽しむ。

 仕事の時間はそのかわり、おふざけは一切無しである。

 このメリハリある環境に適応できるかどうかが、新人などは長続きするかどうかの鍵になっている。

 真面目過ぎたり息抜きが苦手な者は必ず潰れるし、遊びを仕事に引きずる者は、規律を乱すとして厳しく排撃される。ここではそれを理解しなければならない。

 どう考えても本拠地のカジノできゃっきゃ遊んでいた、時間を守るとも思えないように見えた彼らはきっちり十分前に降りて来て、上着をびしりと着込んで美しく整列するバイクの隣に、いかにも警察らしくずらりと整列した。

 巡回パトロールの規模は、日によって違う。

 今日は街もフェリックスにしては穏やかなので、十人規模の最低ラインだ。

 日によってはこれから増員される。それは部隊長の判断で行える権限が与えられていた。

 第二部隊長であるアッシュ・ロウが一人の副官を伴ってやって来た。

「ご苦労」

 びしりと十人が敬礼で応える。

「楽にしていい」

 組織犯罪課の鉄の掟は、『上官の言ったことは絶対』である。

 アッシュがそう言うと、びしりとしていた十人は姿勢を崩して彼の周りに何となく集まった。  

 巡回パトロール前に、簡潔な数分のミーティングが行われ、どのルートで誰がどこをパトロールするのか、この時点で決められるのだ。

 いつもと変わらない光景である。

「今日の定例総会議で、来週の【水上治安部隊】との合同捜査の話が出た。それに応じて街の警備も変化すると思うが。臨機応変にな。忙しくなるが頼むぞ」

 細分化された部隊にも、性格や雰囲気は出るものだ。

 アッシュ・ロウが率いる第二部隊は組織犯罪課の中でも明るく、強い連携で結ばれていた。

 これは部隊長であるアッシュの人柄が反映されていて、新人でも忍耐強く面倒を見てやれという彼らしい、上下、左右の連携が強い部隊だ。

 アッシュは有能な警官であり、組織犯罪課でも何件もの大きな事件を解決していて、州警察本部でも名が知られている人物だった。有能だが面倒見がよく、年下の部下にも慕われている。まだ三十代後半だが、十代からフェリックス警察にいるので勤務二十年を超える為、知人友人も多い。

 こんな街ではやりたくない仕事も多いが、そんな仕事に割り振られても彼が上官なら黙ってついて行こうという部下は非常に多かった。

 いずれは組織犯罪課の長官か、州警察本部に呼ばれてフェリックス警察全体の指揮を執って行くだろう人物だと、彼は多くの人間に思われている。

 そうこうしていると向こうのエレベーターが開き、もう一人近づいて来た。


「カイルさん」


 第三部隊の副部隊長であるカイル・マックナイフだ。

 部隊は違うがマックナイフとアッシュが元々同僚であり、同じ部隊でも働いていた先輩後輩の間柄なので、仲がいいことを部下たちは知っている。よく二人で飲んでいるのも見ているからだ。

「どうしたんすか?」

 マックナイフは不思議がった彼らに軽く笑みを浮かべると、何も言わず側に立った。

 それに特に言及することも無くアッシュは軽くマックナイフに頷いてみせると、自分の部隊の者達に向き直る。

「今日の巡回パトロールのことで、お前たちに頼みがある。時間がないから簡潔に言う。うちでは上官の命令は絶対だが、いいか。今日のことに関しては、従いたくない者がいたら離脱していい。それは認める。ただし例によってフェリックス警察は密告との戦いだ。

 離脱は現場に行ってから認める。途中で他の部隊に邪魔されたくないから、街に出たら無線も現場までは切ってもらう。お前たちを信頼してないわけじゃないが、傍受も含めてのことだ。悪いが、それには従ってくれ」

 十人の部下たちはそこで、いつものパトロールと何かが違うということを察し、神妙な顔で一歩近づいて来た。


「今日は街へは出ない。このままここを出たら、そのままメザーハーツに向かう」


 常にフェリックスの街に出ている彼らは、すぐその意味を飲んだ。

 メザーハーツ刑務所はフェリックスの街から東南にある市外、ドミナ地区にある閉鎖された刑務所だ。老朽化が進んだため閉鎖されたがそこにずっと残っているので、いつからか犯罪者が住み着き問題になっている。

 フェリックス創始の監獄で、街の開発に伴う爆発的な犯罪増加と共に無理な増設を繰り返したため、中は迷路のようになっていた。かつてはここも巡回パトロールのルートに含まれていたのだが、建物内部を捜索中に何度か警官が殺されたことがあった。潜んでいた犯罪者によるものであることは確かだったが、あまりに入り組んだその建物内で、いずれも犯人を取り逃がしてしまったのである。

 後日組織犯罪課や巡回パトロール部隊が一斉検挙を行ったが、収穫はなかった。

 それからも何度か大規模な捜索が決行されようとしたが、そのたびに街で騒ぎが起き作戦が中止されてしまったのである。多忙なフェリックス警察は広大なメザーハーツ刑務所を安全に、確実に捜索できるだけの人員を割けなかったのだ。

 今や犯罪者の棲み処で、犯罪の温床にもなっていることは【麻薬課】などからも報告が入ってきている。ただあそこで行われている犯罪には、大概犯罪者同士が関わっている。一般人が巻き込まれてる事件ではないから、メディアも上層部も騒がないのだ。


 確かにあそこで犯罪が頻発はしていない。

 しかしアッシュの見立てでは、行方不明の一般人があの場所で暴行されたり殺されたりは、何件か発生していると考えている。自分たちがあそこで行われている犯罪を的確に把握出来ていないだけで、犯罪者が住んでる以上そこに規律などはないはずだった。身元不明の死体は何体も発見されている。その中に民間人が混ざってないなどとは思えないのだ。

 今は完全にパトロールのルートからも外されている。

 とにかくあの場所は上層部の判断に委ねられている所が大きい。

 ただし他の現場で逃した犯人があの場所に逃げ込んだ報告などは非常に多く、現場の警官たちからは何とかならないのかという声はいつも上がっていた。

 つまりメザーハーツ刑務所は今や、用がないと警察も近寄らない場所なのだ。 


 ……嫌な場所なのである。


「一斉検挙ですか?」 

 そう部下の一人が言った時、明らかに他の九人の中に目を輝かせた者が何人もいた。

 その部下たちの顔に一瞬優しい表情を向けたアッシュだがすぐに平静な顔になり、首を振る。

「隊長、メザーハーツのことを本部に掛け合うって言ってましたよね」

「やっと許可が下りたんすか」

「いや。報告書と嘆願書は上に出したが駄目だった。合同捜査が近づくという今は時期も悪いが、この件に関しては撤去するにはかなりの予算がないとダメだからな。本部はメザーハーツに使う金などないと考えているだろう。来年には新しい部署も創設される。そっちの方に予算は回るはずだ」

 舌打ちが聞こえた。

「あいつら……俺たちの声を無視ばっかしやがって」

「本部が弱腰だから、犯罪者が現場の警官を舐めるんだよ!」

 メザーハーツ刑務所の一斉検挙は何度も失敗に終わったがそのたびに後日、犯罪者達にフェリックス警察は嘲笑されて来た。

 匿名のサイトで「のろまども」と内部から画像を上げて、途方に暮れる警官たちを嘲笑っているようなものも多い。取り調べをしていてもその不始末を犯罪者が偉そうに「あんなことも出来ないで」などと小馬鹿にして来るので、実害は出ているのだ。

 メザーハーツを攻略できないことで、フェリックスの犯罪者たちが警察の能力を軽視し図に乗る。長く積み上げてきた彼らのプライドは、あの場所により著しく傷つけられていた。

 本部は空振りに終わるようならやるなと非協力的な姿勢の上に圧力を与えて来て、結局いつからか一斉検挙をという動き自体なくなってしまった。


『困ったらメザーハーツへ駆け込め』と犯罪者の聖地のようになっているあの場所を、警官の魂を持つ者がどの顔で「そのままにしておけばいい」などというのだ、と現場の警官たちはあの場所と、あの場所を許容する上層部に強い反感を抱いている。

 アッシュはその場で自分のPDAを起動させる。

「現場に着いたらお前たち十人にだけ送る。俺とマックナイフの辞表だ。

 ここを出ればパトロール出動時刻はPDAに刻まれるから、この辞表の送信時刻を照らし合わせれば現場で離脱した時、事前に任務内容を聞かされて離脱したことの証明に出来るはずだ」

 全員が驚いた顔をした。

「だが、これはあくまでも現場離脱を厳罰にする警察規律への釈明になる。任務完了後は出来る限り俺がお前たちを私情で駆り出したと庇ってはやれるが、正直な所、司法がどこまで追及して来るかは分からん。

 ――これからメザーハーツに行って刑務所に火を放つ」

 さすがに剛胆で知られる組織犯罪課のパトロール隊員の表情にも衝撃が走った。

「……今からですか?」

「そうだ。巡回パトロールの時間を使って急襲する。本当なら志願者を連れて行きたかったが、出来なかった。情報が洩れれば俺の首は作戦前に飛ぶし、作戦が明るみに出れば二度と同じことは出来ない」

「今日なのなんか……理由があるんすか?」

「今日の定例総会議で報告書が受理されてメザーハーツの件が議題に上がり、何かの動きがあれば、今日の襲撃は回避しようと思ってた。

【水上治安部隊】の合同捜査の準備が明日からにも始まる。情報が漏洩し必ずこの時期、奴らも場所を変えて取り逃がすだろう。今日しかないと判断した。

 メザーハーツに関わって三人警官が死んでる。

 一人は俺の部下、一人はマックナイフの同期だ。

 あの場所は俺も問題視してるが、確実に私情も絡んでる。だから今回はお前らに離脱は許す。しかし悪いが現場には来てくれ。バイクのガソリンを撒きたいんでな。現場に着いたら最悪お前たち全員が撤退してもあとは俺とマックナイフでやる」


 メザーハーツは広大な敷地にある。二人で放火など、出来ないはずだ。

 中に潜む犯罪者達も周囲のことは警戒している。潜む正確な規模が分からないように、当然犯罪者達がどんな武器を内部に持ち込んでいるのかも正確には分からないのだ。

 警察が何かをしようとしてると気付かれるだけでも最悪、攻撃を受ける。

「出来れば内部で火を放ちたいが、手が足りないなら囲い込む。いずれにしろ、やってみないと分からん」

「でもそんなの……先輩達は、成功したとしてどういう罪になるんですか?」

 アッシュは革の手袋を取り出し、装着した。

 あまりここに長居も出来ないのだ。

 今回のことは上階にいる別の組織犯罪課の人間達に、あれ? あんたたちいつまでそこで何をしてるんですかなどと勘繰られても邪魔をされる恐れがある。あくまでも街にいつも通り巡回パトロールに出るのを装って、一気にメザーハーツに向かい作戦を決行する必要があった。


「焼け死ぬ数にもよるだろうが。普通に考えれば死刑だろうな」


 アッシュは小さく笑った。

 その顔を見て、部下たちは息を飲む。

「まあそういう話は散々マックナイフとはした。こいつは出世が見込めるから、どうせならお前より信頼出来る、メザーハーツを憎む仲間を数人寄越してくれと何度も言ったが、自分より信頼出来る奴が見つからないとか言ってついてきた。こういうバカは、上官がやると部下が巻き添えを食って迷惑をする。俺とこいつも散々食って来て、それは分かってたつもりだったが。……食い足りなかったな」

「カイルさん、本当にやるんですか?」

 マックナイフは頷いている。

「やるよ。お前らはあそこに、どれくらいの犯罪者が潜んでると思う」

 十人が左右に顔を見合わせた。

「検挙が失敗した時の規模じゃ、十人は最低でもいると言われてますよね」

「地下に、表に出て来てない奴がいるはずなんだ」

「俺とマックナイフは三十人は最低ラインでも潜んでると思ってる。その中に連邦が追ってる大物もいる」

「調べたんですか?」

「カイル。今夜確実に仕留める連中を教えてやれ。こいつらも自分が何のために命を懸けるのか、知る権利がある」

 マックナイフはPDAを起動させて電子画面を発現した。

 部下達はたちまち、覗き込んだ。

「ここ半年のメザーハーツの動きをフェリックス・エスコート・エージェントの連中に監視させて来た。ここのリストに載ってる奴はこの一カ月動きはない。確実にあそこに今夜いる。二十年現場に出てたのにいつの間にかこんな連中をのさばらせて同じ街で寝てたんだ。いい加減、頭に来てな。だけど俺はこれだけ道連れに出来るなら、死にに行く価値はあると思ってる」


 全員が驚いていた。

 メザーハーツのことは現場の警官たちには周知の事実だし、問題視してる者の方が多い。

 アッシュとマックナイフもそうだとは思っていたが、彼らは一度も今日のようなことは口に出したことも、表に出す素振りを見せたことも無かったのだ。

 アッシュもマックナイフも有能で人望があった。

 何も今そんなことをしなくても本部に呼ばれるほどの可能性がまだあるのだから、偉くなってから正攻法であの場所を取り壊すことだって出来るはずだった。


 確かに――それがいつになるかは分からないが。


 部下達の顔にはまだ不安と迷いがある。

 それはそうだ。メザーハーツで死んだ警官より、フェリックスの街中で殺される警官の方が遥かに多い。命を懸けるだけの場所ではないと考える者もいる。民間人とは関わりない場所だからだ。……しかし。

「こいつらを全員始末出来ればフェリックスじゃ過去最大の成果になる。あと三十年警官務めてもらう勲章より、こっちの方がずっとデカい。やってみたいんだよ。自分の地味めの人生でこんな博打を打つのは今回が最初で最後だ。今日を決行日にしたのは定例総会議と合同捜査の予定に合わせて仕方なかった。お前たちは偶然居合わせた。可哀想だとは思うが運が無かったと思って諦めてくれ。

 全ての責任は俺が負う。

 お前らの離脱を認めず手伝わせたとマックナイフと言い張ることはしてやるが、仕事は確実に失うし、人間を殺すことになる。メザーハーツまで何分だマックナイフ」

「二十七分ですね」

 すでにバイクに跨り、ナビを入れた彼が答えた。

「二十七分間、考えろ。お前らは若いし新婚や子供が生まれたばっかりなのも混じってる。関わりたくないなら現場で離脱していい。引き返して報告しろ。そうすれば実行罪には問われないはず」

「でも……ヘリだったら五分で来ますよ」

 歩き出そうとしたアッシュが部下の一言に立ち止まった。

 思わずマックナイフの方を見ると、彼は両肩を竦ませた。

「お前なんで気付かないんだよ」

「すみません。空を忘れてました」

「忘れてたんすか⁉」

 部下たちが慌てた。

 それはそうだ。人生一大決心と言われさぞかし綿密に作戦を練っていたのだろうと思って、そんな基本的な部分を忘れられていても困る。だがおかげで、本当にこの二人だけで内密に考えていたことなんだな……ということが全員に伝わった。

 アッシュが部下たちに広がりかけた動揺を手で制す。

「分かった。離脱は許可するから、現場から十五分待ってからにしてくれ。いいだろそのくらい! 俺はお前らにかなり奢って来たぞ。俺が最後の任務に命かけようってんだからそんくらいの温情は寄越せ。そうだ! バイク奪われたって言って徒歩で帰れ。そうしたらお前らも酷いことされた被害者でどうしようもなかった感が出るし徒歩なら一時間稼げるぞ名案だろマックナイフ! 俺は昔から追い詰められた方が名案が出る!」

「いっそヘリを自動連射砲で撃ち落としてメザーハーツに落したら一発で炎上するんじゃないんですかね」

「なに名案だみたいな顔で言ってんだ。そのヘリには誰が乗ってんだよ! 警官殺した野郎を殺すために警官殺してどうすんだ! お前のはちっとも名案じゃねえからもう喋んなよ!」

 大丈夫かなこの人達本当に二人で……と心配そうに上官二人のやり取りを目を見ていた部下たちは思わず笑ってしまった。

 自分たちは警官だが、勿論悪戯に犯人の命を奪っていいという立場ではない。

 特に今回は中に潜んでいると分かって火をつけるなら殺人罪で起訴される可能性が高い。相手も人を殺した連中だが、罪状は容赦ないだろう。この作戦が成功すればこの二人は裁判に掛けられて死刑になるのだ。

 死ぬのである。


 ――これがこれから死にに行く人間の会話なのかよ。


 おかしくなってしまった。

「いいですよ。俺は手伝います」

 一人が言った。

「現場で作戦を強要されたって言い訳してもいいっすかね?」

「いいぞ。思いっきり俺たちのせいにしろ。それで手伝ってくれるなら正直全然構わん。恩に着る」

 しかも恩に着るのかよ。また一人吹き出した。

 家族は似ると言うが家族以上の時間を、時には命を掛けた極限状態で共有し合う彼らには似た感性が培われる。彼らは面白いと思う感性が非常に似て来るのである。

 しゃがみ込んで聞いていたりした者が、立ち上がった。

「なら全然。俺もやります」

「俺も何人もあそこに逃げ込まれてる。連続子供殺しの凶悪犯ですよ。麻薬課の奴らも、あそこに逃げ込まれたら俺たちの負けだと思えとか上官に言われた奴らがいる。手は出せねえから逃げ込まれたお前の不始末だって、責任取らされたやつもいるし」

「あそこを潰せるなら行かない理由はない」

「いいっすよ。俺もやります。俺は家族とかめんどくせえのいねえから、気にしないでいつも通り連れて行って下さい。内部にも火を放った方がいいんでしょう? 俺が行きますよ。中庭までは入ったことがあるから道分るし」


「――よし、やろうぜ!」


 警官たちが声を出して自分のバイクに次々と跨る。

 覇気を纏い始めた部下達に、アッシュは冷静に忠告した。

「出て行く時が一番危険だぞ。表の連中にも絶対気取られるな。マックナイフが街の方に出てから迂回して合流する。四人ついていけ。残りは俺と来い!」

 エンジン音が鳴り出す。

「気取られるなよ!」


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